台風一過の青空の下、浴びた日光をまぶしく感じた時にふと思い出した。
人前でおおっぴらに誉められた記憶というのは、自分にはあまりないレアなものあるが、そのわずかな経験を思い出したのだ。
中2の時だったと思う。当時、生徒会長という身に余る要職に就いていた自分が、休み時間にとある先生を探しに校長室へと伺った。しかし他校の来賓の方がいらっしゃっただけで、捜索は空振りに終わり、そのまま宛てもなく探しつづけた。
後のある国語の授業のときだった。担当教師がふと私を名指しで呼び、先の他校の来賓の先生が誉めていたといった。私としては、懇談中の校長室に不躾に入っていっただけで、注意されしようとも、誉められる要素はなかったので、ぽかーんと間の抜けた顔をしていただろう。国語の先生は続けて、「お前はいい眼をしているとおっしゃっていた。当校の生徒会長だと告げたら、『やはりそうですか』と言っていたぞ」と教えてくれた。
私はその時、どれだけ感動したことだろう。生徒会長という役職に就いているという肩書きを通してではなく、自分が多くの物事をこなした結果として輝いている眼を誉めてもらったことが、感動を倍加させたといっていい。単に何かをしたからということに対する単純な誉め言葉ではなく、自分の全人格を認め、誉めてもらえた気がしたのだ。
以上の、眼の輝きを誉めてもらったという一件は、今までの自分に大きな影響を残した。何かがあるごとに鏡を見て自分の眼の光を確かめるようになったのだ。やはり、アゲアゲの時の自分の目は普段より輝いているし、サゲサゲの時の自分の眼は澱んでいる。誉めてもらった時の自分は使命感に燃えて頑張っていたのだろう。人生の中でもかなり輝いていた時期だと思う。
先に挙げた他校の先生は話したこともない人だが、誉めてくれたことを本当にありがたく思う。自分の人生を大いに豊かにしてくれたと感じるからだ。これから先に、これ以上の誉め言葉を頂けることはないと思う。伝え聞いたあの一言を胸に、私は自分を誇っていけるだろう。
人前でおおっぴらに誉められた記憶というのは、自分にはあまりないレアなものあるが、そのわずかな経験を思い出したのだ。
中2の時だったと思う。当時、生徒会長という身に余る要職に就いていた自分が、休み時間にとある先生を探しに校長室へと伺った。しかし他校の来賓の方がいらっしゃっただけで、捜索は空振りに終わり、そのまま宛てもなく探しつづけた。
後のある国語の授業のときだった。担当教師がふと私を名指しで呼び、先の他校の来賓の先生が誉めていたといった。私としては、懇談中の校長室に不躾に入っていっただけで、注意されしようとも、誉められる要素はなかったので、ぽかーんと間の抜けた顔をしていただろう。国語の先生は続けて、「お前はいい眼をしているとおっしゃっていた。当校の生徒会長だと告げたら、『やはりそうですか』と言っていたぞ」と教えてくれた。
私はその時、どれだけ感動したことだろう。生徒会長という役職に就いているという肩書きを通してではなく、自分が多くの物事をこなした結果として輝いている眼を誉めてもらったことが、感動を倍加させたといっていい。単に何かをしたからということに対する単純な誉め言葉ではなく、自分の全人格を認め、誉めてもらえた気がしたのだ。
以上の、眼の輝きを誉めてもらったという一件は、今までの自分に大きな影響を残した。何かがあるごとに鏡を見て自分の眼の光を確かめるようになったのだ。やはり、アゲアゲの時の自分の目は普段より輝いているし、サゲサゲの時の自分の眼は澱んでいる。誉めてもらった時の自分は使命感に燃えて頑張っていたのだろう。人生の中でもかなり輝いていた時期だと思う。
先に挙げた他校の先生は話したこともない人だが、誉めてくれたことを本当にありがたく思う。自分の人生を大いに豊かにしてくれたと感じるからだ。これから先に、これ以上の誉め言葉を頂けることはないと思う。伝え聞いたあの一言を胸に、私は自分を誇っていけるだろう。
「ごめん」という言葉
2007年9月3日 家族 コメント (1) 色々とあったため久しぶりの更新。
最近、祖母と同居していることは前に書いたが、その祖母に何かしてあげると「ありがとう」と「ごめん」の二通りのどちらかの言葉を返してくれることが多い。「ありがとう」は感謝の気持ちを述べる言葉なので、特に気にはならなかったが、「ごめん」という言葉の使い方が、特に誰と話したわけではないが、気になっている。
そもそも「ごめん」は非を詫びる言葉であり、祖母の場合はきっと
「本来なら自分で出来ることなのだけれど、わざわざ世話をかけてしまって申し訳ない」
という、自負を込めた意味で使っているのではないかと思う。
その「ごめん」という言葉の響きがなぜかもどかしい。こちら側としては、祖母はすでに家族の一員であり、気の置けない存在として同居しているつもりではあるが、「ごめん」の一言は私達を拒絶している言葉のように感じてならない。「それほど世話になるつもりはなかった」といった拒否反応とでもいったところだろうか。お互いの信頼関係がまだ構築できていないという残念な感じだ。
きっと受け入れた私達の側にも不備はあっただろう。祖母の気質を理解して心遣いをするという準備は出来ないまま、同居することになったという背景はある。きっと祖母のことをより理解していくことが、これからは必要になるだろう。そして、祖母の「ごめん」がなくなることが、我が家の新しい一歩になるのだろうと思う。
最近、祖母と同居していることは前に書いたが、その祖母に何かしてあげると「ありがとう」と「ごめん」の二通りのどちらかの言葉を返してくれることが多い。「ありがとう」は感謝の気持ちを述べる言葉なので、特に気にはならなかったが、「ごめん」という言葉の使い方が、特に誰と話したわけではないが、気になっている。
そもそも「ごめん」は非を詫びる言葉であり、祖母の場合はきっと
「本来なら自分で出来ることなのだけれど、わざわざ世話をかけてしまって申し訳ない」
という、自負を込めた意味で使っているのではないかと思う。
その「ごめん」という言葉の響きがなぜかもどかしい。こちら側としては、祖母はすでに家族の一員であり、気の置けない存在として同居しているつもりではあるが、「ごめん」の一言は私達を拒絶している言葉のように感じてならない。「それほど世話になるつもりはなかった」といった拒否反応とでもいったところだろうか。お互いの信頼関係がまだ構築できていないという残念な感じだ。
きっと受け入れた私達の側にも不備はあっただろう。祖母の気質を理解して心遣いをするという準備は出来ないまま、同居することになったという背景はある。きっと祖母のことをより理解していくことが、これからは必要になるだろう。そして、祖母の「ごめん」がなくなることが、我が家の新しい一歩になるのだろうと思う。
