歩くこと

2008年4月13日 思うところ
歩くことはそう難しいことではない。ただ意識の赴くままに足を前に踏み出せばいい。至ってシンプルで簡単な行為だ。

しかし目を瞑ってしまうことで、歩くことは極端に難しくなる。自分の先にあるものが何なのか分からない状態で前に進むことは、たとえそれが広く開けた場所であっても困難だ。試してみてほしい。10メートルも進めば、恐怖心が身を包み全てに疑心暗鬼になってしまうだろう。その恐怖に耐えて歩き続けることは、多大な勇気と精神力を必要とする。

ただ、たとえ見えなくても、慣れたフィールドを歩くことは、それほど難しくはない。また、何かの助けを借りられれば恐怖は和らぎ、踏み出す力へと変わる。

見えるとき。見えないとき。知っているとき。力を借りるとき。

歩くことは簡単なようでも奥が深いのだ。

逃亡者

2008年4月12日 家族
昨日、母が旅行に出かけた。これだけ聞くなら大したことではないだろう。ただ困るのは、それが思いつきの行動であることだ。
「私ちょっと旅行に出てくるから、あと宜しくね」だそうだ。全く計画も何もあったものではないし、いつ帰ってくるのかも告げていかない突拍子もない行動だ。

まあ、残されていくのが僕達兄弟だけなら気楽なものなのだ。しかし、今我が家には祖母がいる。食事を用意しようにも、肉を食べれず、好き嫌いの多い祖母がいるため、自分達の自由にするわけにもいかない。しかも祖母は不自由というわけではないが、極端に体力がないため、外に出すのが危うい。元気ならば近くのスーパーなりに行って、好きなものを買ってくればいいのだがそれも叶わない。

考えてみれば祖母が来てから、我が家のフットワークは極めて重くなった。外に食べに行こうにも、偏食がちな祖母がいてはかなりチョイスする店が限られてしまうし、そもそも出かけようにも我が家の車では定員オーバーになってしまう。そのことで祖母を責めようとは思わないだけに、なんとなくストレスが溜まってしまう。おそらく今回の母の行動もそのフラストレーションの爆発によるものだろうと思う。

表面上は感じさせないが、どうも母と祖母とは反りが合わないらしい。自分中心の自由人である祖母は、年も年だけに都合の悪いことはすぐ忘れる。そのわりに妙に偏屈なところがある。周りが自分の思い通りにならないと不満を表す母は、自分の善意が相手に通じないとすぐに癇癪を起こす。この二人が合うわけはない。もう少しお互いを理解していればいいのだが、そうはならない。

もっとも我が家の兄弟達は飄々としているため、そのあたりはのらりくらりとかわしている。ただ、最近家の雰囲気が悪いのは確かだ。嫁姑問題は世の中に溢れているとはいえ、うちは圏外と思っていたがそうでもない。

どうでもいいが、自分達の不満を直接に言わず、子ども達に吹き込むことだけはやめてほしい。聞いていて愚かしい。
先日、自分の携帯電話に父から電話があったのだが、砂嵐のような音が鳴ってあちらの声は聞こえるのにこちらの声が届かないという不具合が生じた。前々からカメラ機能も使えなくなっていたので、いい加減修理に出すことを決断し、今日、修理が完了したとのことで受け取りに行った。

多少費用がかかかる(ポイントで相殺したが)とのことだったので、内部部品の交換などがあるのだろうなと思っていたが、もらって驚いた。まるで新品だ。何回も落としたことのある携帯だったので、傷は数多くついていたはずなのだが、それが全くない。ということは中の部品だけでなく、カバーとかも全部交換したのだろうか。愛着のあった携帯だったから機種変更ではなく修理にしたのに、なんとなく自分のもののような感じがしなくなってしまって、きれいになって嬉しいはずがなんとなく物足りなくなった。

勝手な想像だが、もしかしたら分解してみてものすごく破損部品が多かったから、部品交換するより新品渡した方が安上がりとの判断から、物自体を交換したのではないか。そう思えるほどの新品ぶりだ。まあ、これでしばらくは携帯のことで悩まされることはないだろう。自分は携帯では通話とメールと天気予報の確認さえ出来ればいいと思うほうなので。

