小学生くらいの時に読んで、大いにインスピレーションを受けた故手塚治虫先生の漫画です。最近、読み直す機会があったのですが、やはり世界観の壮大さに圧倒されて、今の自分を考え直すことができました。
「死生観」というテーマについて、漠然と考えることになったのも、「火の鳥」を読んでからだと思います。結論の出ない孤独な考えに沈んでしまうことが多かったのですが、それでもわずかずつ前進している自分がいるのだということを、今回、読み直して感じました。
人の生き死になど、小学生の頃の自分がどう考えていたのかを辿るだけでも、また、手塚先生が何を考え伝えたかったのかを想像するだけでも、価値があったと思います。死にたいと単純に思うよりも、なぜ生きるのかを突き詰めて考えることのほうが、何倍も難しい気がします。そんな難しいことをほっぽり出して、簡単な道に進まざるをえない人のなんと悲しいことか。心中察せざるといえども、悲しいことです。
僕は幸運にも、この「火の鳥」を読んでいたことで救われた部分も大きいかと思います。手塚先生の作品にはパワーがある。そう信じています。
「死生観」というテーマについて、漠然と考えることになったのも、「火の鳥」を読んでからだと思います。結論の出ない孤独な考えに沈んでしまうことが多かったのですが、それでもわずかずつ前進している自分がいるのだということを、今回、読み直して感じました。
人の生き死になど、小学生の頃の自分がどう考えていたのかを辿るだけでも、また、手塚先生が何を考え伝えたかったのかを想像するだけでも、価値があったと思います。死にたいと単純に思うよりも、なぜ生きるのかを突き詰めて考えることのほうが、何倍も難しい気がします。そんな難しいことをほっぽり出して、簡単な道に進まざるをえない人のなんと悲しいことか。心中察せざるといえども、悲しいことです。
僕は幸運にも、この「火の鳥」を読んでいたことで救われた部分も大きいかと思います。手塚先生の作品にはパワーがある。そう信じています。
今、アイスが熱い。I scream for アイスクリーム! はい、失礼しましたm(_-_)m
しかし実際、1日二本ペースで消化している。なければないでいいものなのに、あるとつい・・・といったところか。そんなことだから、体重も減らないのであるが、なんとなく食べてしまうのである。小腹が減った時に思わず、冷凍庫に手を伸ばしてしまう。買い置きしてあるアイスを食う。うん、うまい。バッドスパイラルだ。
必ずあるところあたりが、母上のすごさでもある。一家総出で消費しているはずなのに、在庫は常に豊富。どんだけ買い物行ってるんだろうか?
この夏はどんだけ消化することになるのだろうか。そんなくだらない数字的なことが、ある意味楽しみである。
しかし実際、1日二本ペースで消化している。なければないでいいものなのに、あるとつい・・・といったところか。そんなことだから、体重も減らないのであるが、なんとなく食べてしまうのである。小腹が減った時に思わず、冷凍庫に手を伸ばしてしまう。買い置きしてあるアイスを食う。うん、うまい。バッドスパイラルだ。
必ずあるところあたりが、母上のすごさでもある。一家総出で消費しているはずなのに、在庫は常に豊富。どんだけ買い物行ってるんだろうか?