広陵・中井監督判定に大爆発「あんな判定されると…」 [ZAKZAK]
2007年8月23日 スポーツ
08月23日付 ZAKZAKの報道「広陵・中井監督判定に大爆発「あんな判定されると…」」へのコメント:
昨日に引き続き高校野球の記事に一言。
昨日の決勝戦の分岐点は確かに8回裏一死満塁からの押し出しフォアボールだったと思う。自分もテレビで見ていて、「あれがボールかぁ」と広陵の選手の気持ちを思って、むず痒かった。それほどにストライクに見える真中低めのストレートだった。
そこで、競技は違えど、自分がバスケットボールをやっている時に監督に言われた言葉を思い起こした。
「人間の判定が挟まれるスポーツにおいては、いくら抗議しようと判定が絶対で、バスケットなら5のうち3は判定ミスがあると思ってプレイしなくてはいけない。」
判定競技においては、審判が絶対だということを、深く刻まれた言葉だった。
とはいえ、その判定が選手や関係者の人生に大きな変化をもたらす甲子園という舞台での判定は、万全に正確を期すことが必要だったろう。タラレバは無意味かもしれないが、あの一球がもしストライクだったとしたらどうだったろう。抗議の出来ない選手の心に深く後悔と迷いを遺すことになる判定はあってはならないと思う。その意味では、選手の心を思い切って代弁した広陵の監督の気持ちは、胸に染みるほど理解できる気がする。そんな気がしたある夏の一シーンだった。
昨日に引き続き高校野球の記事に一言。
昨日の決勝戦の分岐点は確かに8回裏一死満塁からの押し出しフォアボールだったと思う。自分もテレビで見ていて、「あれがボールかぁ」と広陵の選手の気持ちを思って、むず痒かった。それほどにストライクに見える真中低めのストレートだった。
そこで、競技は違えど、自分がバスケットボールをやっている時に監督に言われた言葉を思い起こした。
「人間の判定が挟まれるスポーツにおいては、いくら抗議しようと判定が絶対で、バスケットなら5のうち3は判定ミスがあると思ってプレイしなくてはいけない。」
判定競技においては、審判が絶対だということを、深く刻まれた言葉だった。
とはいえ、その判定が選手や関係者の人生に大きな変化をもたらす甲子園という舞台での判定は、万全に正確を期すことが必要だったろう。タラレバは無意味かもしれないが、あの一球がもしストライクだったとしたらどうだったろう。抗議の出来ない選手の心に深く後悔と迷いを遺すことになる判定はあってはならないと思う。その意味では、選手の心を思い切って代弁した広陵の監督の気持ちは、胸に染みるほど理解できる気がする。そんな気がしたある夏の一シーンだった。
佐賀北に深紅の大優勝旗 高校野球、15日間の熱戦に幕 [朝日新聞]
2007年8月22日 スポーツ
08月22日付 朝日新聞の報道「佐賀北に深紅の大優勝旗 高校野球、15日間の熱戦に幕」へのコメント:
久々にまともに野球を見ていた夏の甲子園。やはり高校野球はいいなと思った。試合の一回性とでも言うべきか、対戦相手や試合展開など、勝負そのものがその時限りという特殊な限定された空間の中、繰り広げられる試合は見るものを惹きつける何かがある気がする。
今日の決勝戦に関して言えば、前評判は圧倒的に広陵優位だったろう。一回戦の駒大苫小牧をはじめ、準決勝の選抜優勝校常葉菊川などを実力でねじ伏せてきたチーム力にはかなり完成された強さを感じさせられた。一方佐賀北は、延長の末という泥試合的なものが多く、勝負強さは感じられたものの、実力以外の要素で勝ち進んできた感があり、いまいち安定感に欠けるところがあった。
実際今日も、先制し、毎回のように走者を出して優勢的に試合を運んでいたのは広陵で、8回までは完全に抑えられていた佐賀北には、見てる側として判官びいきをしたくなるような悲壮感が漂う展開になった。僕も佐賀北を応援していたが、それは勝つのはきっと広陵だろうという憶測からだった。しかし、唯一佐賀北が形を作った8回にドラマはあった。突如乱れた広陵のエース野村君が、押し出しのフォアボールを出したことで糸が切れたのか、次の3番副島君に投げたスライダーの甘く入ったボールをホームランに仕留められた。それまでは、アウトサイドに切れていくスライダーで二桁の三振の山を築いていった野村だけに、8回の投球は唯一崩れてしまった悔やまれる内容だった。
ただ印象に残ったのは、試合後の野村君の表情だった。負けたことで悔しさはあったろうが、気丈にも涙は見せずに前を向いていた。この夏を本当に楽しみ、一塊の後悔を胸に秘めた男の顔は、見ていて感慨深いものがあった。
高校野球は本当に面白い。プロにはない面白さがある。来年もこの思いを胸にチェックしていきたいと心新たに思わされた。
久々にまともに野球を見ていた夏の甲子園。やはり高校野球はいいなと思った。試合の一回性とでも言うべきか、対戦相手や試合展開など、勝負そのものがその時限りという特殊な限定された空間の中、繰り広げられる試合は見るものを惹きつける何かがある気がする。
今日の決勝戦に関して言えば、前評判は圧倒的に広陵優位だったろう。一回戦の駒大苫小牧をはじめ、準決勝の選抜優勝校常葉菊川などを実力でねじ伏せてきたチーム力にはかなり完成された強さを感じさせられた。一方佐賀北は、延長の末という泥試合的なものが多く、勝負強さは感じられたものの、実力以外の要素で勝ち進んできた感があり、いまいち安定感に欠けるところがあった。
実際今日も、先制し、毎回のように走者を出して優勢的に試合を運んでいたのは広陵で、8回までは完全に抑えられていた佐賀北には、見てる側として判官びいきをしたくなるような悲壮感が漂う展開になった。僕も佐賀北を応援していたが、それは勝つのはきっと広陵だろうという憶測からだった。しかし、唯一佐賀北が形を作った8回にドラマはあった。突如乱れた広陵のエース野村君が、押し出しのフォアボールを出したことで糸が切れたのか、次の3番副島君に投げたスライダーの甘く入ったボールをホームランに仕留められた。それまでは、アウトサイドに切れていくスライダーで二桁の三振の山を築いていった野村だけに、8回の投球は唯一崩れてしまった悔やまれる内容だった。
ただ印象に残ったのは、試合後の野村君の表情だった。負けたことで悔しさはあったろうが、気丈にも涙は見せずに前を向いていた。この夏を本当に楽しみ、一塊の後悔を胸に秘めた男の顔は、見ていて感慨深いものがあった。
高校野球は本当に面白い。プロにはない面白さがある。来年もこの思いを胸にチェックしていきたいと心新たに思わされた。
