ラッシュライフ (新潮文庫)
2008年3月7日 読書
ISBN:4101250227 文庫 伊坂 幸太郎 新潮社 2005/04 ¥660
5つの話が、同時進行的に進んでいく群像劇。一言で言えばそういった趣の作品なのだが、単に5つの話が絡まるのではなく、最後までどのように話が関わっているのかがはっきりせず、話と話の関係性に時間トリックとでもいった化粧が施されている。連続して5つ(一章あたりで毎回出てくるのは4つ)の話を何回も読まされるため、その連続性に慣れが生じてしまい、後半で明かされてくる互いの話の関係性を捉えられたようで捉えきれないといった不思議さがこの小説を読む面白さにつながっていると思った。その話の関係性を除いて一つ一つの話を考えると、人物描写の面白さや他の伊坂作品とリンクをしているところなどは、この作者を好んで読んでいる人には多くの楽しみを与えてくれるだろう。ただ、ミステリーを読みたいと思って手に取った人にとっては、その欲求を十分に満たしてくれるかどうかは疑問。ミステリーだとか純文学だとかといったカテゴリー分けをしてこの作品を読んだとしても、スッキリしないものが残るだけだと思う。
なんとなく伊坂さんの作品は非常に面白いとか気になって仕方がないとかいう分類のものではないけれど、なにか惹かれるものがある。中毒的なものだろうか。次は『陽気なギャングが地球を回す』を読もうと考えているのだが、ここで問題が発生した。弟が今まさにその『陽気なギャング〜』のDVDを借りてきてしまっている。これを観るべきかどうかの葛藤が自分の中で発生している。
5つの話が、同時進行的に進んでいく群像劇。一言で言えばそういった趣の作品なのだが、単に5つの話が絡まるのではなく、最後までどのように話が関わっているのかがはっきりせず、話と話の関係性に時間トリックとでもいった化粧が施されている。連続して5つ(一章あたりで毎回出てくるのは4つ)の話を何回も読まされるため、その連続性に慣れが生じてしまい、後半で明かされてくる互いの話の関係性を捉えられたようで捉えきれないといった不思議さがこの小説を読む面白さにつながっていると思った。その話の関係性を除いて一つ一つの話を考えると、人物描写の面白さや他の伊坂作品とリンクをしているところなどは、この作者を好んで読んでいる人には多くの楽しみを与えてくれるだろう。ただ、ミステリーを読みたいと思って手に取った人にとっては、その欲求を十分に満たしてくれるかどうかは疑問。ミステリーだとか純文学だとかといったカテゴリー分けをしてこの作品を読んだとしても、スッキリしないものが残るだけだと思う。
なんとなく伊坂さんの作品は非常に面白いとか気になって仕方がないとかいう分類のものではないけれど、なにか惹かれるものがある。中毒的なものだろうか。次は『陽気なギャングが地球を回す』を読もうと考えているのだが、ここで問題が発生した。弟が今まさにその『陽気なギャング〜』のDVDを借りてきてしまっている。これを観るべきかどうかの葛藤が自分の中で発生している。
キサラギ スタンダード・エディション
2008年3月6日 映画
DVD キングレコード 2008/01/09 ¥3,990
日本アカデミー賞で優秀作品賞をもらった作品らしいので、どんなものかと思い多少の興味をもって見てみました。結論からいうとなかなか楽しめたといったところでしょうか。見せ方がうまい映画だと思いました。まず、出ている役者さんが僕の好みに合っていたということと、所々で驚きというよりは笑いが起こるような展開があったことがツボでした。世相や社会問題を映すような問題作でもなければ、派手な爆破シーンとかがあるアクション映画でもないわけですが、日本映画独特のまったりと見せてくれるわりには時間が早く過ぎてしまうといった感じの映画だと思います。舞台が怪しげな地下っぽい一室でずっと進行するというのもなかなか出来そうで出来ないことだと思うし、CGも本格的なものは使っていないと思うので、その点では難しさはあったのだろうけれど制作費自体は安そうな印象を受けました。エンドクレジット共に流れるやけくそダンスを見ていると、現場は男だらけで男子校っぽいノリだったんだろうな、なんてことも感じさせられました。ためにはならないけれど、見て損することはないような作品だと思います。
グラビアアイドル如月ミキが自殺して、1年がたった。その一周忌に彼女の思い出を語り合おうとファン5人が集まった。しかし、ファンサイトの常連である彼らは、彼女がなぜ自殺をしたのかを知りたくてたまらない。そんなときひとりが「彼女は殺されたんだ」と言う。他殺説を繰り広げるうちに、ハンドルネームしか知らなかった彼らの素性が浮…
日本アカデミー賞で優秀作品賞をもらった作品らしいので、どんなものかと思い多少の興味をもって見てみました。結論からいうとなかなか楽しめたといったところでしょうか。見せ方がうまい映画だと思いました。まず、出ている役者さんが僕の好みに合っていたということと、所々で驚きというよりは笑いが起こるような展開があったことがツボでした。世相や社会問題を映すような問題作でもなければ、派手な爆破シーンとかがあるアクション映画でもないわけですが、日本映画独特のまったりと見せてくれるわりには時間が早く過ぎてしまうといった感じの映画だと思います。舞台が怪しげな地下っぽい一室でずっと進行するというのもなかなか出来そうで出来ないことだと思うし、CGも本格的なものは使っていないと思うので、その点では難しさはあったのだろうけれど制作費自体は安そうな印象を受けました。エンドクレジット共に流れるやけくそダンスを見ていると、現場は男だらけで男子校っぽいノリだったんだろうな、なんてことも感じさせられました。ためにはならないけれど、見て損することはないような作品だと思います。
アヒルと鴨のコインロッカー
2008年2月29日 映画
DVD アミューズソフトエンタテインメント 2008/01/25 ¥4,935
原作を読んでいないので比較としての感想を書けないのが残念だが、なんとなく映画を見た印象で言えば、伊坂幸太郎作品が元ネタになっているという感じを受けなかった。だいたい小説としての伊坂さんの作品は、ラストに全ての種明かしがされて物語が収束していくといった特徴があるような気がするのだが、それをこの映画ではいくつかの伏線を張って物語に謎と厚みを与えているといった仕掛けが施してあるといった感じで、ラストがスッとするようなものではなかった。きっと原作を読んで映画を見た人は、そのギャップに違和感を覚えるか別物として捉えて楽しむかのどちらかになっていたのではないかと思う。
映画の感想を言えば、まず劇中歌のボブ・ディラン「風に吹かれて」に代表されるように、ゆったりとした流れの作品だと感じた。特に大きな驚きや展開があったようにも感じなかったが、観ていて飽きは来なかったように思う。その理由が伏線。いくつかのさりげない場面ややりとりがポイントとなって、話が進むうちにその効果を発揮している。そういう細かいところを観るのが好きな人にとっては面白い映画なのではないかと思った。
ただ、僕にとって問題なのは、これから原作を読むつもりなのに先に映画の方を見てしまったということだ。はっきりいってネタばれした状態でミステリーを読むのがいいことなのか。そしてそんな状況でも楽しめるのか。多少悩むところだが、その顛末は後日報告することになると思う。
原作を読んでいないので比較としての感想を書けないのが残念だが、なんとなく映画を見た印象で言えば、伊坂幸太郎作品が元ネタになっているという感じを受けなかった。だいたい小説としての伊坂さんの作品は、ラストに全ての種明かしがされて物語が収束していくといった特徴があるような気がするのだが、それをこの映画ではいくつかの伏線を張って物語に謎と厚みを与えているといった仕掛けが施してあるといった感じで、ラストがスッとするようなものではなかった。きっと原作を読んで映画を見た人は、そのギャップに違和感を覚えるか別物として捉えて楽しむかのどちらかになっていたのではないかと思う。
映画の感想を言えば、まず劇中歌のボブ・ディラン「風に吹かれて」に代表されるように、ゆったりとした流れの作品だと感じた。特に大きな驚きや展開があったようにも感じなかったが、観ていて飽きは来なかったように思う。その理由が伏線。いくつかのさりげない場面ややりとりがポイントとなって、話が進むうちにその効果を発揮している。そういう細かいところを観るのが好きな人にとっては面白い映画なのではないかと思った。
ただ、僕にとって問題なのは、これから原作を読むつもりなのに先に映画の方を見てしまったということだ。はっきりいってネタばれした状態でミステリーを読むのがいいことなのか。そしてそんな状況でも楽しめるのか。多少悩むところだが、その顛末は後日報告することになると思う。
なにかしらか受験と名のつくものを経験する時の縁起担ぎがぼくにはある。本当にしょうもないことなのだが、試験前にコンビニに寄ってペットボトルを一本だけ買い、202円払うというのがそれだ。ペットボトル一本の値段がだいたいのものは147円なので、
202−147=55(ゴーゴー!!)