依存症

2008年4月10日 思うところ
 誰かに必要とされるということは、結果的にその人を必要とすることになるという不思議さを含んでいる気がする。人はみな寂しいのだ。

死神の精度

2008年4月6日 読書
映画も公開中の伊坂幸太郎さんの本。人の死の可否を判定するために当人に接触して調査する千葉という名の死神を主人公にした連作短編集。

読み始めて少し経った頃に、これは今まで読んだ伊坂さんの小説とは雰囲気が違うなと思った。なんと言ったらいいか分からないが、背景描写などにも暗さが前面に出ているにもかかわらず、その暗さが物語全体を支配せずに、なんとも言えないミステリアスな雰囲気を作り出しているといった感じを受けた。基本シリアスな展開が続くのに時にファニーな印象を受けるのも、読んでいて不思議な感じだった。僕にとってはかなり好印象だった。

死神に関しての設定に特殊なものが多いにもかかわらず、読んでいて違和感をほとんど感じないのも不思議な感じだった。死神が一般に認識されている恐怖の対象としてのそれではなく、死に関しては絶対的な権限を持ちながらも、万能ではなく、人間のことをそれほど熟知していないという設定にも何か惹かれるものがあった。死神のわりに人間臭さがあったというべきか。疑問に思うことを素直にぶつけるその一言が妙に哲学的であったりするのにははっとさせられることがあった。

よくよく考えてみれば、伊坂さんは長編小説のときにも細かく章を区切っていることが多い。そして群像劇を書くのが抜群にうまい。それを踏まえると今作のように短編を並べてみて、最後に横の関係を持たせてみるという小説の書き方は得意とするところなのだろう。各短編にも仕掛けが施してあり、全部を読み終わった後にも相互の関係性があることに新たに気づかされる。この二重のトリックにははまってしまうと抜けられない力がある。

個人的には長編より短編集の方がとっつきやすくて好きだ。『チルドレン』も結構好きだが、それとは雰囲気の違う今作も良かった。どれも精度は高かったが、個人的には「旅路を死神」が好きだ。『重力ピエロ』とのつながりが意外だったのと、仙台が出てきたから。
04月04日付 日経新聞の報道「沖縄尚学が9年ぶり2度目の優勝」

 どちらかといえば聖望の方を応援していたので、あれだけの大差を付けられるとちょっと凹みますね。準決勝までは投手が粘って投げていた感じがしていたのに、ここまで打ち込まれるとは。しかも完全に押さえ込まれるし。やはりこの辺が強豪校と初出場校の違いなんですかね。まあ、結果沖縄の皆様の勝ちということで。沖縄では久しぶりの明るいニュースといった感じなんでしょうか。多少の悔しさは残りますが、それに貢献できただけでも良しということにします。沖縄の皆さんおめでとうございます

 ちなみに応援してた割に、聖望高校のことを全くといっていいほど知らなかったです。自分が受験の時には、そんな高校のデータまったくなかったので。やはり同じ県内といっても広いものなんですね。
 人と会うたびに思うことがある。会う人が「どっちの側の人間」なのかということだ。昔からぼんやりとは思い描いていたのだが、それが色濃くなってきた感じだ。

 どっちの側というのは、陰陽二元論的な考えから持ってきたものだ。例を挙げて言うと、周りの人を自らの力で照らすことで自分の本領を発揮する側か、周りの人に照らされて自分の本領を発揮する側か、といった種類の二元論だ。明るい暗いともいえるかもしれない。ただ、性格的な明るい暗いというのはまったく関係がない。

 昔から人に会うたびに思うのだが、この二元論はきっと先天的なものではないと思う。ある程度は遺伝的なものもあるだろうが、成長過程で色々な影響を受けることによって分岐するもののような気がする。だからどちらかあいまいな感じの人も中にはいる。だが、大人と呼ばれる段階に踏み入れている人に関して言えば、結構はっきりと分かれている感じがするのだ。