朝青龍の帰国容認せず・北の湖理事長、国内療養を要請 [日経新聞]
2007年8月21日 時事ニュース
08月21日付 日経新聞の報道「朝青龍の帰国容認せず・北の湖理事長、国内療養を要請」へのコメント:
実際に見たわけではないから、朝青龍がどの程度の状態なのかは分からない。しかし何回かの医師の診察の通り、精神疾患を負っているのならば、横綱としての責任の取り方うんぬんではなく、治療を最優先させるべきだと思う。心の安静が必要なのならば、建前とかにとらわれず、モンゴル帰国も容認したほうがいいのではないかと、個人的には思う。
確かに朝青龍の症状を治療する技術は日本のほうがモンゴルより優れているかもしれない。しかし、臨まない環境での治療では、早い完治は望めないし、朝青龍自身が自発的に治療に向かうのは難しいだろう。マスコミが張ってる中、治療に向かうのはプライドが許さないかもしれないし、もっともそんな環境では治るものも治らないのではないか。
相撲協会は、朝青龍を廃業に追い込みたいのだろうか?横綱としての品格に欠ける部分があるのは否めないし、今回の件も朝青龍に非があるのは間違いないが、朝青龍はいまとなっては、ただの病人だ。その傷ついた病人を本人の望む治療環境に置くことが一番の親心というものではないだろうか。今までも、問題行動はあったものの、一人横綱として角界を引っ張ってきた朝青龍の功績を認めるならば、再び土俵に上がることを期待して、最良の選択をしてもらえることを望みたい。
実際に見たわけではないから、朝青龍がどの程度の状態なのかは分からない。しかし何回かの医師の診察の通り、精神疾患を負っているのならば、横綱としての責任の取り方うんぬんではなく、治療を最優先させるべきだと思う。心の安静が必要なのならば、建前とかにとらわれず、モンゴル帰国も容認したほうがいいのではないかと、個人的には思う。
確かに朝青龍の症状を治療する技術は日本のほうがモンゴルより優れているかもしれない。しかし、臨まない環境での治療では、早い完治は望めないし、朝青龍自身が自発的に治療に向かうのは難しいだろう。マスコミが張ってる中、治療に向かうのはプライドが許さないかもしれないし、もっともそんな環境では治るものも治らないのではないか。
相撲協会は、朝青龍を廃業に追い込みたいのだろうか?横綱としての品格に欠ける部分があるのは否めないし、今回の件も朝青龍に非があるのは間違いないが、朝青龍はいまとなっては、ただの病人だ。その傷ついた病人を本人の望む治療環境に置くことが一番の親心というものではないだろうか。今までも、問題行動はあったものの、一人横綱として角界を引っ張ってきた朝青龍の功績を認めるならば、再び土俵に上がることを期待して、最良の選択をしてもらえることを望みたい。
この週末でいろいろなことが起こりました。以下、略記。
?祖母が一時的(?)に同居することになった。
?顔の怪我が治ったと思ったら、意外と傷は深くて完治までが長そう。
?パソコンの使用権がなかなか確保できない。
なんとなくこんな感じです。?と?は完全な愚痴なのでいいのですが、?はけっこう我が家にとっても大きなことでした。大学時代には自分が祖母の家でお世話になっていましたが、こっちでお世話することをあまり現実的には考えていませんでした。そういうことは予め想定しておけっ、てな感じです。祖母のことをそっちのけで自分のことを優先してしまう薄情な自分に驚いていました。
まぁ、何よりも高齢な祖母のことなので、気長に付き合っていきたいと思っています。新たに祖母の笑い声が響く家にしたいものです。
?祖母が一時的(?)に同居することになった。
?顔の怪我が治ったと思ったら、意外と傷は深くて完治までが長そう。
?パソコンの使用権がなかなか確保できない。
なんとなくこんな感じです。?と?は完全な愚痴なのでいいのですが、?はけっこう我が家にとっても大きなことでした。大学時代には自分が祖母の家でお世話になっていましたが、こっちでお世話することをあまり現実的には考えていませんでした。そういうことは予め想定しておけっ、てな感じです。祖母のことをそっちのけで自分のことを優先してしまう薄情な自分に驚いていました。
まぁ、何よりも高齢な祖母のことなので、気長に付き合っていきたいと思っています。新たに祖母の笑い声が響く家にしたいものです。
今日はなんとなく忙しない一日。祖母がこの猛暑続きの気候のため体調を崩したようで、両親共に仙台へお見舞いに行くという事態となりました。その準備やらなんやらで使われていたというわけです。もっとも、自分は大学時代に大いにお世話になった祖母なので、決して文句など言えた義理ではないのですが。
それにしても、ニュースとかで熱中症で死者〜人とかなっていてもそれほど気にならないのに、やはり自分の周囲で似たようなことが起こると、急にこの暑さも実感を伴ってきます。祖母も元気だとはいえ(今回の件も入院とかの大げさなものではなく、あくまで軽く体調を崩したということのようです)もう79歳。普通の老人なら一つや二つの持病を抱えて定期的に病院通いをしている年頃です。僕も親孝行をする前に祖母孝行をしなくてはならないので、まだ倒れてもらっては困りますし、できるだけ長生きしてもらいたいものです。
それにしても、ニュースとかで熱中症で死者〜人とかなっていてもそれほど気にならないのに、やはり自分の周囲で似たようなことが起こると、急にこの暑さも実感を伴ってきます。祖母も元気だとはいえ(今回の件も入院とかの大げさなものではなく、あくまで軽く体調を崩したということのようです)もう79歳。普通の老人なら一つや二つの持病を抱えて定期的に病院通いをしている年頃です。僕も親孝行をする前に祖母孝行をしなくてはならないので、まだ倒れてもらっては困りますし、できるだけ長生きしてもらいたいものです。
今日また総合病院の皮膚科に診察してもらいに行った。医者の先生が傷口を見て言うには、顔に多少の傷跡が残ることはあるかもしれないとのこと。それを聞いて普通の人がどういう反応を示すかは分からないが、自分ではどうにも出来ないので「そうですか…」と相槌を打って帰ってくるだけだった。なんとなく他人事のような感覚だった。
自分の性向として、特に忌みごとに関しては、自分自身のものよりも他の人から聞いたことの方が心にずしりと来るような気がする。怪我なども、自分が傷つくよりも、周りの人が怪我してそれを見せられる方がよほど痛いと感じてしまう。特に皮膚がめくりあがったり、血が流れるのを見せ付けられると、どうにもできない恐怖感が湧き上がってきてしまう。一方、自分の怪我などは我慢すればいいだけの話で、それでひぃひぃ言ったところで仕様もないし、その必要もないのだ。