となり、お釣りをもらう時に自分の中で多少テンションを上げることができる。「自分はできる子」というそのおまじないを胸に秘めながら受験会場に向かい試験問題と対するわけだ。しかしその効果はきまぐれで、どんなにゴーゴー言ったって結局結果は努力の量に見合ったものとなる。でも、いまだに試験となるとその縁起担ぎをしてしまう自分がいる。ややもすると沈んでしまいかねない試験前のひと時を多少なりともオプチミズムで誤魔化せるだけでも、この行為の効果はあると思うからだ。やはり前向きな心には幸運が巡って来るのではないか。悲観的でいては物事はうまく進まないと思う。根拠はないが、それが僕の哲学の一つだ。
202−147=55(ゴーゴー!!)
となり、お釣りをもらう時に自分の中で多少テンションを上げることができる。「自分はできる子」というそのおまじないを胸に秘めながら受験会場に向かい試験問題と対するわけだ。しかしその効果はきまぐれで、どんなにゴーゴー言ったって結局結果は努力の量に見合ったものとなる。でも、いまだに試験となるとその縁起担ぎをしてしまう自分がいる。ややもすると沈んでしまいかねない試験前のひと時を多少なりともオプチミズムで誤魔化せるだけでも、この行為の効果はあると思うからだ。やはり前向きな心には幸運が巡って来るのではないか。悲観的でいては物事はうまく進まないと思う。根拠はないが、それが僕の哲学の一つだ。
先日、ゆうちょ銀行から一通のはがきが来た。封じてあったのでペリペリはがして内容を見てみたら、10年前に預けた定額貯金が満期になるといったお知らせだった。10年前といったら、まだ未成年で義務教育の延長のようなことをしていた年頃だったのに、ようやくそんな時代に預けたものが成長しきったかと多少の感慨をもって詳細を確かめた。そしてある意味驚いた。預けた時はあまり深く考えなかったが、利率というものが当然預貯金には設定されていて、その率が0.35%だった。そして、当時にしては大金と言える金額である6万円をその率でしかも定額貯金だから複利で転がしていった結果が、2134円の利子といったものだった。しかもなにげに税金で426円引かれているから、最終的な利益は1708円だった。
60000円→(10年)→2134−426=1708円(プライスレス)
なんか今の時代に貯金するのって微妙にバカらしいなあと思った。これだったら手元に置いておいてもあまり変わらないし、銀行が潰れるなどのリスクを考えたら、預ける方が危険度高いんじゃないかなと。まあ、遊ばせておくくらいなら、なにかしらかしたほうがいいと思ってしまうのが人情で、それだから失望も大きくなってしまうんだろうと感じた一件でした。
60000円→(10年)→2134−426=1708円(プライスレス)
なんか今の時代に貯金するのって微妙にバカらしいなあと思った。これだったら手元に置いておいてもあまり変わらないし、銀行が潰れるなどのリスクを考えたら、預ける方が危険度高いんじゃないかなと。まあ、遊ばせておくくらいなら、なにかしらかしたほうがいいと思ってしまうのが人情で、それだから失望も大きくなってしまうんだろうと感じた一件でした。
アムリタ〈上〉 (角川文庫)
2008年2月23日 読書
ISBN:4041800048 文庫 吉本 ばなな 角川書店 1997/01 ¥567
デジタルの対極に位置するオカルトの感覚は嫌いではないつもりだけれど、この本で書かれているそれには時についていけなかった。なんというか、そういう感性が自分の中でまだ磨かれてないのか、単純にばなな的な表現に免疫がなかったからなのかは定かではない。でも読んでいてそういうものが世の中にはあるということでは共感を覚えたし、あっても不思議ではないとも思えた。あくまで小説の中での話なので、作者がどれくらい本気で書いているのかは分からないが、信じられないようなことというのは人に起こりうるとは思った。たまにあまり読まない種類の作家さんに触れると、自分の中の意外な一面にも触れられる気がしていいものだ。
デジタルの対極に位置するオカルトの感覚は嫌いではないつもりだけれど、この本で書かれているそれには時についていけなかった。なんというか、そういう感性が自分の中でまだ磨かれてないのか、単純にばなな的な表現に免疫がなかったからなのかは定かではない。でも読んでいてそういうものが世の中にはあるということでは共感を覚えたし、あっても不思議ではないとも思えた。あくまで小説の中での話なので、作者がどれくらい本気で書いているのかは分からないが、信じられないようなことというのは人に起こりうるとは思った。たまにあまり読まない種類の作家さんに触れると、自分の中の意外な一面にも触れられる気がしていいものだ。
「東京タワー」が5冠? 日本アカデミーの仕組み [ZAKZAK]
2008年2月19日 時事ニュース
02月19日付 ZAKZAKの報道「「東京タワー」が5冠? 日本アカデミーの仕組み」へのコメント:
日本テレビで日本アカデミー賞の授賞式の模様を放送していたけれど、今年最も最優秀を獲得した『東京タワー』は日本テレビが噛んでいたようで。そもそもアカデミー賞は、審査権を持った会員というのが大手映画会社に集中している都合上、大手映画会社制作の映画が選ばれることが多いらしい。よっぽど無視できない作品でない限り、ミニシアター系などの映画が受賞することは難しいと何かに書いてあった。もっとも去年のフラガールはそれを乗り越えての受賞だったが。
話は変わるが、アカデミー賞の授賞式をチェックしている割に、最近映画が苦手だ。今回、優秀作品賞を受賞した作品も『それでも僕は〜〜』しか観ていない。一本でも観ているだけまだましだったというところだ。まずもって動きのない作品はまず眠くなるし、アクションバリバリだとすぐ飽きる。我が家の映画DVD調達は母と弟が担当しているのだが、どうも借りてこられたものに興味が湧くことが少ない。特にやることがなくとも、2時間そこそこの拘束を拒否する本能が働いてしまうらしい。
だから観る映画はかなりの鉄板映画に限られてしまう。いわゆる前評判が確かで、まずはずれがないといった映画のみを観る。だからあまり観ないながらも、セレクションに勝ち残った映画というのはだいたい観て良かったと思う。でも、こんな映画の見方をしても、「映画鑑賞が趣味」とはとても言えないし、映画好きにもならないだろう。無駄があるからこそ有益なものが映えるのだから、もう少し無駄とも思える時間を楽しむ術を身に付けたいとは思う。そういう楽しみ方の方が、本物に出会ったときの感動があるというものだ。
日本テレビで日本アカデミー賞の授賞式の模様を放送していたけれど、今年最も最優秀を獲得した『東京タワー』は日本テレビが噛んでいたようで。そもそもアカデミー賞は、審査権を持った会員というのが大手映画会社に集中している都合上、大手映画会社制作の映画が選ばれることが多いらしい。よっぽど無視できない作品でない限り、ミニシアター系などの映画が受賞することは難しいと何かに書いてあった。もっとも去年のフラガールはそれを乗り越えての受賞だったが。
話は変わるが、アカデミー賞の授賞式をチェックしている割に、最近映画が苦手だ。今回、優秀作品賞を受賞した作品も『それでも僕は〜〜』しか観ていない。一本でも観ているだけまだましだったというところだ。まずもって動きのない作品はまず眠くなるし、アクションバリバリだとすぐ飽きる。我が家の映画DVD調達は母と弟が担当しているのだが、どうも借りてこられたものに興味が湧くことが少ない。特にやることがなくとも、2時間そこそこの拘束を拒否する本能が働いてしまうらしい。
だから観る映画はかなりの鉄板映画に限られてしまう。いわゆる前評判が確かで、まずはずれがないといった映画のみを観る。だからあまり観ないながらも、セレクションに勝ち残った映画というのはだいたい観て良かったと思う。でも、こんな映画の見方をしても、「映画鑑賞が趣味」とはとても言えないし、映画好きにもならないだろう。無駄があるからこそ有益なものが映えるのだから、もう少し無駄とも思える時間を楽しむ術を身に付けたいとは思う。そういう楽しみ方の方が、本物に出会ったときの感動があるというものだ。
