趣味

2007年4月15日 思うところ
「専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄」広辞苑第五版

堂々と「○○が趣味です」と言える人を羨ましいと思ってしまう。自分がそうでないからかもしれないが。

でも、趣味といえなくもないことはいくつかある。以下列挙する。

?カラオケ

前にも書いたが、遊びに行くとほぼ必ず、歌うことになる。趣味と言うよりはライフワークに近いかもしれない。しかし、密閉された薄暗い空間が嫌いではないし、なによりも気を遣わずに、シャウトできるのが心地良い。これが、一番それらしい趣味かもしれない。

?スポーツ観戦

弟の影響もあるが、どんなスポーツでも思わず見てしまう。

フットボール・野球・バレーボール・ラグビー・マラソン・駅伝・格闘技・フィギュアスケート・F1・etc・・・

テレビ観戦だが、大体のスポーツには通じているつもりだし、見ながら感興を覚えてしまうのも、やはり、純粋に楽しめているからだろう。今の時期だとフットボールのCLがもっとも熱狂するスポーツになっている。やはり、純粋に勝ちを求めて身を削っている、選手たちのワンプレーは感慨を誘われる。

?読書

言うほど読んでいないし、基本的に小説しか読まないので、なんともいえないが、本を読むのは自己啓発に寄与するところが大きい。好きな作家はもちろん、そうでない書き手も読んでみると、意外な発見を与えてくれる事が多い。自分の知らなかった世界へと深く導いてくれるのは、読書の最大の利点であると思う。

?その他もろもろ

趣味といえるようでいえないこともいくつかある。あまりにも深く入り込みすぎた世界や、ちょっと手を出してみただけの世界など挙げればきりがない。やっていて楽しい事はやはり趣味なのだろうか。そうだとすると、趣味の範囲は彼方まで広がるだろう。
先日、ひさしぶりの友人たちと飲みにいった。飲みの場でも多くのインスピレーションを受けたが、帰りの電車が一緒になった友人の言葉がとても印象的だったので、ここに記しておこうと思う。

まず、

?自分にとってマイナスな言葉(辛い、疲れたなど)は、口にしないほうがいい

ということだ。言葉にしてしまうと、聴覚がそれを捉えてしまい、多少の気持ちでもそれが増幅してしまうということだった。よって吐く言葉は常にプラス方面の言葉(楽しい、嬉しい)のほうが、自分にとっても周りにいる人にもよいということだった。言の葉には力が宿るといったところだろうか。

そして

?イメージトレーニングを実行すべし

自分のリラックスできる空間で、深呼吸をして自分を落ち着かせ、自分が成功している姿、または、こうありたいと思う姿をイメージするといい、とのことだった。具体的にイメージすることで、思い描いたその像に現実の自分も近づいていけるらしい。

なんとなく精神論的だが、確かに真実を突いている気がする。自分も常にプラス思考でいきたいものだ。

メール

2007年4月11日 思うところ
メールとは微妙なものだ。

送信する側と受信する側とで一つのメールの意味合いは大きく違う。送る側が非常に大切な意図をもって文章化したものでも、受け取る側がその心持ちを読み取れなければ、そのメールは形骸化してしまう。

自筆で書いた手紙ならば、その意味の重さはあらかじめ伝わるだろう。しかし、メールという気軽な、そして軽簿な媒体を通してしまうと、なぜだか大切な事が簡単に処理されてしまうという過程により、意思疎通に食い違いが生じてしまう可能性がより大きくなる。

本音と建前の見極めが、非常に重要となっているこの社会において、メールというのはその先端にあるのではないか。自分も大概のメールは、やり過ごしてしまう。申しわけないが、本当に大切な事は、メールでは決められないものなのだ。

損得勘定

2007年4月10日 思うところ
最近になって、自分の生き方が徐々に変わってきたように思う。それは、生き死にの捉え方についてだ。

本来的には、人間は死を逃れて生き続けるものである。死を恐れるのが、本来的な生き死にの在り方だ。

死ぬというのは、人間が本能的に避けることで、個人にしてみれば忌むべきことに違いない。損得にすれば、完全に損である。

しかし、死がすべてを終わらせるのならば、損得勘定も何もあったものではない。ある個人の死による損得勘定は、その本人には関わりがない。遺された人々にのみ、その死の意味は関わってくる。

つまり、自分が死んで得をするのも、損をするのも残された人々である。だったら、自分が死ぬ事を想像してみたときにどうなるのか。まず得をする人はいないと思った。自分がいなくなることで得をする人がいないならば、死ぬ意味はない。僕はみんなを幸せにしたいと願う人間だから。