この夏はどんだけ消化することになるのだろうか。そんなくだらない数字的なことが、ある意味楽しみである。
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世の中に流行り廃れがあるように、我が家にも同様な事がある。何を好んで飲むかだ。
アルコールを除いて考えてみると、一番最初の流行は「ミロ」だった。幼い頃の話なので、「ジョジョバ」と愛称でもって呼んでいたが、今ではもう完全に廃れてしまった。
部活に勤しんでいた時に、プロテインを飲まされていたときもあった。実際、飲んでいたわけではなく、飲まされていたと思う。飲んだことで何の効用があったわけではなく(たぶん適切な飲み方をしていなかったせいだろうが)半年くらいで廃れていった。
つい最近まで頻繁に飲んでいたのは、果物・野菜ジュース。なんとなく体に良さそうだからという理由で、自分は好んで飲んでいたが、兄と弟が嫌悪感を示したため排除されてしまった。
夏場に毎年のように麦茶が登場するのは結構ありがちかもしれない。
紙パックをボトルにポンと入れて、水を注いで冷蔵庫へドンと入れて冷やす。ただここにも我が家なりのこだわりがあり、注ぐ水は沸騰させて冷ましたものということになっている。水が劇的にまずいからだ。浄水器を通しただけではだめなのだ。
そして、今、我が家の飲み物の最終形が現れた。それは
水
だ。蛇口ひねっただけで出てくるじゃん!と思う方もいるかもしれないが、あくまで買ってきた水を飲んでいる。やはり食事は粗食なひとが長生きするように、最もシンプルなものが人の心を掴むのだなぁ、と思い知らされた感じがある。
飲み物の最終形が「水」。シンプル・イズ・ベストだ。
アルコールを除いて考えてみると、一番最初の流行は「ミロ」だった。幼い頃の話なので、「ジョジョバ」と愛称でもって呼んでいたが、今ではもう完全に廃れてしまった。
部活に勤しんでいた時に、プロテインを飲まされていたときもあった。実際、飲んでいたわけではなく、飲まされていたと思う。飲んだことで何の効用があったわけではなく(たぶん適切な飲み方をしていなかったせいだろうが)半年くらいで廃れていった。
つい最近まで頻繁に飲んでいたのは、果物・野菜ジュース。なんとなく体に良さそうだからという理由で、自分は好んで飲んでいたが、兄と弟が嫌悪感を示したため排除されてしまった。
夏場に毎年のように麦茶が登場するのは結構ありがちかもしれない。
紙パックをボトルにポンと入れて、水を注いで冷蔵庫へドンと入れて冷やす。ただここにも我が家なりのこだわりがあり、注ぐ水は沸騰させて冷ましたものということになっている。水が劇的にまずいからだ。浄水器を通しただけではだめなのだ。
そして、今、我が家の飲み物の最終形が現れた。それは
水
だ。蛇口ひねっただけで出てくるじゃん!と思う方もいるかもしれないが、あくまで買ってきた水を飲んでいる。やはり食事は粗食なひとが長生きするように、最もシンプルなものが人の心を掴むのだなぁ、と思い知らされた感じがある。
飲み物の最終形が「水」。シンプル・イズ・ベストだ。
先週の週末、友人と大宮をブラブラしていたら、奇遇にも一枚のチラシをもらった。母校の文化祭の宣伝チラシだった。
それぞれの人が思い思いの休日を過ごしている中、自分の学校のイベントを盛り上げるために殊勝な頑張りを見せてくれている後輩にどうしても一言かけてあげたくて、自分がOBであることを伝え、「頑張ってね〜」と精一杯の応援をしてあげた。
自分も昔、多少ながらも文化祭の実行委員の手伝いをしたこともあって、なぜかちょっと感慨深かった。あの頃自分が、やっていたことを後輩たちが伝統として引き継いでくれているとは・・・。大して何が出来るという訳でもないけれど、今年もあの熱い思いを爆発させて欲しいと願うだけだ。
それぞれの人が思い思いの休日を過ごしている中、自分の学校のイベントを盛り上げるために殊勝な頑張りを見せてくれている後輩にどうしても一言かけてあげたくて、自分がOBであることを伝え、「頑張ってね〜」と精一杯の応援をしてあげた。