最近、祖母のことが気になってしょうが無い。マイナスな感じで気になる。今まで自分はどんな人でも嫌いになることはないと思っていた。自分でも人当たりのいい方だと思っていたし、苦手なタイプな人はいても、嫌いになるということは実感から言えばなかったと思う。それが最近の祖母(普段はばーちゃんと呼ぶが)の一挙一動を見ていると、なにかそれに近いような感情を覚える。
祖母ももうすぐ80歳になるかという老人なのだから、大体のことは大目に見ようとは思っている。しかし、気になる。具体的に言うと、まず話し言葉。祖母は出が北国の漁師町なので、基本的に言葉がぶっきらぼうだ。そしてどうでもいいことでも命令口調で話す。それなりに聞いていればいいのだろうが、軽いジャブのように効いてくる。そしてそのわりに、自分の間違いを指摘されたり、気に入らないことがあると、何かと言い訳をつけて返してくる。この言い訳が聞き苦しい。仮にその忠告を聞いたとしても、笑い流しているようにしか見えない。実際次の時には忘れている観がある。どうもこれが自分にはダメだ。ダメだと思うと一挙手一投足が目に付いてしまうからさらにダメだ。
まとめて言うと、素直ではないのだ。老人だから仕方ないと思ってしまえばいいのだろうが、昔のしゃんとした祖母を知っているだけに、仕方ないとは思えない。多少認知症的な所もあるのだが、本当に呆けていて忘れているのか、気に食わないところがあって忘れたふりをしているのかが分からないところが、また困りどころだ。どうにもこうにも、老人と暮らした経験のない我が家にとっては、未経験のことばかりで、母などはストレスがたまりにたまっているらしい。
自分達の側から祖母に辛く当たるということはほとんどないと思っている。ご飯も祖母の嫌いなものは出さないように気を遣っているし、僕の目から見ると不自由のないようにしていると思う。でも、お互いに摩擦が起きるのはどうしてなのだろう。今までの生活習慣の違いがそうさせるのだろうか。自分にも反省すべきところはあるだろう。大体が父親の次に祖母に世話になっているのがこの僕なのだから。大学時代に好き勝手やっていられたのも、祖母の手助けがあったからだ。あれだけ世話になっておきながら、このような感情を抱くことに自己嫌悪に陥ってしまう。
おそらく、一人暮らし歴の長かった祖母にしてみれば、今の窮屈な生活は自分の理想ではないのだろう。見知らぬ土地にいることもそれに輪をかけているだろう。ましてや老人なのだからものごとに偏屈になったとしても仕方がないのかもしれない。だから僕達は不自由のないようにと色々と世話をするわけだが、世話することには慣れていても、世話されることには慣れていない祖母にしてみれば、必要以上のそれは「余計なお世話」なのかもしれない。
いずれにせよ、あまり気にしないことだと思う。気にしすぎるから摩擦が起きる。気にしなければ気にならない。それがこの変な感情の方向を正す方法だと思う。
祖母ももうすぐ80歳になるかという老人なのだから、大体のことは大目に見ようとは思っている。しかし、気になる。具体的に言うと、まず話し言葉。祖母は出が北国の漁師町なので、基本的に言葉がぶっきらぼうだ。そしてどうでもいいことでも命令口調で話す。それなりに聞いていればいいのだろうが、軽いジャブのように効いてくる。そしてそのわりに、自分の間違いを指摘されたり、気に入らないことがあると、何かと言い訳をつけて返してくる。この言い訳が聞き苦しい。仮にその忠告を聞いたとしても、笑い流しているようにしか見えない。実際次の時には忘れている観がある。どうもこれが自分にはダメだ。ダメだと思うと一挙手一投足が目に付いてしまうからさらにダメだ。
まとめて言うと、素直ではないのだ。老人だから仕方ないと思ってしまえばいいのだろうが、昔のしゃんとした祖母を知っているだけに、仕方ないとは思えない。多少認知症的な所もあるのだが、本当に呆けていて忘れているのか、気に食わないところがあって忘れたふりをしているのかが分からないところが、また困りどころだ。どうにもこうにも、老人と暮らした経験のない我が家にとっては、未経験のことばかりで、母などはストレスがたまりにたまっているらしい。
自分達の側から祖母に辛く当たるということはほとんどないと思っている。ご飯も祖母の嫌いなものは出さないように気を遣っているし、僕の目から見ると不自由のないようにしていると思う。でも、お互いに摩擦が起きるのはどうしてなのだろう。今までの生活習慣の違いがそうさせるのだろうか。自分にも反省すべきところはあるだろう。大体が父親の次に祖母に世話になっているのがこの僕なのだから。大学時代に好き勝手やっていられたのも、祖母の手助けがあったからだ。あれだけ世話になっておきながら、このような感情を抱くことに自己嫌悪に陥ってしまう。
おそらく、一人暮らし歴の長かった祖母にしてみれば、今の窮屈な生活は自分の理想ではないのだろう。見知らぬ土地にいることもそれに輪をかけているだろう。ましてや老人なのだからものごとに偏屈になったとしても仕方がないのかもしれない。だから僕達は不自由のないようにと色々と世話をするわけだが、世話することには慣れていても、世話されることには慣れていない祖母にしてみれば、必要以上のそれは「余計なお世話」なのかもしれない。
いずれにせよ、あまり気にしないことだと思う。気にしすぎるから摩擦が起きる。気にしなければ気にならない。それがこの変な感情の方向を正す方法だと思う。
神様からひと言 (光文社文庫)
2008年2月12日 読書
ISBN:4334738427 文庫 荻原 浩 光文社 2005/03/10 ¥720
某古本屋で荻原(「おぎわら」であって「はぎわら」ではない)浩さんの本としては唯一100円で売っていた本。今までに少し読んだことがあった作家さんだったので、長らく放置されていた中から掘り出してトライしてみた。
裏表紙ではサラリーマンの奮闘記的な紹介のされ方だったので、ちょっととっかかりにくかったのだけれど、読み始めたら意外性の連続で軽く引き込まれてしまった。これで100円なら安すぎると正直申し訳なく思った。
そもそも荻原さんの作品はどれもが意外性に満ちている。まずテーマが多様。ユーモア的な軽い感じのものからシリアス、ハードボイルド、ヒューマンドラマなどなど書いているジャンルが一定しないほど、多彩な小説世界を描いている気がする。しかも文章が読みやすい。癖がないというかなんというか、僕にとっては違和感がほとんど生じない文章を書いてくれる。そして、ウィットに富んだ掛け合いがアクセントになっているから、文章にテンポがある。
久しぶりに長編小説を読んですっとした感じになった。多少展開に強引さを感じさせるところもあるにはあったが、それを打ち消すだけの小ネタを備えているところが書き手の深みを表しているのだろう。デビューが遅いにもかかわらず、作家としての完成度が高いのも僕の中では好感度が高い。機会があったらまた別作品も読みたいと思う。
某古本屋で荻原(「おぎわら」であって「はぎわら」ではない)浩さんの本としては唯一100円で売っていた本。今までに少し読んだことがあった作家さんだったので、長らく放置されていた中から掘り出してトライしてみた。
裏表紙ではサラリーマンの奮闘記的な紹介のされ方だったので、ちょっととっかかりにくかったのだけれど、読み始めたら意外性の連続で軽く引き込まれてしまった。これで100円なら安すぎると正直申し訳なく思った。
そもそも荻原さんの作品はどれもが意外性に満ちている。まずテーマが多様。ユーモア的な軽い感じのものからシリアス、ハードボイルド、ヒューマンドラマなどなど書いているジャンルが一定しないほど、多彩な小説世界を描いている気がする。しかも文章が読みやすい。癖がないというかなんというか、僕にとっては違和感がほとんど生じない文章を書いてくれる。そして、ウィットに富んだ掛け合いがアクセントになっているから、文章にテンポがある。