たぶんこれは痛みを実感できるかどうかの問題なのだと思う。自分で痛みを実感できる時には、痛みはそれ以上でもそれ以下でもない。よって我慢すれば何とかなる。しかし、他人の痛みは、時に自分自身のものを超えてしまう。視覚により感知される痛みの感覚には際限がない。全身に痺れるような電流が流れてしまい、痛みは自分自身のもの以上に知覚され、想像力がそれを掻き立ててしまう。他人事は自分自身に起きている問題以上の懸案事項になってしまうのだ。
この傾向は実生活にも当てはまることがある。自分のことよりも他人事を優先させて動いてしまった経験は誰にでもあると思う。自分も忙しいのに、頼まれたから仕方なくそっちを優先する。なんとなく引き受けてしまうならまだしも、断りきれずに引き受けてしまうとなるとかなり重症だろう。それが続くと善意で引き受けていたはずが、ただの使いやすい人間に陥ってしまうことになる。
他人の痛みが分かるがために自分の痛みに鈍感になってしまう。個人の主義にもよるが、あくまで、他人は他人。自分で他人の傷口を広げることなど普通は出来ないし、しないのだから、怪我した時ぐらいは、自分の傷口の面倒だけを見ていればいいのだ。周りの人の傷口まで面倒を診れるのはよほど殊勝な人だろう。弱者の面倒を見れるのは強者のみなのだから、弱い自分でいる時くらい自分のことだけに集中したい。ただ、いつかは誰かのために働けることを祈りながら。
自分の性向として、特に忌みごとに関しては、自分自身のものよりも他の人から聞いたことの方が心にずしりと来るような気がする。怪我なども、自分が傷つくよりも、周りの人が怪我してそれを見せられる方がよほど痛いと感じてしまう。特に皮膚がめくりあがったり、血が流れるのを見せ付けられると、どうにもできない恐怖感が湧き上がってきてしまう。一方、自分の怪我などは我慢すればいいだけの話で、それでひぃひぃ言ったところで仕様もないし、その必要もないのだ。
たぶんこれは痛みを実感できるかどうかの問題なのだと思う。自分で痛みを実感できる時には、痛みはそれ以上でもそれ以下でもない。よって我慢すれば何とかなる。しかし、他人の痛みは、時に自分自身のものを超えてしまう。視覚により感知される痛みの感覚には際限がない。全身に痺れるような電流が流れてしまい、痛みは自分自身のもの以上に知覚され、想像力がそれを掻き立ててしまう。他人事は自分自身に起きている問題以上の懸案事項になってしまうのだ。
この傾向は実生活にも当てはまることがある。自分のことよりも他人事を優先させて動いてしまった経験は誰にでもあると思う。自分も忙しいのに、頼まれたから仕方なくそっちを優先する。なんとなく引き受けてしまうならまだしも、断りきれずに引き受けてしまうとなるとかなり重症だろう。それが続くと善意で引き受けていたはずが、ただの使いやすい人間に陥ってしまうことになる。
他人の痛みが分かるがために自分の痛みに鈍感になってしまう。個人の主義にもよるが、あくまで、他人は他人。自分で他人の傷口を広げることなど普通は出来ないし、しないのだから、怪我した時ぐらいは、自分の傷口の面倒だけを見ていればいいのだ。周りの人の傷口まで面倒を診れるのはよほど殊勝な人だろう。弱者の面倒を見れるのは強者のみなのだから、弱い自分でいる時くらい自分のことだけに集中したい。ただ、いつかは誰かのために働けることを祈りながら。
ふとポータルサイトのトップニュースを見ていたら、「賭博漫画『カイジ』アニメ化」という文字列が目に飛び込んできた。
あの「カイジ」をアニメ化か・・・。個人的には嬉しい限りだが、あんな男むさい漫画をアニメ化して数字をとれるのだろうか。だって暴力なしには語れない漫画だし、半強制的に飛び降りさせたり、ギャンブルに負けて指切断させられたりするんだよ。深夜枠といえどもちょっと濃いんじゃないかと心配してしまう。
前に同原作者の漫画「アカギ」をアニメ化した時も見ていたが、あまりにもおどろおどろしいシーンは簡略化していたし。さすがにお子様が見ていない時間帯とはいえ、血を抜いてヒイヒイ言うのは描ききれなかった感がある。
しかし、勇気ある日テレに一言申し上げるならば、今回は一切の規制なしに制作側に任せてみて欲しい。きっと抗議殺到だろうが、「カイジ」の愛読者としては、その泥臭いシーンなしには本当の「カイジ」ではないのだ。福本さんの作り出すあの説教臭い頭ごなしな会話も、ギャンブルの過程や末に課される懲罰もできるだけ原作に忠実に描いてみて欲しい。それがもっとも視聴者を(簡単に言えば「カイジ」の既読者を)惹きつけることに繋がるんじゃないか。
しかし、あの時間帯の日テレのアニメ枠は冒険しすぎている気がする。「アカギ」に「デスノート」に「カイジ」・・・。確かに話題作ではあるが、漫画の世界観をアニメで着実に描くのは意外と難しいと感じさせられるラインナップ。対象とする視聴者層がはっきりしているだけ勝負しやすいという面もあるが、視聴者が視聴者だけに一歩間違えると大変な批判をうけることになりそうなラインナップ。よく乗り越えてきたと思うよ、ほんと。「カイジ」でぽしゃろうとどうなろうと、僕は見ます。ただしHDD録画してだけどね。
あの「カイジ」をアニメ化か・・・。個人的には嬉しい限りだが、あんな男むさい漫画をアニメ化して数字をとれるのだろうか。だって暴力なしには語れない漫画だし、半強制的に飛び降りさせたり、ギャンブルに負けて指切断させられたりするんだよ。深夜枠といえどもちょっと濃いんじゃないかと心配してしまう。
前に同原作者の漫画「アカギ」をアニメ化した時も見ていたが、あまりにもおどろおどろしいシーンは簡略化していたし。さすがにお子様が見ていない時間帯とはいえ、血を抜いてヒイヒイ言うのは描ききれなかった感がある。
しかし、勇気ある日テレに一言申し上げるならば、今回は一切の規制なしに制作側に任せてみて欲しい。きっと抗議殺到だろうが、「カイジ」の愛読者としては、その泥臭いシーンなしには本当の「カイジ」ではないのだ。福本さんの作り出すあの説教臭い頭ごなしな会話も、ギャンブルの過程や末に課される懲罰もできるだけ原作に忠実に描いてみて欲しい。それがもっとも視聴者を(簡単に言えば「カイジ」の既読者を)惹きつけることに繋がるんじゃないか。
しかし、あの時間帯の日テレのアニメ枠は冒険しすぎている気がする。「アカギ」に「デスノート」に「カイジ」・・・。確かに話題作ではあるが、漫画の世界観をアニメで着実に描くのは意外と難しいと感じさせられるラインナップ。対象とする視聴者層がはっきりしているだけ勝負しやすいという面もあるが、視聴者が視聴者だけに一歩間違えると大変な批判をうけることになりそうなラインナップ。よく乗り越えてきたと思うよ、ほんと。「カイジ」でぽしゃろうとどうなろうと、僕は見ます。ただしHDD録画してだけどね。