自分も昔、多少ながらも文化祭の実行委員の手伝いをしたこともあって、なぜかちょっと感慨深かった。あの頃自分が、やっていたことを後輩たちが伝統として引き継いでくれているとは・・・。大して何が出来るという訳でもないけれど、今年もあの熱い思いを爆発させて欲しいと願うだけだ。
最近、疲労を強く感じることが多い。一日表に出ると、翌日は全く動けないということもある。意図的に、計画的に苛め抜いているので、問題はないのだが、もう少し疲労に慣れて自分の思うように体を動かせるようになりたいと感じることも多々ある。徐々に良くなってはいるのだろうが、どうも自分の体が不甲斐ない。
そんな中で、休憩の最良の形が睡眠であることがわかってきた。きっと他の形もあるのだろうが、今の自分の疲労を落としてくれるのは睡眠以外には思いつかない。
なんとか日々の暮らしを二日サイクルではなくて、週間サイクルにもっていけるように、修行していかなくてはならない。それを達成できたときに自分の行動力の真価が発揮される時なのだろう。
そんな中で、休憩の最良の形が睡眠であることがわかってきた。きっと他の形もあるのだろうが、今の自分の疲労を落としてくれるのは睡眠以外には思いつかない。
なんとか日々の暮らしを二日サイクルではなくて、週間サイクルにもっていけるように、修行していかなくてはならない。それを達成できたときに自分の行動力の真価が発揮される時なのだろう。
今年は特に月日が過ぎ去るのが早い気がします。もっとも、感覚的には、二十歳を過ぎるとそれまでより3倍くらいのスピードで毎日が過ぎると、どこかで聞いたことはありますが。
今日で完全に春は過ぎ、明日からは夏になることになりますが、今年はやはり猛暑になるのでしょうか。寒い冬より暑い夏のほうが辛いと思っている自分としては、かなり厳しい季節になること請け合いです。
ただ、いかに猛暑で自分の好まない季節であろうとも、選り好みしなで、毎日を楽しむ心があってこそのことだと思います。そんな風に自分を苛め抜くことも、嫌いではないのです。
今日で完全に春は過ぎ、明日からは夏になることになりますが、今年はやはり猛暑になるのでしょうか。寒い冬より暑い夏のほうが辛いと思っている自分としては、かなり厳しい季節になること請け合いです。
ただ、いかに猛暑で自分の好まない季節であろうとも、選り好みしなで、毎日を楽しむ心があってこそのことだと思います。そんな風に自分を苛め抜くことも、嫌いではないのです。
子供時代には父と兄弟と友人と、様々な人とキャッチボールをしたものだ。相手の投げるボールを正面でキャッチし、胸元へ投げ返す。その動作の繰り返しだけで、なにか分かり合えるものがあった気がしたものだ。
そして今、キャッチボールは続いている。
相手の言う事を予想しながら、自分の全身で受け止め、自分の言いたい事を出来るだけ的確な言葉で述べる。そう、言葉のキャッチボールだ。
野球のキャッチボールと言葉のキャッチボールは形こそ違えども、方法としてはかなり近いものがある気がする。僕は昔からキャッチするのは得意だったが、投げるのが苦手だった。相手の言いたい事は分かるのに、自分の言葉を紡ぎ出せない。まったく同じだ。
キャッチボールは野球の基本だと言われている。では、会話のキャッチボールも社会生活の基本なのだろう。もっと自分の言葉を上手に発せられるように、自分も努力せねば。。。
そして今、キャッチボールは続いている。
相手の言う事を予想しながら、自分の全身で受け止め、自分の言いたい事を出来るだけ的確な言葉で述べる。そう、言葉のキャッチボールだ。
野球のキャッチボールと言葉のキャッチボールは形こそ違えども、方法としてはかなり近いものがある気がする。僕は昔からキャッチするのは得意だったが、投げるのが苦手だった。相手の言いたい事は分かるのに、自分の言葉を紡ぎ出せない。まったく同じだ。