久しぶりに長編小説を読んですっとした感じになった。多少展開に強引さを感じさせるところもあるにはあったが、それを打ち消すだけの小ネタを備えているところが書き手の深みを表しているのだろう。デビューが遅いにもかかわらず、作家としての完成度が高いのも僕の中では好感度が高い。機会があったらまた別作品も読みたいと思う。
今朝、地元の駅の改札をくぐろうとしたら、駅構内の方にいつにない圧迫感を感じたのでそちらの方を窺ってみた。これまたいつにないほどの黒山の人だかりだ。何事かと思いを巡らせながら、人々の様子を眺めてみてようやく謎が氷解した。年齢と性別は10代後半の男女。無言でいささか緊張した面持ち。荷物は鞄は一個で服装は落ち着いたカジュアルな装い。そう大学受験だ。
僕の地元にはそこそこ名の知れた私立大学がある。自分ではそんなに大きな大学とは思っていなかったので、今日の受験生の多さには意外な驚きを覚えたが、まあそんなものなのだろう。思えば私立大の受験はちょうど2月がピークだ。僕の記憶から言わせてもらえば、早い時期に試験を行う大学は比較的入りやすく、後半に移るにつれて難関校になるはずだった。
今思えばもったいないことをしたと思うが、僕も人並みに私立大受験は経験した。もったいないというのは受験料の話。一校につき僕の時代で35000円した。それをいくつ受けたのだろう。はっきりとは覚えていないが、大卒初任給くらいの額はいっていたのではないか。両親は僕の不安な心を思ってくれたのか、よく恨み言も言わず出してくれたものだと今更ながら感謝している。まぁ、本人は楽しいから受けていただけなのだけれど。
現役の時は戦う前から受かる気などしなかったが、二回目の時は、現役の時に落とされた大学に片っ端からリベンジしていた。結果はさすがに大学側も二回追い払うのは面倒だったらしいといったところだ。しかし高田馬場の大学には三顧の礼を尽くしても追い払われたが。
受験は辛いとよく言われるが、僕にはあまりその記憶はない。周りに競い合う友達がいたからだと思う。勉強もやれば正直に成績に反映した。受験勉強中にもよく遊んだ。新しいことを知るのは、それが役に立たない生知識であっても楽しかった。自分の中で勉強が辛いと思ってしまったら、きっと大学には行っていないと思う。もっとも大学は今までの人生の中で一番遊んだ時期ではあるが、それは多くの人に共通している気もする。
大学受験を終えた頃から、僕はどんな辛いことがあっても楽しもうとする精神が身についた気がする。結局は楽しめた者勝ちなのだ。何事も楽しめなくなったらそれがやめどきだ。その精神さえあれば、大概のことはやり過ごすことが出来る。受験は確かに辛いこともあるが、その中にでも楽しみを見つけるという技を身に付けたのが僕の一つの財産になっていると思う。
僕の地元にはそこそこ名の知れた私立大学がある。自分ではそんなに大きな大学とは思っていなかったので、今日の受験生の多さには意外な驚きを覚えたが、まあそんなものなのだろう。思えば私立大の受験はちょうど2月がピークだ。僕の記憶から言わせてもらえば、早い時期に試験を行う大学は比較的入りやすく、後半に移るにつれて難関校になるはずだった。
今思えばもったいないことをしたと思うが、僕も人並みに私立大受験は経験した。もったいないというのは受験料の話。一校につき僕の時代で35000円した。それをいくつ受けたのだろう。はっきりとは覚えていないが、大卒初任給くらいの額はいっていたのではないか。両親は僕の不安な心を思ってくれたのか、よく恨み言も言わず出してくれたものだと今更ながら感謝している。まぁ、本人は楽しいから受けていただけなのだけれど。
現役の時は戦う前から受かる気などしなかったが、二回目の時は、現役の時に落とされた大学に片っ端からリベンジしていた。結果はさすがに大学側も二回追い払うのは面倒だったらしいといったところだ。しかし高田馬場の大学には三顧の礼を尽くしても追い払われたが。
受験は辛いとよく言われるが、僕にはあまりその記憶はない。周りに競い合う友達がいたからだと思う。勉強もやれば正直に成績に反映した。受験勉強中にもよく遊んだ。新しいことを知るのは、それが役に立たない生知識であっても楽しかった。自分の中で勉強が辛いと思ってしまったら、きっと大学には行っていないと思う。もっとも大学は今までの人生の中で一番遊んだ時期ではあるが、それは多くの人に共通している気もする。
大学受験を終えた頃から、僕はどんな辛いことがあっても楽しもうとする精神が身についた気がする。結局は楽しめた者勝ちなのだ。何事も楽しめなくなったらそれがやめどきだ。その精神さえあれば、大概のことはやり過ごすことが出来る。受験は確かに辛いこともあるが、その中にでも楽しみを見つけるという技を身に付けたのが僕の一つの財産になっていると思う。
民主2強ついに天王山で激突/米大統領選 [日刊スポーツ]
2008年2月6日 時事ニュース
02月06日付 日刊スポーツの報道「民主2強ついに天王山で激突/米大統領選」へのコメント:
米大統領選について最近よく目にする。特に報道の中心となっているのは民主党。なんとなく共和党の方はマケイン氏に決まったかのような雰囲気なので、女性と黒人のどちらが先に大統領になるのかというのが興味の中心になっている感じ。まぁ、どちらが民主党の大統領候補になろうとも、共和党候補との決戦がまだ残っているわけだが、このように一政党の予備選が日本で大々的に注目された記憶はない。
報道の中で気になることを耳にした。今後のアメリカにとってアジアにおける最重要国は中国だということを各候補が言っているとか何とかを。確かに国土においても、人口においても、資源においても、市場においても日本は負けている。でも日本はこの50年強の間ずっとアメリカの方を向いていた。そして自分達はアメリカの一番の恋人だと思っていたのではないか。それがさくっと振られたこのていたらく。しかも自分も新しい恋人探しをしようにも、そんな新しい候補のリストアップもしていなければ振り向いてももらえなさそうな状況に愕然。近隣のアジアに顔を向けず、アメリカ一辺倒の外交をしてきたのはやはり間違いだったのか。日本の不器用さが今になって露呈してしまった感がある。
置いてけぼりは食らった日本はどうするのか。昔の恋人を想っているだけではやっていけないことは明らかな気はするが、それでもすがるのか。本来ならアメリカにうつつを抜かしている間に、アジアをまとめてそのリーダーとなることも可能だったと思う。可能だったはずの舵取りをしてこなかった船が、誤った進路を立て直すにはかなりの計算と努力が必要だと思うが、乗組員はそれに耐えられるのだろうか。先行きは照らされていない気がする。
米大統領選について最近よく目にする。特に報道の中心となっているのは民主党。なんとなく共和党の方はマケイン氏に決まったかのような雰囲気なので、女性と黒人のどちらが先に大統領になるのかというのが興味の中心になっている感じ。まぁ、どちらが民主党の大統領候補になろうとも、共和党候補との決戦がまだ残っているわけだが、このように一政党の予備選が日本で大々的に注目された記憶はない。
報道の中で気になることを耳にした。今後のアメリカにとってアジアにおける最重要国は中国だということを各候補が言っているとか何とかを。確かに国土においても、人口においても、資源においても、市場においても日本は負けている。でも日本はこの50年強の間ずっとアメリカの方を向いていた。そして自分達はアメリカの一番の恋人だと思っていたのではないか。それがさくっと振られたこのていたらく。しかも自分も新しい恋人探しをしようにも、そんな新しい候補のリストアップもしていなければ振り向いてももらえなさそうな状況に愕然。近隣のアジアに顔を向けず、アメリカ一辺倒の外交をしてきたのはやはり間違いだったのか。日本の不器用さが今になって露呈してしまった感がある。