DVD ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント 2007/07/04 ¥4,935
見ました、「ゲド戦記」。個人的には過去見たジブリ作品と比べて残念な感じがしました。予習をしていなかった自分が悪かったのかもしれませんが、作品全体に流れる世界観が掴みづらかったような気がしたのと、脚本が原作に忠実だったのかどうか分かりませんが、ジブリ作品に特徴的なファンタジー系要素が薄かった感じがしました。さらに、最後まで映画の内容に「?」の残る部分も多く、鑑賞後もなんだかすっきりしないもやもや感が残ってしまいました。初監督作品だからおおめに見たいとは思いますが、次回作をつくる時には、「これぞジブリ作品」と思わせるようなものに仕上げて欲しいと思います。
見ました、「ゲド戦記」。個人的には過去見たジブリ作品と比べて残念な感じがしました。予習をしていなかった自分が悪かったのかもしれませんが、作品全体に流れる世界観が掴みづらかったような気がしたのと、脚本が原作に忠実だったのかどうか分かりませんが、ジブリ作品に特徴的なファンタジー系要素が薄かった感じがしました。さらに、最後まで映画の内容に「?」の残る部分も多く、鑑賞後もなんだかすっきりしないもやもや感が残ってしまいました。初監督作品だからおおめに見たいとは思いますが、次回作をつくる時には、「これぞジブリ作品」と思わせるようなものに仕上げて欲しいと思います。
HTB「水曜??」鳥取砂丘の砂を違法採取 [日刊スポーツ]
2007年8月9日 時事ニュース
08月09日付 日刊スポーツの報道「HTB「水曜??」鳥取砂丘の砂を違法採取」へのコメント:
今更というか、それだけ人気があるのだなと思わされた「水曜どうでしょう」の不祥事。我が家でも僕が仙台から持ち帰って、埼玉テレビ(現テレ玉)で放送していることが分かって以来、毎週楽しみにしている番組一つになった。
違法とはなっているが、「どうでしょう」のスタッフ・キャスト陣ともにその認識はなかったのだとは思う。ネタ的に「おもしろいから」のノリでやったことだと思うし、取った砂もほとんどは視聴者プレゼントに充てたらしい。すでに7年経っているため、指摘されるとも思っていなかっただろう。地方局が地方局に番組放映権を売るという珍しく超人気番組だけに発覚した不祥事だとは思う。
確かに、鳥取砂丘の砂を持ち帰るのは、甲子園の砂を持ち帰るのとは訳が違うらしい。来る観光客すべてが、砂を持ち帰ってしまっては、そこは補給の利かない砂丘の砂、いつかは枯れてしまうだろう。その意味では「どうでしょう」のはじめHTBの関係者は謙虚に謝ったのは当然だと思う。
最近では一年に一本くらいの企画物として放送されるだけになってしまった「どうでしょう」だけに、その灯火が消えないことを祈るだけだ。我が家をあげて応援している(大泉)洋ちゃん、ミスター(鈴井さん)、Dの二人、これにめげないで良質なバラエティー型旅番組を創り続けて欲しい。
今更というか、それだけ人気があるのだなと思わされた「水曜どうでしょう」の不祥事。我が家でも僕が仙台から持ち帰って、埼玉テレビ(現テレ玉)で放送していることが分かって以来、毎週楽しみにしている番組一つになった。
違法とはなっているが、「どうでしょう」のスタッフ・キャスト陣ともにその認識はなかったのだとは思う。ネタ的に「おもしろいから」のノリでやったことだと思うし、取った砂もほとんどは視聴者プレゼントに充てたらしい。すでに7年経っているため、指摘されるとも思っていなかっただろう。地方局が地方局に番組放映権を売るという珍しく超人気番組だけに発覚した不祥事だとは思う。
確かに、鳥取砂丘の砂を持ち帰るのは、甲子園の砂を持ち帰るのとは訳が違うらしい。来る観光客すべてが、砂を持ち帰ってしまっては、そこは補給の利かない砂丘の砂、いつかは枯れてしまうだろう。その意味では「どうでしょう」のはじめHTBの関係者は謙虚に謝ったのは当然だと思う。
最近では一年に一本くらいの企画物として放送されるだけになってしまった「どうでしょう」だけに、その灯火が消えないことを祈るだけだ。我が家をあげて応援している(大泉)洋ちゃん、ミスター(鈴井さん)、Dの二人、これにめげないで良質なバラエティー型旅番組を創り続けて欲しい。
今日、皮膚科に行ってきた。かといってブラックマヨネーズのボツボツの方(吉田くん?)の話ではない。ある意味、それ以上に間抜けな話だ。それまでの経緯は以下のようなものだ。
先週、とある場所でフットベースなるものをやっていた。真剣勝負でもなんでもない友好的スポーツだ。その競技中に簡単に言えば転んだ。なんとなく上がったフライ性のあたりをしとめるべくキャッチしたところ、以前ここにも書いた腰抜け状態が襲ったのだ。下半身の自由が利かないまま、ボールは落とし、自分は顔面から地面に突っ込んだ。すぐに起き上がることは出来たものの、周囲の反応がおかしい。後になって分かったが、その時の自分はプロレスの場外乱闘状態、つまりは顔面血まみれ状態だったらしい。そのまま、退場して治療してもらったものの、傷は深かった。家に帰ってからも消毒&軟膏で治療を続けるもののなかなか良くならない。よって今日、皮膚科に行ったという訳だ。
皮膚科の先生の反応を見た感じでは、やはり傷は深かったらしく、つくってから一週間くらい経つ怪我だというのに、抗生物質と軟膏を新たに処方された。しかも来週また来るようにとのこと。これは、きっと傷跡が残る怪我なのかなと他人事のことのように思った。
注意一瞬怪我一生という標語のごとく、自分にはここぞという時の注意力が足りない。あんなフライ性のあたり誰か他の人に譲っとけば良かったと思っても後の祭りだ。まぁ、最近の自分は楽観的なのが一つの支え。怪我なんかいつか治るのだからまあいい。傷跡の残り具合にもよるが、ワイルドな感じで痕が残ればいいかなと思う。人の目さえ気にしなければ何とかなる。ただ、膿が止まらないのが今の悩み。他の合併症とかは勘弁なのでしばらくは療養だ。今週末からまた動き出そう。