キャッチボールは野球の基本だと言われている。では、会話のキャッチボールも社会生活の基本なのだろう。もっと自分の言葉を上手に発せられるように、自分も努力せねば。。。
最近、朝に傘を持っていくか悩むことが多い。天気予報で確実に降るといっている場合を除き、ちょっとどんよりとした雲の状態を見ていると、「今日はどうしよう…」と独り思いに沈んでしまう。
それならば、手軽に折り畳み傘を持っていけばいいと思う人もいるかもしれない。でも自分にとっては、折り畳み傘は使いにくすぎる感がある。たとえば、折り畳み傘を使って一時的に雨を逃れたからといって、その傘を濡れたまま鞄の中にしまうのはいかがかと思う。結局、自分の所有物を濡らしてしまうではないか。折り畳み傘の使い方を熟知していない自分としては、あれは傘のうちに入らないのである。
ならば、丈夫な手持ち傘を持てばいい。そうなのだ。しかし、そのようなものをまだ私は持ち合わせていない。結局はビニール傘で手打ちになる。なんとなくだめだめな自分。
だから、梅雨入り間近なこの時期にこそ、自分の愛すべき手持ち傘を一本準備しておきたいものだと感じ入ってしまう。
それならば、手軽に折り畳み傘を持っていけばいいと思う人もいるかもしれない。でも自分にとっては、折り畳み傘は使いにくすぎる感がある。たとえば、折り畳み傘を使って一時的に雨を逃れたからといって、その傘を濡れたまま鞄の中にしまうのはいかがかと思う。結局、自分の所有物を濡らしてしまうではないか。折り畳み傘の使い方を熟知していない自分としては、あれは傘のうちに入らないのである。
ならば、丈夫な手持ち傘を持てばいい。そうなのだ。しかし、そのようなものをまだ私は持ち合わせていない。結局はビニール傘で手打ちになる。なんとなくだめだめな自分。
だから、梅雨入り間近なこの時期にこそ、自分の愛すべき手持ち傘を一本準備しておきたいものだと感じ入ってしまう。
アルジャーノンに花束を
2007年5月28日 読書
今まで読んだ中でもベスト5に入る小説です。今年に入ってから読み返してみましたが、やはり感動してしまいました。文体の精巧な変化により、主人公のチャーリー・ゴードンに感情移入することができ、最後の一言で完全にノックアウトされました。
日本でドラマ化した作品は見なかったのですが、洋画の作品は見ました。原作とはかなり異なっていましたが、チャーリーの独説にはかなり涙腺を刺激させられました。
最初は結構読みづらいのですが、決して読んで損する作品ではないと思うので、かなりおすすめです。訳し方も非常に良いので、訳した洋書嫌いの人でもこの世界観にはどっぷり浸かれると思いますよ。
日本でドラマ化した作品は見なかったのですが、洋画の作品は見ました。原作とはかなり異なっていましたが、チャーリーの独説にはかなり涙腺を刺激させられました。
最初は結構読みづらいのですが、決して読んで損する作品ではないと思うので、かなりおすすめです。訳し方も非常に良いので、訳した洋書嫌いの人でもこの世界観にはどっぷり浸かれると思いますよ。
白鵬、2場所連続3度目の優勝
2007年5月26日 スポーツ
今場所は興味を持って大相撲をテレビ観戦していました。
綱取りの場所となった白鵬と横綱朝青龍のマッチレースに関心を持っていましたが、千秋楽を待たずして白鵬が優勝とは…。直接対決で優勝決定というところまでいけば、よりボルテージが上がったのですが、なぜだか、今場所の横綱はどこか怪我していたのではないかと疑問に思うほど、精彩に欠いていた気がします。
あの憎たらしいほどの強さはどこにいってしまったのか。あの強さがあったからこそ、横綱といえるのに、一場所で四回も座布団を舞わせてしまっては、ちょっと不甲斐ないです。来場所は二横綱となるわけで、楽しみが多少増えるわけですが、朝青龍の奮起に期待したいと思います。
綱取りの場所となった白鵬と横綱朝青龍のマッチレースに関心を持っていましたが、千秋楽を待たずして白鵬が優勝とは…。直接対決で優勝決定というところまでいけば、よりボルテージが上がったのですが、なぜだか、今場所の横綱はどこか怪我していたのではないかと疑問に思うほど、精彩に欠いていた気がします。