置いてけぼりは食らった日本はどうするのか。昔の恋人を想っているだけではやっていけないことは明らかな気はするが、それでもすがるのか。本来ならアメリカにうつつを抜かしている間に、アジアをまとめてそのリーダーとなることも可能だったと思う。可能だったはずの舵取りをしてこなかった船が、誤った進路を立て直すにはかなりの計算と努力が必要だと思うが、乗組員はそれに耐えられるのだろうか。先行きは照らされていない気がする。
石原都知事、「東京五輪」不支持発言に激怒 [朝日新聞]
2008年2月5日 時事ニュース
02月05日付 朝日新聞の報道「石原都知事、「東京五輪」不支持発言に激怒」へのコメント:
石原都知事は個人的にそれほど好きではないが、今回の一軒に関しては彼の怒りの理由はもっともだと思う。一競技のごたごたで、しかも明らかに自分達の側に非があるのにも関わらず、持ちうる強大な力を振りかざして脅迫まがいのことをするのはいかがかと。どう考えてもフェアではないでないか。中東にせよ、餃子問題の中国にせよ、素直に謝るということを知らない気がする。思えば外国には謝罪という文化があるところが少ないような印象がある。とりあえず頭を下げるということをしない。ごねれば自分達の有利に働くと思っている。きっと日本人が同じ過ちを犯したら、下手に出て頭を下げ、相手の言いなりになるんだろうなぁ。なんかそういう正直な行為が誇らしく感じられない自分もどうかと思うが、間違ったことをしたら謝るというのは幼稚園児でも知っていることだ。まぁ、日本ではの話だが。
石原都知事は個人的にそれほど好きではないが、今回の一軒に関しては彼の怒りの理由はもっともだと思う。一競技のごたごたで、しかも明らかに自分達の側に非があるのにも関わらず、持ちうる強大な力を振りかざして脅迫まがいのことをするのはいかがかと。どう考えてもフェアではないでないか。中東にせよ、餃子問題の中国にせよ、素直に謝るということを知らない気がする。思えば外国には謝罪という文化があるところが少ないような印象がある。とりあえず頭を下げるということをしない。ごねれば自分達の有利に働くと思っている。きっと日本人が同じ過ちを犯したら、下手に出て頭を下げ、相手の言いなりになるんだろうなぁ。なんかそういう正直な行為が誇らしく感じられない自分もどうかと思うが、間違ったことをしたら謝るというのは幼稚園児でも知っていることだ。まぁ、日本ではの話だが。
チルドレン (講談社文庫 (い111-1))
2008年2月4日 読書
ISBN:4062757249 文庫 伊坂 幸太郎 講談社 2007/05/15 ¥620
伊坂さんの小説は仙台を舞台に描かれることが多いらしい。舞台でなくとも何らかの形で仙台が関わってくるとのことだ。仙台は僕が大学時代を過ごした街ということもあって、小説を読んでいて描写が出てくると懐かしさが胸にこみあげてくる。そして描かれている風景がどういう場所であるか思いを巡らす。よって、伊坂さんは僕にとって郷愁を誘う作家さんということになる。
今回の作品は短編集というよりは一人の人物にスポットを当てた連作短編といった感じだった。全部で五つの短編で構成されており、語り部も異なっている。どれもが読み終えてみると、謎が氷解したり心が和んだりする結末になっており、この前読んだ『グラスホッパー』よりも個人的には好きだった。今作を読むまでは、伊坂さんはなんとなく冷たい印象を与える文章を書く人なのかと思っていたが、面白みのある文章も書くんだなと考えを改めさせられた。作家の顔はやはり一つだけではないらしい。隠し持った武器をたくさん備えてこそ、幅の広い文章が書けるのだろう。
伊坂さんの小説は仙台を舞台に描かれることが多いらしい。舞台でなくとも何らかの形で仙台が関わってくるとのことだ。仙台は僕が大学時代を過ごした街ということもあって、小説を読んでいて描写が出てくると懐かしさが胸にこみあげてくる。そして描かれている風景がどういう場所であるか思いを巡らす。よって、伊坂さんは僕にとって郷愁を誘う作家さんということになる。
今回の作品は短編集というよりは一人の人物にスポットを当てた連作短編といった感じだった。全部で五つの短編で構成されており、語り部も異なっている。どれもが読み終えてみると、謎が氷解したり心が和んだりする結末になっており、この前読んだ『グラスホッパー』よりも個人的には好きだった。今作を読むまでは、伊坂さんはなんとなく冷たい印象を与える文章を書く人なのかと思っていたが、面白みのある文章も書くんだなと考えを改めさせられた。作家の顔はやはり一つだけではないらしい。隠し持った武器をたくさん備えてこそ、幅の広い文章が書けるのだろう。
ISBN:404384901X 文庫 伊坂 幸太郎 角川書店 2007/06 ¥620
前から気になっていた本で、最近ようやく読了した。『グラスホッパー』という題名にまず惹かれていて、どういう内容かも分からずに読み進めていった。(読み終わった後に調べたところグラスホッパー=バッタの意らしい)
話は非合法的会社の復讐と殺し屋の相克とを軸にして、三人の登場人物の視点で展開していく。殺し屋のキャラクターの濃さもさることながら、所々で交わされる会話にも面白さがあった。ラストに向かって収束していく物語にも期待感が膨らんでいって、読む楽しさが広がった。ただ自分は最近、先読みをしないで読んでいるからだろうか、「ああ、こうなるんだ」的な感覚でしか物語を捉えられていない気がする。ミステリー系のジャンルを読むのにそれでいいのかどうかは分からないが、行き当たりばったりとストーリーに引きずられているので、どうも予想が当たった外れたの感動がない。先読み能力がないのもどうしたものかなといった感じである。
でも、伊坂さんの作品は僕には合っていると感じる。理由はキャラクターの描き方がはっきりとしていることと、場面展開は多いけれどそのたびに話を区切ってくれているから。集中力がない最近の僕にとっては非常にありがたい物語の進め方をしてくれる。読んでいて苦痛に感じない本というのはやはりいいものだと思う。
前から気になっていた本で、最近ようやく読了した。『グラスホッパー』という題名にまず惹かれていて、どういう内容かも分からずに読み進めていった。(読み終わった後に調べたところグラスホッパー=バッタの意らしい)
話は非合法的会社の復讐と殺し屋の相克とを軸にして、三人の登場人物の視点で展開していく。殺し屋のキャラクターの濃さもさることながら、所々で交わされる会話にも面白さがあった。ラストに向かって収束していく物語にも期待感が膨らんでいって、読む楽しさが広がった。ただ自分は最近、先読みをしないで読んでいるからだろうか、「ああ、こうなるんだ」的な感覚でしか物語を捉えられていない気がする。ミステリー系のジャンルを読むのにそれでいいのかどうかは分からないが、行き当たりばったりとストーリーに引きずられているので、どうも予想が当たった外れたの感動がない。先読み能力がないのもどうしたものかなといった感じである。
でも、伊坂さんの作品は僕には合っていると感じる。理由はキャラクターの描き方がはっきりとしていることと、場面展開は多いけれどそのたびに話を区切ってくれているから。集中力がない最近の僕にとっては非常にありがたい物語の進め方をしてくれる。読んでいて苦痛に感じない本というのはやはりいいものだと思う。
この週末見たスポーツ
2008年1月29日 スポーツ 見たのは三つ。
サッカーの日本VSチリ
大阪国際女子マラソン
大相撲千秋楽
サッカーは退屈な試合だった。いまいちスッキリしない試合展開でどうも飽きてしまった。最後まで見たけれど。