先週、とある場所でフットベースなるものをやっていた。真剣勝負でもなんでもない友好的スポーツだ。その競技中に簡単に言えば転んだ。なんとなく上がったフライ性のあたりをしとめるべくキャッチしたところ、以前ここにも書いた腰抜け状態が襲ったのだ。下半身の自由が利かないまま、ボールは落とし、自分は顔面から地面に突っ込んだ。すぐに起き上がることは出来たものの、周囲の反応がおかしい。後になって分かったが、その時の自分はプロレスの場外乱闘状態、つまりは顔面血まみれ状態だったらしい。そのまま、退場して治療してもらったものの、傷は深かった。家に帰ってからも消毒&軟膏で治療を続けるもののなかなか良くならない。よって今日、皮膚科に行ったという訳だ。
皮膚科の先生の反応を見た感じでは、やはり傷は深かったらしく、つくってから一週間くらい経つ怪我だというのに、抗生物質と軟膏を新たに処方された。しかも来週また来るようにとのこと。これは、きっと傷跡が残る怪我なのかなと他人事のことのように思った。
注意一瞬怪我一生という標語のごとく、自分にはここぞという時の注意力が足りない。あんなフライ性のあたり誰か他の人に譲っとけば良かったと思っても後の祭りだ。まぁ、最近の自分は楽観的なのが一つの支え。怪我なんかいつか治るのだからまあいい。傷跡の残り具合にもよるが、ワイルドな感じで痕が残ればいいかなと思う。人の目さえ気にしなければ何とかなる。ただ、膿が止まらないのが今の悩み。他の合併症とかは勘弁なのでしばらくは療養だ。今週末からまた動き出そう。
浅田真央、「昨季と違う自分見て」 タラソワ氏が指導 [朝日新聞]
2007年8月5日 スポーツ コメント (1)
08月05日付 朝日新聞の報道「浅田真央、「昨季と違う自分見て」 タラソワ氏が指導」へのコメント:
まだ夏なのにフィギュアスケートへのコメントを。
20年来のファンを自称する母の影響もあってか、昨シーズンはテレビで見れる大会は、ほとんどチェックしました。ジャンプの跳び方の違いが分からない自分ですが、気軽に楽しむことが出来ました。素人目ながらも日本人の印象を言えば、男子は高橋&織田のツートップに終始したし、女子は浅田真央と安藤+αの活躍といったところかと思います。
特に女子に関しては、浅田真央の競技内容はミスがなければ圧倒的に世界NO.1であり、安藤に関してもオリンピックの時と比べると格段に成長したといえるのではないでしょうか。
シーズンを通してチャレンジしてきた浅田真央のステップからのトリプルアクセルは女子では最高難度といって間違いないし、しなやかなスケーティングからくる表現力もトップクラスといえるでしょう。安藤も4回転を封印することでジャンプの精度が上がり、スケーティングなどジャンプ以外の要素に幅がもてたことが成功の要因だったと思います。
今シーズンは開幕前から、織田君が不祥事によりグランプリシリーズへの出場が叶わなくなってしまったので、男子の部の盛り上がりが懸念されますが、女子の部はニューカマーも含めて非常に期待が持てると思います。タイトルにある通り、浅田真央が先シーズンとは違う完成されたミスのない演技を見せてくれればと思うと楽しみでなりません。
まだ夏なのにフィギュアスケートへのコメントを。
20年来のファンを自称する母の影響もあってか、昨シーズンはテレビで見れる大会は、ほとんどチェックしました。ジャンプの跳び方の違いが分からない自分ですが、気軽に楽しむことが出来ました。素人目ながらも日本人の印象を言えば、男子は高橋&織田のツートップに終始したし、女子は浅田真央と安藤+αの活躍といったところかと思います。
特に女子に関しては、浅田真央の競技内容はミスがなければ圧倒的に世界NO.1であり、安藤に関してもオリンピックの時と比べると格段に成長したといえるのではないでしょうか。
シーズンを通してチャレンジしてきた浅田真央のステップからのトリプルアクセルは女子では最高難度といって間違いないし、しなやかなスケーティングからくる表現力もトップクラスといえるでしょう。安藤も4回転を封印することでジャンプの精度が上がり、スケーティングなどジャンプ以外の要素に幅がもてたことが成功の要因だったと思います。
今シーズンは開幕前から、織田君が不祥事によりグランプリシリーズへの出場が叶わなくなってしまったので、男子の部の盛り上がりが懸念されますが、女子の部はニューカマーも含めて非常に期待が持てると思います。タイトルにある通り、浅田真央が先シーズンとは違う完成されたミスのない演技を見せてくれればと思うと楽しみでなりません。
フルキャスト全事業所、過去最長の1カ月事業停止命令 [朝日新聞]
2007年8月3日 時事ニュース
08月03日付 朝日新聞の報道「フルキャスト全事業所、過去最長の1カ月事業停止命令」へのコメント:
学生時代にお世話になったフルキャスト。
派遣先の人使いが荒かったフルキャスト。
交通費も移動時間の手当てもなかったフルキャスト。
愚痴を言えばいくらでも出てきますが、今になって業務停止とは。確かに賃金の割に、仕事がハードだった印象はありましたが、いくら立場の弱い派遣業であっても、お上の言うことはちゃんと聞かないといけないんじゃないかと。きっと今ごろ2CHの対象サイトは炎上していることでしょう。もうお世話になることはないと思いますが、仙台にあるフルキャストスタジアムの名前を剥奪されないことを願います。
学生時代にお世話になったフルキャスト。
派遣先の人使いが荒かったフルキャスト。
交通費も移動時間の手当てもなかったフルキャスト。
愚痴を言えばいくらでも出てきますが、今になって業務停止とは。確かに賃金の割に、仕事がハードだった印象はありましたが、いくら立場の弱い派遣業であっても、お上の言うことはちゃんと聞かないといけないんじゃないかと。きっと今ごろ2CHの対象サイトは炎上していることでしょう。もうお世話になることはないと思いますが、仙台にあるフルキャストスタジアムの名前を剥奪されないことを願います。
重耳〈下〉 (講談社文庫)
2007年8月2日 読書
ISBN:4062633256 文庫 宮城谷 昌光 講談社 1996/09 ¥620
完読しました。中国史をかじった者として、尊敬を覚えました。史書を単純に読むだけでは、宮城谷さんが書くほど、人物や事象を活き活きと描けるはずはありません。当時の世界に身を置くほど、深く深く丁寧に読み込まなければ、この小説は世に認められなかったでしょう。(実際、芸術選奨文部大臣賞受賞作になっている)
小説としては、史実を丁寧に説明している文章の性質上、読みづらいかもしれませんが、それにもまして、人物の躍動感は読者を引き込み、夢中にさせてくれると感じました。歴史好きにはたまらない美しい文脈も多くの人を惹きつけているのではないでしょうか。宮城谷さんのその他の作品も、中国史の黎明期には、名を馳せた人物についての小説なので、機会があったらまた拝読させてもらいたいと思います。