損得勘定でいうならば、死ぬ事は結果的に自分にとって損。ならば、生きるしかない。かっこ悪い理屈だが、生き抜くしかない。それも自分が死んで得をする人間が出るほどに。
お金はないよりあったほうがいい。物は高いよりも安いほうがいい。
また、同じ時間を過ごすならば、楽しいほうがいいし、楽しくなるような仲間と一緒にいるほうがいい。それが自分の本音だ。

「自分、不器用ですので」

ほにゃららけんさんの言葉は、そういった本音を言えない自分のことを思ってのことだろうか。

生きていくことを楽しいと思えるには、コストパフォーマンスを常に頭に入れていたほうがいい。でも、ほにゃららさんのようにありのままを受け止められる人がいなくては、世の中はうまく回らないのだろう。そんな役回りも自分は案外と嫌いではないのだ。

歌い人

2007年4月8日 音楽
友人と遊びに行くときは、95%近い確率でカラオケにいく。というよりは、何の打ち合わせもしないのに無条件で足が向いてしまっている。勝手知ったる仲といったところだろう。

二人で、3時間歌うのが前提みたいな感じになっている。そのような仲だからこそ、他の人には聞かせられないような歌を歌えるという心地よさがある。喉がつぶれても、歌いつづけることが出来るのはそのような関係だからだろう。

好きな歌を、好きなスタイルで歌う。これが、カラオケの本質ではないだろうか。変に気を遣ったり、遠慮したりするのは、ストレスを溜め込むだけの行為だ。

だから、僕は今日も自分の思い通りの歌を、歌いつづけるのだろう。他人の目など気にせずに、大切な人と自分の好きなあの歌を。

誕生日

2007年4月5日 家族
うちでは必ず家族の誕生日を祝うことになっている。誕生日当日でなくとも、家族全員が集まれる時に合わせて、誕生日該当者がリクエストしたちょっと豪華なものを囲んで、お祝いをする。すでに子どもたちが子どもといえない年齢に達しているにもかかわらず。

年をとるのが辛くなってくるのはいつからなのだろうか。だれかしらかの誕生日を迎えるごとに自分はふとそんなことを想像してみたりする。いつまでもうちの、このような習慣を続けられればとは思いつつも、いつかしらか、確実に終わるであろうこのお祝いごとを、そんなふうに考えてみてしまう。

生きること自体、辛い事のほうが多いのであるから、その辛さを背負って生れてきた日を、楽しく祝うというのは、なぜだか矛盾しているようでもさもありたいと感慨に耽ってしまう。

歩み

2007年4月4日 思うところ
幼い頃から、僕の歩くスピードは、どんな人にも負けないほどだった。本気で歩くと、小走りのOLさんにも負けないくらい速かった。大きくなってから、できるだけ周りに合わせて歩くようにしたが、それでも集団のスピードを速くしてしまうことがよくあった。

ただし、家族で出かけることがあると、集団の牽引者は常に父だった。なぜか、父は自分のペースでしか歩けないらしく、1人で先をきって歩いていた。それは今でも変わらない。本気で歩けば、僕も父に負けないほど速いとは思うが、僕としては、せっかくの家族団欒の時に、敢えて早歩きしようとは思わなかったので、父はだいたいは先頭でみんなと離れていた。

歩くことはいまでも嫌いではない。余力があれば、最寄駅から自宅まで歩いたりもする。自分ひとりで歩くことも、他の人のペースに合わせることも、今では苦にならない。今までの自分は歩き急いでいたような気がする。

敢えて、早歩きをしていた小さい頃は、それこそ、生き急いでいた気がしてならない。今はそれなりのペースで生活できている。速すぎても、遅すぎても、世の流れは変えられないのだから、自分のペースで歩けばいいのだろう。

祖父との思い出

2007年4月3日 家族
今日は父方の祖父の祥月命日だ。

父方の祖父(以下、祖父)との思い出に個人的には良い思い出は、ない。自分の記憶にある祖父は、すでに歩行困難となっていた。そのため私達兄弟が近づくと、力いっぱいに自分の方へと引っ張ることが何度もあり(上半身は健全だった)、その恐ろしい力強さがトラウマとなって、兄弟3人とも(特に弟は)、晩年の祖父のことを恐れていた。

今考えれば、あれは祖父なりの、私達へ向けた愛情行動だったのかもしれない。自由に歩けないことへの憤りが、または、私達に存在感を示す行為の結果が、力強い引っ張りとなって現れたのではないか。

そう思うと、もっと祖父のそばにいてあげれば良かったと思う。その後悔とも言えない愛惜の情は、今も生きている自分の大切な人に向けて発せれば、祖父も少しは喜んでくれるだろうか。