 ただこれが難しいところなのだが、表面上の振る舞いだけではその陰陽は見分けることが出来ないと思う。もっと根源的な何か奥深いところにその人の培ってきたものが宿っている気がする。おそらく本人にも分からないところでそれは息づいている。きっと各人に問えば、誰しもが「陰」的な性質だと答えるかもしれない。でも、それは確かではないこともあるのではないか。そういう本人にも分からない自分というものがあっても良いと思うのだ。

 そして、陰と陽は惹かれあうが、陰同士、陽同士は反発するといった性質もある。同属嫌悪といったところだろうか。なにか自分と同じに見える人というのは、生理的に受け付けなかったりする。逆に自分とまったく違うタイプの人なのに妙に馬が合う。そういう経験は誰にでもあるのではないか。もちろん例外はあるが。
 
 グダグダと書いてみたが、このことを考え始めるきっかけとなったのが、昔に読んだ宮城谷昌光さんの『孟嘗君』だ。物語の中でほぼ主人公的な位置を占める活躍をする白圭という人物が、控えめな美しさをたたえた女性と自分の関係性を評して「自分は陰の人なので、あのような陽の気を纏った人を妻としたい」といったことを思うシーンがあった(と思う)。それを読んだ時に僕は深く考えさせられる所があった。白圭のような人の先に立って行動する人物でも自分を「陰」と思うのかと。ならば陽を纏うにはどうしたらいのかと。そのことを頭に入れたときから、自分の考え方にも多少なりとも変化が起こった。

 そういうきっかけで、僕は人と知り会うたびにその人の本性を覗き見ようとしている。でもほとんど分からない。分かるはずもないのかもしれない。ただ、そういう考え方をすることで世界が広がったのは間違いないと思う。人と自分との関係性を考えるのも確かに大切だ。しかし本当に大切なのは、相対的な関係性を求めて人の本性を覗き見ることではなく、絶対的なものとしての自分を磨くことなのだろう。 
 

 

 
 
03月31日付 朝日新聞の報道「次長課長の河本さん、放送中にけが 骨折で全治1カ月」へのコメント:

 見てました。TBSオールスター感謝祭。なんか今までメイン的な感じだったマラソンを押しのけて、トリ的な位置を占めていたヌルヌル相撲だったわけですが、そもそもあれのどこがそんなに面白いのかがいまいち分からなかったのは僕だけなのでしょうか。そんな中でも河本さんは盛り上げようと必死に動き回って頑張っていたとは思うんですが、それが骨折とは。確か一回取り直し(相撲の)してたはずだけど、一戦目ですでに折れてたんですかね。そう考えると二戦目のあのシャープな動きをしていたときにはすでに満身創痍で、そんな状態の中、小川直也に勝っていたんでしょうか。芸人としてかなり腕があるなと感心しました。それにしてもあの企画は今回の骨折をもって打ち止めになるんでしょう。なんとなく司会者の紳助さんとかすごい好きそうな企画だったので残念でしょうね。まあ、どうでもいいんですが。
 よっぽどのことがない限り薬などには出来るだけ頼らないようにしている僕だが、最近母親の勧めでこの栄養剤を飲むようになった。特に肌荒れが気になるわけでも栄養不足なわけでもないけれど、ある意味お守りを持つかのように飲み続けている。
 かといって目を見張るように元気になるわけでもない。母の気まぐれで数年の周期で代わる代わるこういった栄養剤を飲まされることがあるのだが、飲んでいる期間には不思議と病気もしないし、風邪一つ引かない。
 僕は個人的には、これは薬の効力ではなく、気持ちの持ちようの気がする。確かに薬の作用で栄養状態が改善されるということもあるのだろうが、飲んでいるから大丈夫といった自己暗示的なものが働いて、結果的に健康が維持されているような気がするのだ。こんなことを言っては製薬会社の方に怒られるかも知れないが、気分的なプラス効果というのは、自分が思っている以上に大きいものだと思う。
 ちなみに最近CMでやっているのは「チョコラBBプラス」なのだが、我が家は「プラス」ではなく「ピュア」の方をこだわりをもって飲んでいる。理由は分からない。強いて言えば「プラス」を求めるより「ピュア」を求める気持ちが強いからか。純粋なものほど強いと言ったところだろう。
ISBN:4101058210 文庫 角田 光代 新潮社 2003/06 ¥420