完読しました。中国史をかじった者として、尊敬を覚えました。史書を単純に読むだけでは、宮城谷さんが書くほど、人物や事象を活き活きと描けるはずはありません。当時の世界に身を置くほど、深く深く丁寧に読み込まなければ、この小説は世に認められなかったでしょう。(実際、芸術選奨文部大臣賞受賞作になっている)
小説としては、史実を丁寧に説明している文章の性質上、読みづらいかもしれませんが、それにもまして、人物の躍動感は読者を引き込み、夢中にさせてくれると感じました。歴史好きにはたまらない美しい文脈も多くの人を惹きつけているのではないでしょうか。宮城谷さんのその他の作品も、中国史の黎明期には、名を馳せた人物についての小説なので、機会があったらまた拝読させてもらいたいと思います。
ようやく梅雨明けみたいですね。夏はやはり夏らしいほうが好きなので、早くからっと晴れる日々が続いて欲しいものです。
とはいえ、最近まで僕は、冬派でした。寒いのが好きということではなく、夏との比較で「暑いのはどうやっても避けられないけれど、冬の寒さは着重ねれば寒くないから。」という実際的理由によってですけれど。
しかし最近、寒さが骨身に染みるようになってきました。冷え性っぽさも響いてか、凍える冬より汗ばむ夏のほうが肉体的にも精神的にも優しいと思える年齢になってしまいました。はっきりいってお年よりの感覚です。
理由はどうあれ、夏派になってから、夏の良いところがいろいろと見えてきました。休みは長いし、イベントは多いし、陽気だし・・・。まだ、夏っぽいことには何も関わっていないけれど、「俺の夏’07」が来ることを思って、これからも夏を楽しみたいと思います。
とはいえ、最近まで僕は、冬派でした。寒いのが好きということではなく、夏との比較で「暑いのはどうやっても避けられないけれど、冬の寒さは着重ねれば寒くないから。」という実際的理由によってですけれど。
しかし最近、寒さが骨身に染みるようになってきました。冷え性っぽさも響いてか、凍える冬より汗ばむ夏のほうが肉体的にも精神的にも優しいと思える年齢になってしまいました。はっきりいってお年よりの感覚です。
理由はどうあれ、夏派になってから、夏の良いところがいろいろと見えてきました。休みは長いし、イベントは多いし、陽気だし・・・。まだ、夏っぽいことには何も関わっていないけれど、「俺の夏’07」が来ることを思って、これからも夏を楽しみたいと思います。
金光大阪、今治西など5校甲子園へ・高校野球 [日経新聞]
2007年7月30日 スポーツ
07月30日付 日経新聞の報道「金光大阪、今治西など5校甲子園へ・高校野球」へのコメント:
今年も高校野球の季節がきた。とはいえ、僕みたいなミーハーな人間は、地元の高校の動静が気になるだけで、勝負の一回性に多少の感傷を覚える以外は、特に何がどうということはない。ただ偶然、去年に地元局の放送で見たみた母校の試合が今も頭に残っている。
結果を言えば、母校は負けた。野球部が特に強い学校でもないので、そのこと自体にはショックを受けなかったが、試合後の応援席での出来事が心を打った。応援指導部を中心にして、相手校にエールを送っていたのだ。少ない人数であったが、母校の生徒が一つになって、相手校の名前を叫ぶ姿は壮観であった。
意外と、試合だけに注意が向きがちで、そのような陰ながらの部分には気を留めないものだが、カメラがふと映したそのワンシーンには、いたく感激を覚えた。OBとして、とても誇らしく思え、いわゆるノスタルジーを感じられた。
学生時代の時間というのは、取り戻せないものを多く含んでいる。負けた悔しさの中、相手校にエールを送れる心の豊かさは、自分達に向けての凱歌にもなるのではないか。負けは負けだが、決して自らに負けたわけではないのだ。勝負に負けたからといって、人生に負けたわけではないのだ。若き日の悔しさが次なるエネルギーを生むのなら、後輩達はとても素晴らしいパワーを手にしていることだろう。そして、その心持ちが、私のようなさりげなく彼らと関わりを持った人間にも感動を与えていることを、いつの日にか気付いて欲しいと思う。
選手はもちろんだが、そのような美しい姿を見せてくれた後輩達に、僕からもエールを送りたい。
今年も高校野球の季節がきた。とはいえ、僕みたいなミーハーな人間は、地元の高校の動静が気になるだけで、勝負の一回性に多少の感傷を覚える以外は、特に何がどうということはない。ただ偶然、去年に地元局の放送で見たみた母校の試合が今も頭に残っている。
結果を言えば、母校は負けた。野球部が特に強い学校でもないので、そのこと自体にはショックを受けなかったが、試合後の応援席での出来事が心を打った。応援指導部を中心にして、相手校にエールを送っていたのだ。少ない人数であったが、母校の生徒が一つになって、相手校の名前を叫ぶ姿は壮観であった。
意外と、試合だけに注意が向きがちで、そのような陰ながらの部分には気を留めないものだが、カメラがふと映したそのワンシーンには、いたく感激を覚えた。OBとして、とても誇らしく思え、いわゆるノスタルジーを感じられた。
学生時代の時間というのは、取り戻せないものを多く含んでいる。負けた悔しさの中、相手校にエールを送れる心の豊かさは、自分達に向けての凱歌にもなるのではないか。負けは負けだが、決して自らに負けたわけではないのだ。勝負に負けたからといって、人生に負けたわけではないのだ。若き日の悔しさが次なるエネルギーを生むのなら、後輩達はとても素晴らしいパワーを手にしていることだろう。そして、その心持ちが、私のようなさりげなく彼らと関わりを持った人間にも感動を与えていることを、いつの日にか気付いて欲しいと思う。
選手はもちろんだが、そのような美しい姿を見せてくれた後輩達に、僕からもエールを送りたい。
日本、韓国にPK負け・サッカーのアジア杯3位決定戦 [日経新聞]
2007年7月29日 スポーツ
07月29日付 日経新聞の報道「日本、韓国にPK負け・サッカーのアジア杯3位決定戦」へのコメント:
今回のアジアカップ。日本には追い風が吹いていたはずだったと思う。グループリーグ首位通過で移動は少なかったし、日本のやりたいサッカーもある程度見えていた。しかし、内容的にも勝てるはずだった試合を二試合連続で落としてしまったのは悲しすぎる。特に、韓国戦は相手が審判のよく分からない判定で一人少なくなってから、完全に日本が主導権を握り、チャンスが何回もあったにもかかわらず、負けた。なんか決定的なシーンをことごとく潰された感じ。本人も言っていたが(PK戦のことだが)、オシムジャパンにはなにか憑いてるとしか思えない。運がない。