花見

2007年4月2日 思うところ
関東地方では桜も満開となってきている。

花見とは実際に桜を見ることと同義になっているが、花見とはいっても桜の開花を理由とした宴会となっている気がする。大学時代はそういう意味での花見を何回したことだろうか…。

今年は純粋な花見を二回した。団子のない花見だ。桜にかこつけた宴会も嫌いではないが、桜を愛でる花見は心の豊かさを与えてくれるような気がする。

花見が感性に訴える部分は多い気がするが、集団で植物の躍動を楽しむ花見という習慣は日本古来のものだ。その昔は対象が梅であったこともあるらしいが…。

自分が生きていく上で、季節の変わり目を教えてくれる自然界の指標を忘れているような、残念な生き方だけは御免こうむりたいものだ。

眠り

2007年4月1日 思うところ
眠ることは、生き物にとって不可欠な事だ。動物にしろ、植物にしろ、かならず睡眠をとっているのではないだろうか。激しく動いたあとに休憩が必要なように、生きるという長い動きの合間にも睡眠という休憩が必要となる。

僕は眠りが心地よいと思えるタイプに入ると思う。単純な夜の睡眠も好きだが、疲れきった後の、昼の仮眠も嬉しい。ふと訪れる睡眠というのは、自分へのプレゼントとして予期せずに授けられたようなものだ。

楽しく生きるために、休憩としての睡眠が必要ならば、死を迎えるには一生懸命生きなくてはならないということだろうか。

ポプラの秋

2007年3月29日 読書
ISBN:4101315124 文庫 湯本 香樹実 新潮社 1997/06 ¥420

前に呼んだ『夏の庭』が良かったので、購読してみました。前作同様、淡々としたやわらかい文体と、心に迫るテーマに感じ入りました。自分が幼い頃に考えていた事を想起させてくれて、当時の自分が考えていた事と今の自分が考えている事のギャップが何なのか、どのように違ってしまったのか、思い起こすのに十分な内容でした。

それにしても、この人の小説は読書感想文に適していると思います。読み手が大人であろうとも。

慣れ

2007年3月27日
慣れとは面白い事だ。

幼い頃に不思議に思っていたことが、慣れていくことによって常識になってしまう。目新しいことなどは、20歳を越えるとほとんどなくなっていき、人生のターニングポイントは実年齢のそれをはるかに下回っているというのが通説だ。

また、スポーツにおける慣れ(肉体的なもの)は、筋力の維持のために練習を続けることによって得られる。それを生業とする人たちは、肉体の限界まで筋力を慣らしていって、その限界を上げていく。逆に慣らさなければ、その限界値はなだらかに下降線をたどってしまう。

慣れなくては生きる事などできはしないのが現代社会の難点だ。車などという必要悪を自然なものとして受け入れなくてはならない。買い物一つにとっても、会計などは不安定なレジ係とバーコードに頼らなくては円滑に物事は進まない。疑問をさしはさむ余裕などないのだ。

私は、慣れに侵されること自体を悪いとは思わないが、生きる事に関しては、あくまで自分の納得したものだけを認めていきたい。意味があるからこそ、慣れというシステムが人体にプログラミングされているわけなのだから、それ自体は否定しようもない。だからこそ、自らが手に入れた確かなものが血となり肉となって、確かな自分を築いてくことが必要なのだと信じたい。
なんとなくかたい内容が続いていたので、今日は久々に日常的なことを書こうと思います。

それというのも、うちの夕飯についてです。

昨日は、珍しく家族全員が揃ったので、ちょっとおいしいものでも食べようか、ということになりまして、オーダーをとったところ、私の提案したお好み焼きが裁可されました。

「なぜにおいしいものでお好み焼き?」

と思ったあなた、そう、そこのあなたです。お好み焼きといっても単純なものではないのですよ。我が家でお好み焼きといっても二種類あるんですよ。

ひとつは定番の関西風お好み焼き。いわゆる、残り物全部集合的なお好み焼きです。

もう一つが、調理にテクニックを要する、広島風お好み焼き。キャベツたっぷりやきそばに卵でふたをする、回転が肝心要くんなお好み焼きです。こちらを作ろうと提案したわけですよ。

ただ難点がありまして、この広島風お好み焼きは、作るのに手間がかかる上、我が家でも3年ぶりくらいの久しぶりなメニューだったわけです。当然、材料は母上の頭脳にインプットされていたから問題なかったのですが、いかんせん、調理法が手探り状態。しかも、ホットプレートの大きさの事情で、一回に一つしか作れないわけです。

まずは、主婦歴うん十年の母君が調理に入ったわけですが、









うん、微妙だね・・・

続いて、果敢なるチャレンジャー、私が挑みまして



















うん、学習能力ゼロだね。

すると、追加召集された、プロフェッショナル兄君が降臨!






