点数が入らないのもそうだが、両チームとも攻め手に欠いていたし、フィニッシュまで持っていったとしても大きく的を外していた。ドローで日本に収穫があるとすればディフェンスラインが崩れなかったことぐらいのものだと思う。また得点力不足が叫ばれないように頑張ってほしい。明日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦も一部報道によるとハンドボールに観客を取られて、動員数が過去最低になるかもしれないとか。今年は代表にとってW杯の予選も始まる大事な年のはず。そこに行く前にサポーターのテンションを下げないようにと願うばかりだ。
大阪国際はなんといっても福士。見たのは30キロ過ぎからだったのだが、そこまでどういう走りをしていたのだろう、余裕のトップだった。しかし、マラソンの魔物は30キロ過ぎにいるという格言(?)通り、だんだんと足が進まなくなってしまっていた。もう余力がなかったのか、脱水症状だったのかは分からないが、見ていて悲痛なほどの走りに変わってしまった。何回も転びながらも、何かを求めるようにゴールへと走り続ける姿はたとえ19位フィニッシュでもこの大会が福士のものだったと感じさせるに十分な内容だった。しかしあそこまで走れなくなるということはやはり調整不足だったのだろうか。無理してマラソンに挑戦した心意気は買いたいが、本業のトラックの方でも崩れないようにと思う。
そして大相撲千秋楽。なんといっても白鵬対朝青龍の一番は個人的に力が入ってしまう対決だった。今場所を面白くしたのは間違いなく朝青龍の復帰と、それまで一人横綱としてしっかり優勝を決めてきた白鵬の存在だろう。ガチンコの取り組みだったが軍配は白鵬。どっちが勝ってもおかしくなかったことを思えば、やはりそれまでの二場所を守り抜いた白鵬の自負が勝ったのではないかと感じさせられた。でも、朝青龍も最後まで優勝レースを引っ張っての13勝だから立派なものだろう。
それにしても今場所の内舘牧子さんの発言は面白かった。本当にそう思っているのか、土俵を盛り上げるために言ったのかは分からない。朝青龍について彼女の書いた本に少しばかり興味を持った。確か大学院で宗教学を専攻し、相撲についての修士論文を書いているくらいだから、高尚な内容なのだろうか。
サッカーの日本VSチリ
大阪国際女子マラソン
大相撲千秋楽
サッカーは退屈な試合だった。いまいちスッキリしない試合展開でどうも飽きてしまった。最後まで見たけれど。
点数が入らないのもそうだが、両チームとも攻め手に欠いていたし、フィニッシュまで持っていったとしても大きく的を外していた。ドローで日本に収穫があるとすればディフェンスラインが崩れなかったことぐらいのものだと思う。また得点力不足が叫ばれないように頑張ってほしい。明日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦も一部報道によるとハンドボールに観客を取られて、動員数が過去最低になるかもしれないとか。今年は代表にとってW杯の予選も始まる大事な年のはず。そこに行く前にサポーターのテンションを下げないようにと願うばかりだ。
大阪国際はなんといっても福士。見たのは30キロ過ぎからだったのだが、そこまでどういう走りをしていたのだろう、余裕のトップだった。しかし、マラソンの魔物は30キロ過ぎにいるという格言(?)通り、だんだんと足が進まなくなってしまっていた。もう余力がなかったのか、脱水症状だったのかは分からないが、見ていて悲痛なほどの走りに変わってしまった。何回も転びながらも、何かを求めるようにゴールへと走り続ける姿はたとえ19位フィニッシュでもこの大会が福士のものだったと感じさせるに十分な内容だった。しかしあそこまで走れなくなるということはやはり調整不足だったのだろうか。無理してマラソンに挑戦した心意気は買いたいが、本業のトラックの方でも崩れないようにと思う。
そして大相撲千秋楽。なんといっても白鵬対朝青龍の一番は個人的に力が入ってしまう対決だった。今場所を面白くしたのは間違いなく朝青龍の復帰と、それまで一人横綱としてしっかり優勝を決めてきた白鵬の存在だろう。ガチンコの取り組みだったが軍配は白鵬。どっちが勝ってもおかしくなかったことを思えば、やはりそれまでの二場所を守り抜いた白鵬の自負が勝ったのではないかと感じさせられた。でも、朝青龍も最後まで優勝レースを引っ張っての13勝だから立派なものだろう。
それにしても今場所の内舘牧子さんの発言は面白かった。本当にそう思っているのか、土俵を盛り上げるために言ったのかは分からない。朝青龍について彼女の書いた本に少しばかり興味を持った。確か大学院で宗教学を専攻し、相撲についての修士論文を書いているくらいだから、高尚な内容なのだろうか。
この冬の我が家は原油価格上昇にあわせて暮らし方を変えている。灯油が高いからか買うのが面倒くさいからかは分からないが、石油ストーブというものをまったく使っていない。暖房はエアコン一筋。しかも設定温度は20度(若干あったかいくらい)と厳しく定められている。もちろんコタツなんてものはない。
それで寒くないのかと思われるかもしれない。はっきりいって寒い。凍えてしまう。よってリビングではみんなでこぞって毛布をかぶっている。ひざ掛け毛布ではなく、寝具としての毛布が常備されている。これである程度の寒さからは逃れることが出来る。しかし困ったことに人数分は用意されていない。早い者勝ちでの取り合い、もしくは近くの人のをちょっくら拝借、という事態になる。
確かにエコだし低燃費ではあるが、毛布がリビングに並んでいる風景は見ていて気持ちのいいものではない。それでも誰も不平を言わない。我が家にはなんとなくあるもので間に合わせようとする家風があるのかもしれない。もっとも今の状態になったのにも理由はあるらしい。石油ストーブは回りに物があって火事になりそうだから×。コタツは掃除するのが面倒になるから×、といった具合だ。
もっとも関東の冬はそんなに防寒しなくてはならないほどの寒さはないと思う。気持ちあっためればOKだと思うのだ。寒さに強くなるためにも、経済的に冬を過ごすためにも、ある程度の犠牲は仕方ないのではないか。まぁ、それはお題目で個人的にはあったかいに越したことはないとは思うが。
それで寒くないのかと思われるかもしれない。はっきりいって寒い。凍えてしまう。よってリビングではみんなでこぞって毛布をかぶっている。ひざ掛け毛布ではなく、寝具としての毛布が常備されている。これである程度の寒さからは逃れることが出来る。しかし困ったことに人数分は用意されていない。早い者勝ちでの取り合い、もしくは近くの人のをちょっくら拝借、という事態になる。
確かにエコだし低燃費ではあるが、毛布がリビングに並んでいる風景は見ていて気持ちのいいものではない。それでも誰も不平を言わない。我が家にはなんとなくあるもので間に合わせようとする家風があるのかもしれない。もっとも今の状態になったのにも理由はあるらしい。石油ストーブは回りに物があって火事になりそうだから×。コタツは掃除するのが面倒になるから×、といった具合だ。
もっとも関東の冬はそんなに防寒しなくてはならないほどの寒さはないと思う。気持ちあっためればOKだと思うのだ。寒さに強くなるためにも、経済的に冬を過ごすためにも、ある程度の犠牲は仕方ないのではないか。まぁ、それはお題目で個人的にはあったかいに越したことはないとは思うが。
斉藤和義 CD ファンハウス 1997/11/21 ¥948歌うたいのバラッド
おやすみ
このまえ発売されたBank Bandの『沿志奏逢2』でカバーされている曲。先週のMステで桜井さんが歌っているのを見たが、僕の聴いた感じでは、やはりオリジナルの方が良いと思った。『沿志奏逢2』は持っていないのでそれとの比較は出来ないけれど。
初めて聴いたのは車の中。ちょとした用事で出かけていて、ラジオをかけながら運転していたら、波多陽区が昔の恋人との思い出の曲とか言って、芸人なのに笑いなしで紹介していた。ちょうどその時に目的地に着いたのだが、なんとなく気になって聞いていたら思わず引き込まれて最後まで聴いてしまった。その後すぐに斎藤和義さんのアルバムをレンタルして聴いてみた。以外にもそれほど昔のものともいえない曲であることに驚いた。80年代ソングだと勝手に思っていたから。