ただ、韓国戦だけは勝つべきだった。次回の予選免除という特権を逃したのが大きかった。アジアカップは各国協会の持ち出しが多いらしい。某新聞記事によると、予選期間中に親善試合を組めれば、日本サッカー協会は莫大な資金を手に出来たとのことだ。次回も予選は当然通過するだろうが、この資金を逃したのは大きい。代表の強化費用に充てられるはずだった、大切な資金を日本は逃したことになる。
結果を求められるならば、今回のアジアカップは責められる部分も多いとは思う。ギリギリのラインではあるが、三位以内が目標であったのにそれを達成できなかったからだ。ただ、オシム監督にその責を押し付けることは出来ないだろうし、選手にもだれが悪いとは言い切れないと思う。最終目標が南アフリカであるならば、未だ道半ばだ。今回の苦い経験を活かして、今後の代表のあり方(戦術など)を再考して欲しいと思う。
P.S. サーバー落ち長すぎ。。。
今回のアジアカップ。日本には追い風が吹いていたはずだったと思う。グループリーグ首位通過で移動は少なかったし、日本のやりたいサッカーもある程度見えていた。しかし、内容的にも勝てるはずだった試合を二試合連続で落としてしまったのは悲しすぎる。特に、韓国戦は相手が審判のよく分からない判定で一人少なくなってから、完全に日本が主導権を握り、チャンスが何回もあったにもかかわらず、負けた。なんか決定的なシーンをことごとく潰された感じ。本人も言っていたが(PK戦のことだが)、オシムジャパンにはなにか憑いてるとしか思えない。運がない。
ただ、韓国戦だけは勝つべきだった。次回の予選免除という特権を逃したのが大きかった。アジアカップは各国協会の持ち出しが多いらしい。某新聞記事によると、予選期間中に親善試合を組めれば、日本サッカー協会は莫大な資金を手に出来たとのことだ。次回も予選は当然通過するだろうが、この資金を逃したのは大きい。代表の強化費用に充てられるはずだった、大切な資金を日本は逃したことになる。
結果を求められるならば、今回のアジアカップは責められる部分も多いとは思う。ギリギリのラインではあるが、三位以内が目標であったのにそれを達成できなかったからだ。ただ、オシム監督にその責を押し付けることは出来ないだろうし、選手にもだれが悪いとは言い切れないと思う。最終目標が南アフリカであるならば、未だ道半ばだ。今回の苦い経験を活かして、今後の代表のあり方(戦術など)を再考して欲しいと思う。
P.S. サーバー落ち長すぎ。。。
伊サッカークラブが来日中止、柏崎刈羽原発を懸念 [日経新聞]
2007年7月24日 時事ニュース
07月24日付 日経新聞の報道「伊サッカークラブが来日中止、柏崎刈羽原発を懸念」へのコメント:
テレビで第一報を聞いた時には、「そこまでするか!!」と訝しがった。しかし、よくよく考えてみると、非は明らかに日本側にある。
そもそも唯一の被爆国である日本ならばこそ、被害程度の分からない放射能漏れであれ、大げさすぎるほどに問題視するべきなのではないか。原子力の平和活用も安全が前提であってこそだ。欧州ではチェルノブイリの被害がまだ緒を引いている地域もあるらしい。日本の平和ぼけを指摘されても致し方ないだろう。今回の友好的な来日の断念も、そのような背景があってのことだろうし、むしろ、日本側の対応に問題があったとしかいえない。ただただ、試合会場であったはずの地方の人々の残念な顔が思い浮かんでしまうが、原発に関してはより厳重な管理体制を敷くことを願うのみである。
あらゆる政治的な配慮が後手後手にまわっているのがもどかしいが、この一件で日本の安全意識と外交相手国への配慮の欠如を考え直す良い機会になればこそだ。
テレビで第一報を聞いた時には、「そこまでするか!!」と訝しがった。しかし、よくよく考えてみると、非は明らかに日本側にある。
そもそも唯一の被爆国である日本ならばこそ、被害程度の分からない放射能漏れであれ、大げさすぎるほどに問題視するべきなのではないか。原子力の平和活用も安全が前提であってこそだ。欧州ではチェルノブイリの被害がまだ緒を引いている地域もあるらしい。日本の平和ぼけを指摘されても致し方ないだろう。今回の友好的な来日の断念も、そのような背景があってのことだろうし、むしろ、日本側の対応に問題があったとしかいえない。ただただ、試合会場であったはずの地方の人々の残念な顔が思い浮かんでしまうが、原発に関してはより厳重な管理体制を敷くことを願うのみである。
あらゆる政治的な配慮が後手後手にまわっているのがもどかしいが、この一件で日本の安全意識と外交相手国への配慮の欠如を考え直す良い機会になればこそだ。
最近のはっきりしない空模様と同じように自分の心持ちもはっきりしない。
短期的には「何がしたいか」「どうなりたいか」がはっきりしているものの、中長期的な目標のようなものが浮かんでこない。すでに周りより遅れをとっていることははっきりしているのだから、焦る必要はないと思われそうだ。しかし、だからこそ自分独自のビジョンを掲げて生きていきたいという気もなくはない。
もしくは、そんな大それたものなど放棄して、流れのままに生きていくという選択肢もある。だがやはり、人として生まれてきたからには、なにかしらかのものを遺していきたい。こんな自分でもそのような欲求を抱いてしまう。
ただ分かっていることは、このはっきりしない梅雨空もいずれは追いやられるように去るということだ。梅雨はいずれは終わる。自分の悩みも梅雨空のようなものだったら、いつかは解決されるということか。そうあることを無策のまま待ち焦がれている。そんなことだから不安は枯れない。いったい梅雨の後に訪れるのはどのような空なのだろうか。
短期的には「何がしたいか」「どうなりたいか」がはっきりしているものの、中長期的な目標のようなものが浮かんでこない。すでに周りより遅れをとっていることははっきりしているのだから、焦る必要はないと思われそうだ。しかし、だからこそ自分独自のビジョンを掲げて生きていきたいという気もなくはない。
もしくは、そんな大それたものなど放棄して、流れのままに生きていくという選択肢もある。だがやはり、人として生まれてきたからには、なにかしらかのものを遺していきたい。こんな自分でもそのような欲求を抱いてしまう。
ただ分かっていることは、このはっきりしない梅雨空もいずれは追いやられるように去るということだ。梅雨はいずれは終わる。自分の悩みも梅雨空のようなものだったら、いつかは解決されるということか。そうあることを無策のまま待ち焦がれている。そんなことだから不安は枯れない。いったい梅雨の後に訪れるのはどのような空なのだろうか。