あの憎たらしいほどの強さはどこにいってしまったのか。あの強さがあったからこそ、横綱といえるのに、一場所で四回も座布団を舞わせてしまっては、ちょっと不甲斐ないです。来場所は二横綱となるわけで、楽しみが多少増えるわけですが、朝青龍の奮起に期待したいと思います。
自分の思想に反するものを批判したくなるのは理解できる。人間とは自分と異なるものを排除して、自分の世界を築いて生きたがる生き物だからだ。
ただ、意味もなく批判する人が多いのも事実だ。批判する対象を大して知りもしないのに、一方的におとしめていくことで、自分のセーフティーゾーンを守りたがる輩が多い。相手より自分のほうが正しいと盲信していたり、自分が高尚な人間だと勘違いしたい人のいかに多いことか。
せめて、対象をがどのようなものか知ってから批判するのがせめてものルールだろう。いかに言論の自由があろうとも、他人を無意味に不快にさせる自由など存在しないとは思わないのだろうか。
ただ、意味もなく批判する人が多いのも事実だ。批判する対象を大して知りもしないのに、一方的におとしめていくことで、自分のセーフティーゾーンを守りたがる輩が多い。相手より自分のほうが正しいと盲信していたり、自分が高尚な人間だと勘違いしたい人のいかに多いことか。
せめて、対象をがどのようなものか知ってから批判するのがせめてものルールだろう。いかに言論の自由があろうとも、他人を無意味に不快にさせる自由など存在しないとは思わないのだろうか。
チャイルド・プラネット
2007年5月23日 読書
おそらく大学のサークル部屋で読んだ漫画だったと記憶しています。
内容は、大人だけに死をもたらす細菌兵器が日本のとある地区に持ち込まれ、爆発とともに拡散し、大人が全て死亡。その地区には子どもしか残らず、子どもによる規律のある政治的運営の方法や、他地区への病原菌の拡散の防止によるいさかいなどが、現実に迫る感じで描かれていたと思います。
すでに絶版なのか、かなり大きな本屋さんでも見かけなくなりました。また読みたくなったので、自分はブッ○オフで買い付けましたが。
かなり面白い題材を取り上げているので、結構おすすめです。根気良く古本屋さんを巡ってみるか、ネットで検索にかけてみてください。
内容は、大人だけに死をもたらす細菌兵器が日本のとある地区に持ち込まれ、爆発とともに拡散し、大人が全て死亡。その地区には子どもしか残らず、子どもによる規律のある政治的運営の方法や、他地区への病原菌の拡散の防止によるいさかいなどが、現実に迫る感じで描かれていたと思います。
すでに絶版なのか、かなり大きな本屋さんでも見かけなくなりました。また読みたくなったので、自分はブッ○オフで買い付けましたが。
かなり面白い題材を取り上げているので、結構おすすめです。根気良く古本屋さんを巡ってみるか、ネットで検索にかけてみてください。
一月半ぶりに髪を切りに行った。
昔は家の近くの理容店に足繁く通っていたのだが、事情により最近はカット専門店で切ってもらっている。そこは1000円でカットのみを請け負う店で、約十分で髪を好きなように切ってくれる。
なぜ店を変えたかと言うと、大きく分けて三つの理由がある。
まず、何より料金が安い。普通、理容店に行くと大体2000〜3000円は費用がかかってしまう。それが1000円でカットしてくれるのだから、お手ごろだ。
次に、安いからといって技術的に変化があるわけではないからだ。カットのみという制約はあるにしろ、ほとんどこちら側の要望に合わせて切ってくれる。人にもよるが、テクニックが劣っていると感じることはほとんどない。
最後に不必要に会話しなくてもよいということだ。なぜだか、理容店というところは、そのサービスの時間が長いためか、理容師さんと会話しなくてはならなくなることが多い。気分によっては話したくないときでも、または、プライベートな話をしたくない時でも、会話をする必要性がある。そのような煩わしさから解放されたかったのだ。