申し訳ないながら、その他の曲の印象はそれほど強くないのだけれど、この曲だけは素晴らしいと思う。なんといってもメロディラインに流れがある。サビへとつながる盛り上がりの作り方が聞いていて心地よい。歌詞もそれなりに訴えかけるものがある。桜井さんは「音楽を作っていくことに悩んだとき、この曲が答えを示しているような気がした」と言っていた。僕は音楽をじっくり聴くタイプではなく、直感的に感じるタイプだから、一回目でいいものはいいと思うし、合わないものはそれなりにという聴き方をする。この曲は久しぶりにひっかかった曲であったことは確かだ。自分の知らないところでも名作は輝いているということを知らされた曲だった。
おやすみ
このまえ発売されたBank Bandの『沿志奏逢2』でカバーされている曲。先週のMステで桜井さんが歌っているのを見たが、僕の聴いた感じでは、やはりオリジナルの方が良いと思った。『沿志奏逢2』は持っていないのでそれとの比較は出来ないけれど。
初めて聴いたのは車の中。ちょとした用事で出かけていて、ラジオをかけながら運転していたら、波多陽区が昔の恋人との思い出の曲とか言って、芸人なのに笑いなしで紹介していた。ちょうどその時に目的地に着いたのだが、なんとなく気になって聞いていたら思わず引き込まれて最後まで聴いてしまった。その後すぐに斎藤和義さんのアルバムをレンタルして聴いてみた。以外にもそれほど昔のものともいえない曲であることに驚いた。80年代ソングだと勝手に思っていたから。
申し訳ないながら、その他の曲の印象はそれほど強くないのだけれど、この曲だけは素晴らしいと思う。なんといってもメロディラインに流れがある。サビへとつながる盛り上がりの作り方が聞いていて心地よい。歌詞もそれなりに訴えかけるものがある。桜井さんは「音楽を作っていくことに悩んだとき、この曲が答えを示しているような気がした」と言っていた。僕は音楽をじっくり聴くタイプではなく、直感的に感じるタイプだから、一回目でいいものはいいと思うし、合わないものはそれなりにという聴き方をする。この曲は久しぶりにひっかかった曲であったことは確かだ。自分の知らないところでも名作は輝いているということを知らされた曲だった。
最近よく思うことがある。年を取ると根気がなくなるものなのかなぁと。特に重大な事件が身の回りにあったわけではないが、なんとなくそう思うのである。
なぜそんなことを感じているかははっきりしている。映画鑑賞と漫画購読が発端なのだ。どちらも昔の自分だったら喜んで行う種類のもののはずだった。しかし、最近はどうも気が進まない。特に他にしなくてはならないことがあるわけでもないのに、なぜかする気にならないのだ。理由は疲れるから。体力的にではなく精神的にだが、じっとして一つの物事に取り組むのに疲れてしまうのだ。短時間ならまだしも、1時間から2時間以上何かに拘束されることを拒否する信号が脳から出ている感じがする。もっとも、そのような文化的作業ではなく、肉体的な作業なら特に苦にはならないのが救いなのだが。
昔好きだったことが、精神的に苦痛に感じるというのはどうしたことだろう。僕は昔はそれこそ勉強もそこそこしたし、集中力はあったほうだと思う。しかし、大学入学頃からだろうか、何につけてもサボることを覚えてしまったような気がする。できるだけ労力を少なくして物事を進めたい。本当に自分の好きなことだけをやっていたい。そんな虫のいい話はあるはずがないのだが、そうなるように過ごしてきたような気がする。
前にとある人に言われたことがある。
「人は一度生活レベルを上げると、そこから下げることはできなくなるんだよ」
と。例えば、車。一度座席の広い大型車を買ってしまうと、軽自動車には乗れなくなるというものだった。その理論に沿っていうと、
「人は一度楽を覚えてしまうと、できるだけ楽な方に流れてしまう」
ということにでもなるのだろうか。確かにそうかもしれないと最近の自分の精神活動を思うと納得してしまう。
それだけに次に次にとチャレンジしている人は凄いと思う。一歩でも先に先にと踏み出せるのは、凡人にはない何かを持っている証拠だろう。楽を覚えることは簡単だし、そこに留まることは心地良いに違いない。しかし、やはり最後に勝つのは辛さを含んだ一歩を踏み出せる人なのだと思う。昔の自分はおそらくそういう人間だったろう。ただ、多くの人がそうであるように、年齢を重ねるごとにそういう根気が薄れてきてしまうものなのかもしれない。そんな老いの衰えに負けない力を保ちたい、そう思っていられるうちはまだ先があるのではないだろうか。
なぜそんなことを感じているかははっきりしている。映画鑑賞と漫画購読が発端なのだ。どちらも昔の自分だったら喜んで行う種類のもののはずだった。しかし、最近はどうも気が進まない。特に他にしなくてはならないことがあるわけでもないのに、なぜかする気にならないのだ。理由は疲れるから。体力的にではなく精神的にだが、じっとして一つの物事に取り組むのに疲れてしまうのだ。短時間ならまだしも、1時間から2時間以上何かに拘束されることを拒否する信号が脳から出ている感じがする。もっとも、そのような文化的作業ではなく、肉体的な作業なら特に苦にはならないのが救いなのだが。
昔好きだったことが、精神的に苦痛に感じるというのはどうしたことだろう。僕は昔はそれこそ勉強もそこそこしたし、集中力はあったほうだと思う。しかし、大学入学頃からだろうか、何につけてもサボることを覚えてしまったような気がする。できるだけ労力を少なくして物事を進めたい。本当に自分の好きなことだけをやっていたい。そんな虫のいい話はあるはずがないのだが、そうなるように過ごしてきたような気がする。
前にとある人に言われたことがある。
「人は一度生活レベルを上げると、そこから下げることはできなくなるんだよ」
と。例えば、車。一度座席の広い大型車を買ってしまうと、軽自動車には乗れなくなるというものだった。その理論に沿っていうと、
「人は一度楽を覚えてしまうと、できるだけ楽な方に流れてしまう」
ということにでもなるのだろうか。確かにそうかもしれないと最近の自分の精神活動を思うと納得してしまう。
それだけに次に次にとチャレンジしている人は凄いと思う。一歩でも先に先にと踏み出せるのは、凡人にはない何かを持っている証拠だろう。楽を覚えることは簡単だし、そこに留まることは心地良いに違いない。しかし、やはり最後に勝つのは辛さを含んだ一歩を踏み出せる人なのだと思う。昔の自分はおそらくそういう人間だったろう。ただ、多くの人がそうであるように、年齢を重ねるごとにそういう根気が薄れてきてしまうものなのかもしれない。そんな老いの衰えに負けない力を保ちたい、そう思っていられるうちはまだ先があるのではないだろうか。
東京都心で2年ぶり積雪、横浜で初雪・各地でこの冬一番の寒さ [日経新聞]
2008年1月23日 時事ニュース
01月23日付 日経新聞の報道「東京都心で2年ぶり積雪、横浜で初雪・各地でこの冬一番の寒さ」へのコメント:
今日、関東地方でも雪が降った。去年は確かほとんど降らなかったはずだから、これは久しぶりの雪と言って差し支えないと思う。平野部で降った雪はほとんど積もらないか、積もってもすぐに解けてしまうかといった程度だったからそんなに大騒ぎすることではないかもしれない。しかし、関東に住んでいる人間にとっては雪はやはり珍しい現象であり、程よく降ってくれると、そこはかとなく楽しくなってくる。
こと子供にとっては、雪かきや通勤とかいった憂鬱な作業とは比較的無縁なため、純粋に雪を楽しむことができる。僕の記憶で言えば、雪の積もった日などは、先生が授業をつぶして雪遊びに充ててくれて、みんなで思う存分雪合戦やら、雪だるま作りやらに興じることができた思い出がある。それは楽しいものだった。