 これも去年の「新潮文庫の100冊」に選ばれていた本。なんとなくだけれど、出版社が特別に推薦している本は悪くない気がして手にとってみた。

 小学5年の女の子が別居しているダメなお父さんに半同意的に誘拐(キッドナップ)されて、夏休みの貧乏旅行をする話だった。難しい言葉なしで、子供口調で語られる物語には多少戸惑いを覚えた。なんとなく自分はこんな言葉遣いしていなかったなぁと思ったので。ただ、父親に対しての、語られることのない感情やある時に思わず爆発する思いなどには、「そういう時期もあったなぁ」と自分の同時期を思い起こして懐かしくも感じた。父と娘の交流記といった形の児童文学であると思うし、主人公の女の子くらいの年齢のほうが読んでいて共感できる部分は多いと思う。または、子どもとのコミュニケーションに悩む親世代の人が対象かと。ただ、父が母に何を要求していたのかが最後まで明らかにされず、いまいちすっきりしない感じで話が終わってしまうのが残念だった。、もっとも明かされない方が想像力を掻き立てられていいのかもしれないけれど。軽く読める本ではあるけれども、好き嫌いは結構分かれそう。

 

2008年3月25日 思うところ
人を許せないとその人の毒が自分にも感染する。
その毒素が広がると自分も下らない人間になってしまう。
許すためにすべきことは対決か無視。
方法論は遥かに離れる。
03月22日付 日経新聞の報道「サクラ咲いた、東京など一番乗り」へのコメント:

 春分の日も過ぎ、花見の季節が来た。本格的に春が到来したといった感じだ。日も長くなり、だんだんと暖かくなっていくこの季節は、花粉症のことを除けば、期待と一抹の不安に胸を膨らませる時季だろう。

 今日は彼岸ということもあって、家族総出でお墓参りに行き、帰り際に近くの梅林公園に行ってきた。桜にはまだ早かったらしく、蕾すら窺えなかったが、梅は5分から満開といった具合で、それなりに楽しめた。奈良時代あたりでは、花見の対象が梅だった時代もあったそうだが、やはり花見の華やかさの点で言えば、梅は桜には及ばない気がする。梅はもののあわれ的な感じで、桜はをかし的な感じなのだろう。

 桜は南から順々に咲いていくものだと思っていたが、意外とそうではないというのを最近になって知った。そもそも東京での開花が日本で最初というのが、なんだか東京びいきのようだ。桜前線という言葉もあるのだから、しっかりと順序を守って咲いてほしいという気がする。

 花を楽しむというのは、この季節特有のものだと思う。どこもかもが都会化し、五感で捉えられる季節感がなくなってしまった中で、花見というのはその例外として存在しているように思う。そのような有り難い感覚を楽しむ感性は大切にしたいし、今年も機会があれば何回でも花見を楽しみたいと思う。
03月20日付 日経新聞の報道「両横綱が相次いで敗れる・千代大海はかど番脱出」へのコメント:

 今日家に帰ってきたら、弟と母が嬉しそうな顔をしているので何のことかと思ったら、案の定スポーツ関連の話だった。
「白鵬がぁ」「朝青龍がぁ」「浅田真央がぁ」
といってかまかけてくるので、
「負けた」「負けた」「こけた」
と適当に言ったのだが、正答率は6割5分を超えた。

 正直、朝青龍が復帰して以降(まだ2場所目だけど)の大相撲は、横綱以外が優勝する気がまったくしない展開になっている。さすがに全勝で千秋楽を迎えることはなくなったが、それでも2人の力は素人目にも抜きん出ていて、危うい展開になっても負けない安定感はさすが最上位力士と言ったところだ。

 その二人が今日負けた。白鵬のそれは対応し切れなかったタイプの負けで、朝青龍のそれは力負けだった。技術的、精神的にどちらの負け方がより悪いかは分からないが、個人的には朝青龍の負け方のほうがショッキングな感じがした。今場所の朝青龍には強さの底が見えなかったのだが、それが見えてしまった気がしたからだ。一方白鵬の2敗は両方とも予想しなかった、油断したといったタイプの負け方だと思う。