うん、これだね。

ということで、三度目の正直により、なんとか後続たる父はプロフェッショナルの見よう見真似でおいしいいものが食べれた訳です。ただ、どの世界にもチャレンジャーという存在があるらしく、ここで、異端児たる弟君が出現。レシピを大幅に変更して、調理に入りました。すると、





















身伸の半回転は栄光への掛け橋だーー!!
































グチャリコ















やってくれました。本当に期待を裏切らない子です。

やはり先達はあらまほしきことかな。
物を書くという行為は、自分が情報を発信しているということで、主体的行為といえるだろう。

だが、その執筆物は読まれないことには、無意味になってしまう。つまり、人に読まれることを想定しなくてはならないため、書く段階から客体を意識して書かなくてはならないという、矛盾した状況に陥ってしまう。書くのは、本来的には自由な行為のはずだからだ。

ブログであっても、販売物であっても、書くことは読み手を意識した行為になる。必然的に、書きたくても書けないことも生じてくる。

少なくとも社会生活がそうであるように、何事も客体を意識して行動しなくてはならない。そうしなくては、排斥されるのは自分であるからだ。

でも、僕は可能な限り、自由を満喫したい。あくまで主体的に。

HOME

2007年3月24日 音楽
Mr.Children Kazutoshi Sakurai CD トイズファクトリー 2007/03/14 ¥3,059 
叫び 祈りWake me up! 彩り 箒星 Another Story PIANO MAN もっと やわらかい風 フェイク ポケット カスタネット SUNRISE しるし 通り雨 あんまり覚えてないや

ちょっと遅いかもしれないけれど、ミスチルのニューアルバムのレビューです。

個人的な感想をいうと、あまりピンと来なかったというところでしょうか…。HOMEというタイトルと各々の楽曲のつながりは素晴らしかったと思うのですが、一つ一つの曲に力がなかった気がします。僕的には、これだったら「深海」のほうが良かった気がしますね。(というよ
り、その当時の自分が好きだったからこそ、「深海」のほうが好きという言い方が正しいかも)

いずれにせよ、あと十回は聞いてみて、今の僕の一部になってもらおうとは思います。
その昔、平安の御世には、清少納言が
「めったにないもの」という意味で、
「有難きこと」をつらつらと書き並べていました。

どうやらその「有難いこと」は、
「めったにない嬉しいこと」を示すようになり、
現在に至っているようです。

僕にはその「有難いこと」が、
連続して起こっているような気がしてなりません。
普段のおこないが良かったからかな(笑)

ただ僕は、その「有難いこと」を
恣意的に勘違いしてしまうと、
大変なことになるという自覚だけは
持っています。

「有難きこと」は誰の身にも与えられるものです。
それをプラスに解釈するか、
マイナスと見て取るかは自分次第です。

それを選択する力だけは持ちつづけたいと思います。
幼い頃、僕は太陽に焦がれていた。窓際が大好きでいつも1人で日光に照らされていた。何もしなくとも、太陽さえあればそれでよかった。

そんな日々を過ぎ、今では、大空に浮かぶ太陽に僕は力を与えられる。しかし、最近の太陽は、昔に比べて、僕に多くを要求する。

動かなくてはならないのだ。

そうしなければ、太陽は無条件には僕を照らしてくれない。

今後何が起こるか分からないが、多くの繋がりの間で、僕はまだまだ日光の助けをもらいつつ、羽ばたいていけることだろう。
昨今問わず、時間を持て余す事が多くなっている。そんなときにするのが、いわゆる「暇つぶし」だ。

主な暇つぶしの対時間効果を考えてみると、案外と面白い事が分かる。無料でできるものは、様々だが、娯楽について考えると、案外、読書というのは優秀な成績を収める。1時間を600円で買えるのだ。僕などは遅読なので、1時間を300円で買っているかもしれない。

その他の暇つぶしを考えてみる。
ディズニーランドは12時間を約5000円で買える。1時間に換算すると420円程度だ。
ビリヤードは1時間を400円程度。
ゲームセンターは5分を100円。1時間なら1200円だ。

結局は娯楽の価格なので、なんともいえないが、時間つぶしのプロは、生活に潤いを与えられる人なのかもしれない。暇な時間を制する人ほど、人生を楽しんでいる人だと僕は思うからだ。
なんとなく、時機があったので「広辞苑」を買ってみた。特に必要性があったわけではないが、最近小説を読んでいて、はっきりとした意味を読み取りかねる語句があったため、買ってみた。実際に使わなければ、宝のもちぐされとなるし、多用できるならば、自分の国語力が上がるということになる。できることならば、高校の時に買った「ジーニアス英和辞典」くらいの必要性がある辞書になってくれれば、自分としても本望だ。

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