ただ、雪を楽しめるのはやはり子供とスキー客だけの特権なのではなかろうかと思う。仙台で暮らしていた時などは、もういい年になっていたのだが、雪が降るのが憂鬱で仕方がなかった。通学に原付バイクを使っていたので、雪が降ると顔にピシャピシャと当たるのが痛くて仕方なかったし、時には路面の雪に足を取られて豪快にすっ転んだりしたこともあった。それに配慮してかどうか、雪があまりに深いと先生の方でも休講にしてくれることがあったが、こちらとしては現地にたどり着かない限りその情報を手にすることができないわけで、休講ということを聞いても嬉しいどころか恨めしいと思ったことも一度や二度ではなかったと思う。
地域によって同じ現象でも人々の心を捉えたり、離したりするものなのだと今になって思う。北海道・東北・北陸の人などは、雪を常に恨めしく思うものなのだろう。それに比べて、関東の人の気楽さはいいものだ。両方の感覚を味わった自分としては、やはり何事もほどほどがいいと言うしかないと思う。
今日、関東地方でも雪が降った。去年は確かほとんど降らなかったはずだから、これは久しぶりの雪と言って差し支えないと思う。平野部で降った雪はほとんど積もらないか、積もってもすぐに解けてしまうかといった程度だったからそんなに大騒ぎすることではないかもしれない。しかし、関東に住んでいる人間にとっては雪はやはり珍しい現象であり、程よく降ってくれると、そこはかとなく楽しくなってくる。
こと子供にとっては、雪かきや通勤とかいった憂鬱な作業とは比較的無縁なため、純粋に雪を楽しむことができる。僕の記憶で言えば、雪の積もった日などは、先生が授業をつぶして雪遊びに充ててくれて、みんなで思う存分雪合戦やら、雪だるま作りやらに興じることができた思い出がある。それは楽しいものだった。
ただ、雪を楽しめるのはやはり子供とスキー客だけの特権なのではなかろうかと思う。仙台で暮らしていた時などは、もういい年になっていたのだが、雪が降るのが憂鬱で仕方がなかった。通学に原付バイクを使っていたので、雪が降ると顔にピシャピシャと当たるのが痛くて仕方なかったし、時には路面の雪に足を取られて豪快にすっ転んだりしたこともあった。それに配慮してかどうか、雪があまりに深いと先生の方でも休講にしてくれることがあったが、こちらとしては現地にたどり着かない限りその情報を手にすることができないわけで、休講ということを聞いても嬉しいどころか恨めしいと思ったことも一度や二度ではなかったと思う。
地域によって同じ現象でも人々の心を捉えたり、離したりするものなのだと今になって思う。北海道・東北・北陸の人などは、雪を常に恨めしく思うものなのだろう。それに比べて、関東の人の気楽さはいいものだ。両方の感覚を味わった自分としては、やはり何事もほどほどがいいと言うしかないと思う。
54万人が臨む 大学入試センター試験、始まる [朝日新聞]
2008年1月19日 時事ニュース
01月19日付 朝日新聞の報道「54万人が臨む 大学入試センター試験、始まる」へのコメント:
今年もこの季節が来た。受験シーズン。今となっては関係ない僕のような人にとってはもう懐かしい昔話になってしまうものだが、ファミレスやファストフード店などでせっせと作業に勤しんでいる人を見ると、なんだか懐かしくなってしまう。「そういう時代もあったなぁ」と。そしてわずかながら、「頑張れよ」と密かに思う。
僕の場合、二回センター試験を受験したことになるのだが、今思えばもっと真剣に勉強していればよかったと思わないこともない。いや、当時は真剣だったのかもしれない。今となってはその真剣さが過去の記憶となってしまったことで、あやふやさをもってしか感じ取れないのでそう思うだけだろう。実際、受験期にはストレスからか血尿まで出たくらいだから、やはりそのプレッシャーたるや自覚はなくとも相当のものだったと思う。当時の思い出としては、息抜きだと理由をつけてゲームセンターの格闘ゲームで達人レベルに上手くなった楽しい記憶が大半を占めているが。
話は戻ってセンター入試。センターの思い出といえば、一回目の受験の時になぜか我が校は、あの開成高校に行って、開成高校の方々と机を並べて受験した。はっきいいって嫌がらせとしか思えなかった。そもそも戦闘力が違いすぎる。初めてナッパと遭遇したヤムチャみたいなものだ。試験の合間の会話で「98点だよ〜、やべぇ」という言葉を聞いたときなど、じゃあ自分の状況はどう表現すればいいのかと問いたくなるくらいだった。こういうどうしようもない状況に陥ると、人間笑うしかないなと思ったものだ。
でも今になって思えば、「受験」という制度には多分の救済措置が含まれている気がする。どんな人間でも勉強は裏切らない。努力をすれば必ず報われるという一面を持っているからだ。努力が実を結ばないことの多さを考えれば、大概の人がすれば報われる努力に心血を注げる「受験」という制度は競争の平等さを保っていると思う。社会に通用する学歴という武器を手にできる勉強に励むことは、多少の向き不向きに耐えなくてはならないとはいっても無駄にはならない。たとえ、学歴に結びつかなくても、何かしらかの役には立っているものだ。
そんな受験シーズンの到来を告げるセンター試験。当人にとってはごく真面目な切羽詰った状況を、おちゃらけて笑い話にできるのも、同じような状況のもとで多少なりとも苦しんだからこそなのかもしれない。真剣に勝負に向かう人たちにはぜひとも幸運がめぐってほしいと思う。
今年もこの季節が来た。受験シーズン。今となっては関係ない僕のような人にとってはもう懐かしい昔話になってしまうものだが、ファミレスやファストフード店などでせっせと作業に勤しんでいる人を見ると、なんだか懐かしくなってしまう。「そういう時代もあったなぁ」と。そしてわずかながら、「頑張れよ」と密かに思う。
僕の場合、二回センター試験を受験したことになるのだが、今思えばもっと真剣に勉強していればよかったと思わないこともない。いや、当時は真剣だったのかもしれない。今となってはその真剣さが過去の記憶となってしまったことで、あやふやさをもってしか感じ取れないのでそう思うだけだろう。実際、受験期にはストレスからか血尿まで出たくらいだから、やはりそのプレッシャーたるや自覚はなくとも相当のものだったと思う。当時の思い出としては、息抜きだと理由をつけてゲームセンターの格闘ゲームで達人レベルに上手くなった楽しい記憶が大半を占めているが。
話は戻ってセンター入試。センターの思い出といえば、一回目の受験の時になぜか我が校は、あの開成高校に行って、開成高校の方々と机を並べて受験した。はっきいいって嫌がらせとしか思えなかった。そもそも戦闘力が違いすぎる。初めてナッパと遭遇したヤムチャみたいなものだ。試験の合間の会話で「98点だよ〜、やべぇ」という言葉を聞いたときなど、じゃあ自分の状況はどう表現すればいいのかと問いたくなるくらいだった。こういうどうしようもない状況に陥ると、人間笑うしかないなと思ったものだ。
でも今になって思えば、「受験」という制度には多分の救済措置が含まれている気がする。どんな人間でも勉強は裏切らない。努力をすれば必ず報われるという一面を持っているからだ。努力が実を結ばないことの多さを考えれば、大概の人がすれば報われる努力に心血を注げる「受験」という制度は競争の平等さを保っていると思う。社会に通用する学歴という武器を手にできる勉強に励むことは、多少の向き不向きに耐えなくてはならないとはいっても無駄にはならない。たとえ、学歴に結びつかなくても、何かしらかの役には立っているものだ。
そんな受験シーズンの到来を告げるセンター試験。当人にとってはごく真面目な切羽詰った状況を、おちゃらけて笑い話にできるのも、同じような状況のもとで多少なりとも苦しんだからこそなのかもしれない。真剣に勝負に向かう人たちにはぜひとも幸運がめぐってほしいと思う。