どちらが優勝するかは終わってみなければ分からないが、横綱が負ける瞬間を見るのがこれほど楽しみにされると言うのも、二人の強さを証明しているだろう。しかし、やはり白鵬より朝青龍が負けた瞬間の方が会場は盛り上がっていたようだ。ヒールは負けてこそ役割を果たすといったところか。

ちなみにフィギュアスケート世界選手権はショートプログラムが終わって、浅田が2位、中野が3位、安藤が8位らしい。大きなミスをしてないはずなのにトップを取れないということはフィギュア界全体のレベルが上がっているということなのだろうか。他の競技よろしく日本人が干されるという事がないことを願う。
ISBN:4101253323 文庫 梨木 香歩 新潮社 2001/07 ¥420

 去年の「新潮文庫の100冊」に含まれていた作品。作家や作品への予備知識なしに読んでみた。

 なにが上手なのかはっきりとは分からないが、親しみやすく温かい文章を書く人だという思いが読み進めていくにつれて深くなった。それでいて生きていくための指針となるような大切な言葉を、優しい文体に乗せて届けてくれる。決して人目を引くような文章でもないし、派手な展開が起きるわけでもないのに、とある日常の風景を描く中にこれだけ多くのものを含ませることが出来るのは正直に素晴らしいと思った。誰もが生きていく中でぶつかる苦悩が、誰にでも分かる言葉で綴られているところなどは非常に共感を覚えるし、夢に描くような自然の中での生活を心の豊かさと共に表すところなども、読んでいて心地よかった。

 おそらく受賞している賞などから考えると、ジャンル的には児童文学に分類されるのだろうが、これは誰が読んでも納得できる作品だと思う。心がが温かくなる。もちろん多感な時期に読むのも感性が広がっていいだろう。こういう文章を書ける人がいるのを見つけられて良かったと思う。
ISBN:4396332688 文庫 伊坂 幸太郎 祥伝社 2006/02 ¥660

 また読んでしまった伊坂作品。まず題名にセンスがあるなと思い、内容はどんなものだろうかと期待感が膨らんだ。結論から言うと、期待はずれではなかったが、期待通りでもなかったというところだろう。

 まず、伊坂さん独特の伏線と群像劇的要素を織り交ぜた、テンポ良い展開にはさすがに引き込まれるところがあった。それに登場人物の特殊能力やウィットに富んだ会話などがスパイスになって楽しめたには楽しめたし、読んで良かったと素直に思える作品ではあったと思う。エンターテイメントとしてはかなり成功している。

 しかし、だ。伊坂作品をほぼといっていいほど読んできた今となっては、上記のような物語を織り成す要素というのにはもう慣れがきてしまっていて、いまいち新鮮味に欠けたというのが実感だった。これ以上のものを求めるのは贅沢だとは思うし、読者レビューを読んでも10人中9人が絶賛しているのだからいいではないかという気にもなるのだが、まだ物足りなさを感じてしまう。

 きっとこれは伊坂幸太郎に対する期待感から来るものだと思う。彼はきっとものすごい作品を書けるはずだといった期待感だ。誰もが驚くような仕掛けを施した作品をいつかは世に生み出すに違いない、と僕は思う。そのような将来的大作を基準にして考えると、やはり『陽気なギャング〜』はその前段階のジャブに過ぎないような感じがする。もっと大きく衝撃的なパンチを放って、読む者全てをKOしてくれることを願っている。
 多少息を切らして、電車に飛び乗った。今日はたまたま駅につくのが遅れて、プラットホームへ続く階段を一息に駆け上がってきたところだった。無事に予定の電車に乗れた安堵感と、わずかな努力が実った達成感で人心地ついていると、突然電車が揺れた。「まだ発車していないのに」と思い、顔を上げてみるとホスト系のお兄さんがドアにべったり張り付いているではないか。しかも必死な形相をして、まったく離れる意思はなさそうな勢い。「おお、スパイダーマン!!」と思いながら四肢を伸ばして張り付く彼をじっと見つめていたが、さすがに完全にドアが閉まった後のこと、彼の執念は叶わないかに思えた。しかし、張り付いたままのスパイダーマン。意地でも離れないつもりらしい。すると、10秒もした頃だろうか。ついに車掌さんに彼の願いが通じたのか、ドアが開いた。「さすがスパイダーマン!!」とここまで来ると呆れより賞賛が自分の中では勝ってしまった。そして悪びれもせず当然のことのように車内に入り、座席に腰を下ろすヒーロー。さすがに自分ではここまでできないなと思った。