まぁ、理容店に行かなくなって、困る事もあるにはある。顔剃りをしてもらえないことだ。大した事ではないが。
大学に入って、仙台に居を構えたとき、困ったのは床屋探しだった。仙台では幸運にも、自分のお気に入りの店を探し当てることが出来た。しかし、埼玉ではそれができない、というより、しようと思わない。お気に入りの理容店を見つけ出すのはかなり労力を費やすことなのだ。
ただ、矛盾した心理かも知れないが、価格破壊的なカットショップができるために、良心的な理容店が潰れる事を心配するばかりだ。
昔は家の近くの理容店に足繁く通っていたのだが、事情により最近はカット専門店で切ってもらっている。そこは1000円でカットのみを請け負う店で、約十分で髪を好きなように切ってくれる。
なぜ店を変えたかと言うと、大きく分けて三つの理由がある。
まず、何より料金が安い。普通、理容店に行くと大体2000〜3000円は費用がかかってしまう。それが1000円でカットしてくれるのだから、お手ごろだ。
次に、安いからといって技術的に変化があるわけではないからだ。カットのみという制約はあるにしろ、ほとんどこちら側の要望に合わせて切ってくれる。人にもよるが、テクニックが劣っていると感じることはほとんどない。
最後に不必要に会話しなくてもよいということだ。なぜだか、理容店というところは、そのサービスの時間が長いためか、理容師さんと会話しなくてはならなくなることが多い。気分によっては話したくないときでも、または、プライベートな話をしたくない時でも、会話をする必要性がある。そのような煩わしさから解放されたかったのだ。
まぁ、理容店に行かなくなって、困る事もあるにはある。顔剃りをしてもらえないことだ。大した事ではないが。
大学に入って、仙台に居を構えたとき、困ったのは床屋探しだった。仙台では幸運にも、自分のお気に入りの店を探し当てることが出来た。しかし、埼玉ではそれができない、というより、しようと思わない。お気に入りの理容店を見つけ出すのはかなり労力を費やすことなのだ。
ただ、矛盾した心理かも知れないが、価格破壊的なカットショップができるために、良心的な理容店が潰れる事を心配するばかりだ。
兄がオンラインゲームに熱中しているために、一つしかないネット回線を自由に使えない日々が続いている。ネットをつないだからといって何をするわけでもないので、兄の占有は長くなるばかりだ。よって、このブログも時間を見つけて書かなくてはならないため、テキトーな時間と長さのものになってしまうこともよくある。
まあ、そのほうがだらだらとネットをしなくて済むので、集中して文章をまとめる事ができるという利点もある。時間があればあっただけ、テキトーな文章を垂れ流してしまうこともなくなり、有意義なひと時を過ごせるということにもなる。
できるだけ集中してコンパクトにまとめるという心掛けは必要なことだ。予め、テーマを考えるようになったし、時間の節約にもなった。そのひと時を楽しむためにも、兄から与えられた時間は貴重なものなのだ。
まあ、そのほうがだらだらとネットをしなくて済むので、集中して文章をまとめる事ができるという利点もある。時間があればあっただけ、テキトーな文章を垂れ流してしまうこともなくなり、有意義なひと時を過ごせるということにもなる。
できるだけ集中してコンパクトにまとめるという心掛けは必要なことだ。予め、テーマを考えるようになったし、時間の節約にもなった。そのひと時を楽しむためにも、兄から与えられた時間は貴重なものなのだ。
小中高とまじめに(?)学校に通っていたので、ズル休みなどする余地もなかったが、大学の時に遊び疲れて休む事がよくあった。大学はまじめに授業に出ていた思い出がほとんどない。確かに予習をするために研究室に入り浸ったり、学友と共同作業で調べ物をしたりしたことはあったが、それ以上に、遊びに費やす時間の方が多かった気がする。
