今日の仙台は一日中雨でした。まだ梅雨なんです。よって、家で静養してました。きっと社会人になったら、雨が降ろうと槍が降ろうと出てかなくちゃならんのだろうなぁ。少なくとも老後は晴耕雨読でやっていきたいものだと、20代とは思えないようなことを考えてしまいます。
さて、今日は「褒めると叱る」についてちょいと思うところを書いてみたいと思います。
僕は叱ることが苦手です。塾講師や家庭教師で、主に中学生の指導をし続けてきましたが、記憶にある限り叱ったことは片手で数えて余るくらいしかありません。まあ、生徒たちがいい子だったということもあるのだろうけれど。。。単純に「甘いお方だ‥」ということかもしれません。
僕は叱られることも苦手だし、叱られ慣れていません。基本的にネガティブ人間なんで、自分が周りに与える印象を気にしながら(?)ビクビク(??)暮らしています。叱られると反抗する意識よりは萎縮する意識の方が先に出ます。少なくとも、自分の行為のいけなかったところは自分で気づき、反省するようにはしています。だから、叱られると「ああ、やっぱ僕ダメ人間ですわぁ」ってな感じで凹みだします。
逆に、僕は生徒のことをひたすら褒めます。たとえ、彼らがとんちんかんな返答をしようとも、予習を忘れてテストで悪い点数を取ろうとも、彼らがなぜその行為を行ったのかを自分なりに解釈し、良いとこを見つけ出そうとしてます。尊敬する塾の先輩に「お前ならどこのクラスでも担当できる」といわれたくらい(ほめてるのか、けなしてるのか、ただ使いやすい人間だと思ってるのか分からなかったが‥)、相手の良いところを見つけるのがうまいらしいです。当たり障りないといえばそれまでなんですが。
僕は褒められると素直に喜びます。そして、その人のために頑張ろうと思ってしまいます。「豚もおだてりゃ木に登る」ってやつです。よく上記の先輩に、無理難題を押し付けられます。バイトなのに無給で仕事していることもよくあります。でもあまり損したとは思わない奇特な人間らしいです。
何が言いたいのか良く分からなくなってきましたが、ここまでを要約すると僕は[叱る&叱られる]が苦手で、[褒める&褒められる]が好き、ということです。自分が責められるのが好きでないし、自分がそれほどすごい人間だとは思っていないので、周りの人が過ごしやすいように、相手の言うことを受け止めるように心がけているつもりです。
だからといって、叱れない自分が偉いだなんてまったく思えません。確かに褒めるのがうまいというのは、一つの特技にはなるとは思いますが、叱るべき時に叱れない自分というのをどうしようもなく不甲斐なく思うことが多々あります。相手のためを思うからこそ、褒めることも叱ることもしなければならないのだと思います。
さて、今日は「褒めると叱る」についてちょいと思うところを書いてみたいと思います。
僕は叱ることが苦手です。塾講師や家庭教師で、主に中学生の指導をし続けてきましたが、記憶にある限り叱ったことは片手で数えて余るくらいしかありません。まあ、生徒たちがいい子だったということもあるのだろうけれど。。。単純に「甘いお方だ‥」ということかもしれません。
僕は叱られることも苦手だし、叱られ慣れていません。基本的にネガティブ人間なんで、自分が周りに与える印象を気にしながら(?)ビクビク(??)暮らしています。叱られると反抗する意識よりは萎縮する意識の方が先に出ます。少なくとも、自分の行為のいけなかったところは自分で気づき、反省するようにはしています。だから、叱られると「ああ、やっぱ僕ダメ人間ですわぁ」ってな感じで凹みだします。