 そして30分ほどして僕は目的地の駅で降りたわけだが、スパイダーマンはその時座席で爆睡していた。さすがヒーロー。余裕がある。しかし僕は思った。「ここ終点なんですけど」と。
ISBN:4844998781 単行本 東京リーガルマインドLEC総合研究所日商 東京リーガルマインド 2007/09 ¥840

 去年、受けて凹まされた簿記の試験、なんとかリベンジ完了しました。やっぱり勉強の仕方でかなり違うものなんだなぁ、とこの一連の経験で学んだといったところで、今回は前回に輪をかけて勉強しなかった(積み重ねがあるから当然かもしれないけれど)のですが、試験本番も前回ほど難しいとは感じなかったし、これで落ちたらもうどうしようもないと感じるほどの出来だったので、正直受かってかなりほっとしています。

 なんとなくこと簿記3級に関しては、試験に受かることだけを考えるのならば、問題演習を中心にこなしていった方が近道だと感じました。ある程度テキストでイメージだけを掴んでおいて、あとは実践でイメージを具体化していく方が楽な感じがします。試験では何が出るかがほぼはっきりしているため、試験問題に即した問題演習をしておけばまず慌てることはないと思います。だいたいの分量で言えば、

 テキストで知識を仕入れる→一週間
 問題集で実践トレーニング→一週間

で、大体一日2時間もやればなんとかなるというのが実感です。あとは不安ならば適当に模擬試験問題でも解けばもう大丈夫な感じかと。僕の場合、テキストと問題演習を別個でやってしまったので、テキストを読むのに飽きてしまったのですが、交互に確認しながらやれば楽だったかなというのが反省点です。資格学校が発行している参考書というのは、問題集が姉妹版としてセットな感じになっているので、それを交互にやっていけば、どこがつまづくポイントなのかもはっきりしてテキストだけの単調な勉強よりは飽きがこないと思います。

 具体的な試験問題攻略に関して言えば、第一問の仕分け問題と配点の高い第三、第五問だけを攻略しておけばまず受かります。第二、第四問は配点も低いし、見たこともないような問題が出ることもあるので、+αの加点要素と考えた方がいいと思います。勝負はどころは3、5ができるかどうかで、これは問題集でパターンを覚えればなんとかなります。

 ということで、とりあえず簿記のリベンジは完了したので、次は何の資格を取ろうかと。はっきりいって将来に役立つとかそういったことを度外視しているので、興味のわくものがあったらぜひチャレンジしたいと思います。
03月13日付 日経新聞の報道「マクドナルドが「メガマック」定番化、朝・夜用「メガ」も発売」へのコメント:

 「定番化」っていうことはあれですよね。「常に販売できる状態にしておく」ということですよね。確かに物珍しさで前にメガマック売っていた時は思わず注文してしまったのですが、定番化ってどうなんでしょうね。だいたい、メガの前の関門としてビッグがあったんじゃなかったですっけ。ビッグマックってそれほど売り上げあがってないような気がするんですが、それなのにあえてメガを常駐させておくっていうのは、どういう戦略なんでしょうか。メガのバブルに踊っているように思うんですが。
 しかも朝用メガって。朝っぱらからそんな巨大容量のカロリー食を好んで食べる方がいるんでしょうか。「ネタになるから」という理由以外で普通に食べるとしたら、日本人の食生活もついにここまで来たかという感じがしてなんか不気味です。
 まあ、販売側から言わせて見れば、原材料が同じであるのだから、作る手間はかかるにしても利益率としてはいい数字になるといったところなんでしょうか。食べる側にしても、メガ一個を数人で分け合うという不可思議な食べ方をすれば、十分楽しめるということなんでしょうか。ただあの大きさなので、自分のトライ時には非常に食べづらかった思い出があるのですが、どうなんでしょう。みんなはうまく食べれたのかな。それさえクリアされれば、またチャレンジする心意気はあるのですが、表では食べれないですね、どちらにしろ。持ち帰って家で格闘するくらいしか怖くてできません。もしくはメガマック頼むんだったら、100円で売ってるハンバーガーを3つ頼むとか。いずれにせよ、これがお得意の一時的な施策で終わらないことを願っています。
ISBN:4101345112 文庫 志水 辰夫 新潮社 1994/01 ¥580