そして、今では、自分の中でのズル休みをしてしまうことがよくある。やるべきことをやらない。または、自分のために投資をしない。なぜだか、自分の意志の弱さが前面にでてしまうからよくない。
時には、気分転換になるズル休みもある。今がその時だと思えば少しは救われるのだが。
そして、今では、自分の中でのズル休みをしてしまうことがよくある。やるべきことをやらない。または、自分のために投資をしない。なぜだか、自分の意志の弱さが前面にでてしまうからよくない。
時には、気分転換になるズル休みもある。今がその時だと思えば少しは救われるのだが。
弟が借りてきていたので、もののついでに見てみた一本です。淡々とした日常を描きながら、主人公の気持ちのあり方が変化していくのが感じられて、内容的にはともかく、心温まる作品だったような気がします。
それにしても、主人公を務める上野樹里さんの演技の変化には驚かされました。過去に自分が見たどの作品でも、雰囲気が全く異なっているのにびっくりです。エンドロールを見てようやく「ああ、あの娘ね…」と感じるほど、違った印象を与えてくれます。コミカルな役柄からシリアルな演技まで変化に富んだ演じ分けは、まさに女優と言ったところでしょうか。今後も注目してみたい俳優さんの一人です。
それにしても、主人公を務める上野樹里さんの演技の変化には驚かされました。過去に自分が見たどの作品でも、雰囲気が全く異なっているのにびっくりです。エンドロールを見てようやく「ああ、あの娘ね…」と感じるほど、違った印象を与えてくれます。コミカルな役柄からシリアルな演技まで変化に富んだ演じ分けは、まさに女優と言ったところでしょうか。今後も注目してみたい俳優さんの一人です。
最近、ちょっとてきとーに書きすぎている。毎日書くことにこだわらず、もう少ししっかりとしたテーマを立てて書ける時にだけ更新することにしようかと思う。書くことは嫌いではないのでいいのだが、このままでは恥ずかしいので。
自分の裁量権が少ないからしようがないのかもしれないが、最近うだうだしすぎている。もう少し明確なビジョンをもって、未来に向けた行動をしていかないといけない気がしてならない。早い段階でなにをしていくかはっきりと考えて行動に移していくことにしよう。
今日は母の日だ。かといって何をするでもない。せいぜいが皿洗いを手伝うくらいだ。ただちょっと違う事と言えば、日頃から肩たたきをしてさしあげることを約束した程度か。
なぜだか今年の母の日はチョコレートの宣伝に利用されている気がしてならない。あれを見るたびに、世の中の旦那様と子ども達はプレッシャーをかけられるのだろう。なにもする予定のない家庭にとっては、罪悪感を増幅させられるだけのものだ。
とはいえ、お祝いというのはいいものだ。記念日ではなくても、普段と違うことをしてみる。それだけでもちょっとした喜びが生れる。喜びの多い日々と言うのは、潤いがあるものだ。
なぜだか今年の母の日はチョコレートの宣伝に利用されている気がしてならない。あれを見るたびに、世の中の旦那様と子ども達はプレッシャーをかけられるのだろう。なにもする予定のない家庭にとっては、罪悪感を増幅させられるだけのものだ。
とはいえ、お祝いというのはいいものだ。記念日ではなくても、普段と違うことをしてみる。それだけでもちょっとした喜びが生れる。喜びの多い日々と言うのは、潤いがあるものだ。
アルバムは必ず買っているけれど、シングルまでは・・・ということで、買いました。ミスチルに関してはこのアルバムでコンプリートです。普通にシングルは買わない人だったので、なんとなく神様からのプレゼントが降って来たような感じですわな。とは言っても、HOMEも十分に聞いてないにもかかわらず、もう新アルバムだなんて。嬉しいには変わらないんですが、なにか忙しない気がします。また、しばらくはライブで忙しいのでしょうから、新しいものはしばらく出さないのでしょうが。このアルバムを良い機会にしてミスチルの全曲をリピートしてみるのも一興ですね。