 「’91 このミステリーがすごい第一位」という帯を掲げて、地元の本屋で大々的にフィーチャーされていたので、ミステリーってどんなものだろうと思って読んでみた作品。結論から言うと、帯にやられたなといった感じがする。

 まず、話の本筋である教え子を探すというところの動機がいまいちしっくり来なかった。いずれ驚くような理由が入るのだろうと期待していたが、何もないまま終わってしまい、結局何のために死を賭してまで主人公が駆け回ったのかという疑問が消化不良のまま残ってしまった。そして、街の情景描写が自分にはくどすぎたし、しかもその情景を思い描くことが出来なかった。場面が変わるごとに、また主人公が移動するたびに街の様子が描かれているのだが、そこまで説明されても本筋と大きな係わり合いがあるとも思えなかったし、東京に不慣れな人にとっては想像力の範囲外といった感じなのではないか。もっともこれに関しては自分の想像力にも問題はあった。さらに、ここが一番の疑問点なのだが、この作品は本当にミステリーなのだろうかという思いが最後まで抜けなかった。隠された謎を解明していくというよりは、与えられた事実に従って主人公を行き当たりばったりと動かしているというような展開が繰り返されている気がして、ミステリーというよりはハードボイルド小説といった方が正しい感じもした。

 たぶんこの小説は帯のつけ方を間違っていた気がする。「このミス一位」のうたい文句だけで踊った人は、おそらく失望を覚えたに違いない。きっとこの作者から離れてしまうだろう。読後にレビューを参照したところによると、この作者の本領は別の作品でこそ発揮されているらしい。人物描写や心情の機微、スピード感などは、この作品でも読ませてくれるところはあったので、かなり書ける人ではあるのだろうと思う。ただこの作品をミステリーと呼んでいいのかどうかは、賞を与えた側をも疑問に感じさせるところがあった。
03月08日付 朝日新聞の報道「16年目のJリーグ開幕 J1・J2、33クラブで」へのコメント:

 Jリーグも16年目になるのか、と感慨深い。この16年で日本のサッカーは確実に進歩したと言えるのではないだろうか。W杯には3回出たし、ここ最近のアジアカップでも常に好成績を残している。その基礎となっているのはなんといってもJリーグだろう。日本にプロリーグができたことで。サッカープレイヤーの目は国内での活躍を目指すところから、海外での飛躍も視野に入れるようになり、いまや海外でプレーすることもそれほど珍しくはなくなった。それもすべてはJリーグができたことに端を発している。

 そんなJリーグが今日開幕した。個人的な興味で言えば、浦和レッズがどれだけ差をつけて優勝するかといったところだった。が、いきなり負けた。試合内容は観ていないのだが、アウェイのプレッシャーに負けたか、それとも新加入選手と生え抜きの選手の間に齟齬が生じたのか。守りに定評のあるレッズが点を取られて、しかも得点力を見込んで獲得した選手が期待通りのプレイをしなかったらそれは負けるだろう。プロ同士の試合なのだから実力差は目に見えるほどあるわけもないし、名前だけで勝てるなら苦労はしない。
でも、アウェイだからまあそういうこともありえるだろうと納得してしまう。あくまでもまだ開幕したばかり。レッズが優勝争いに絡んでくることはその資金力と布陣を見れば分かることだ。ただしばらくはこのシーズンを楽しみたいと思う。なんといっても今年はW杯の予選もあるし、ACLには日本から3チーム出れるし。ことサッカーに関しては楽しみなイベントがたくさんある。当然北京も楽しみだ。今年は他の面で暗い年であっても、スポーツに関しては当たり年であってほしいと願う。

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