逆に、僕は生徒のことをひたすら褒めます。たとえ、彼らがとんちんかんな返答をしようとも、予習を忘れてテストで悪い点数を取ろうとも、彼らがなぜその行為を行ったのかを自分なりに解釈し、良いとこを見つけ出そうとしてます。尊敬する塾の先輩に「お前ならどこのクラスでも担当できる」といわれたくらい(ほめてるのか、けなしてるのか、ただ使いやすい人間だと思ってるのか分からなかったが‥)、相手の良いところを見つけるのがうまいらしいです。当たり障りないといえばそれまでなんですが。
僕は褒められると素直に喜びます。そして、その人のために頑張ろうと思ってしまいます。「豚もおだてりゃ木に登る」ってやつです。よく上記の先輩に、無理難題を押し付けられます。バイトなのに無給で仕事していることもよくあります。でもあまり損したとは思わない奇特な人間らしいです。
何が言いたいのか良く分からなくなってきましたが、ここまでを要約すると僕は[叱る&叱られる]が苦手で、[褒める&褒められる]が好き、ということです。自分が責められるのが好きでないし、自分がそれほどすごい人間だとは思っていないので、周りの人が過ごしやすいように、相手の言うことを受け止めるように心がけているつもりです。
だからといって、叱れない自分が偉いだなんてまったく思えません。確かに褒めるのがうまいというのは、一つの特技にはなるとは思いますが、叱るべき時に叱れない自分というのをどうしようもなく不甲斐なく思うことが多々あります。相手のためを思うからこそ、褒めることも叱ることもしなければならないのだと思います。
仙台に来てからちょっとしたラッキーが続いています。
<その?〜懸賞当選>
仙台の自宅に着いた瞬間、目に飛び込んできた一通の封筒。なぜか「MSNメッセンジャー#$%&@?」ってな表書きが書いてある。メッセは最近ちょくちょく使っているので、お世話にはなっているが、別に封書もらうほどの事もしていないはずだ・・・、まさか何か法にでも引っかかったか・・・と恐る恐る開封してみると・・・・・こ、これはぁ!「懸賞当選」のと知らせときたぁぁぁ。そういや、ネットでアンケートに答えつつ応募したっけか。しかも中身は一万円分のギフトカード!!金欠気味の今の自分に天使が微笑んでくれました。やっぱ世の中捨てもんじゃないと感謝☆感謝☆☆。
そういやぁ、自分は懸賞に応募だなんて滅多にしないくせに、結構当選率高い気がする。過去の当選実績は小学生のころの「クレ○ン○んちゃんの腕時計」、そして中学生のころの「少年○ャンプのクオカード」くらいだけど、当選確率は確実に70%超えてるよなぁ。それにしても、今回は最高当選金額を確実に更新した、しかも必要&使えるものが当たりましたわぁ♪これからもメッセはありがたく使わせてもらいますm(__)m
<その?〜友達の内定ゲット>
研究室で一緒だった友達がうちらの大学の事務職を受験して、まさに今日「内定」の連絡を受けたという嬉しい報告をしてもらうことができました。なんとなく「お祝いだな」ということで、みんで焼肉を食べに行きました。
今となっては、うちの大学の職員も「公務員」という肩書きではなく「準公務員」という扱いになるらしいのですが、それにしても、晴れて希望通り仙台勤務ということで、めでたしめでたしです。
やはり友達の喜び事というのは嬉しいものです。みんなが頑張っている姿や、笑っている姿を見ていると、自分も前向きになれる気がします。
<その?〜懸賞当選>
仙台の自宅に着いた瞬間、目に飛び込んできた一通の封筒。なぜか「MSNメッセンジャー#$%&@?」ってな表書きが書いてある。メッセは最近ちょくちょく使っているので、お世話にはなっているが、別に封書もらうほどの事もしていないはずだ・・・、まさか何か法にでも引っかかったか・・・と恐る恐る開封してみると・・・・・こ、これはぁ!「懸賞当選」のと知らせときたぁぁぁ。そういや、ネットでアンケートに答えつつ応募したっけか。しかも中身は一万円分のギフトカード!!金欠気味の今の自分に天使が微笑んでくれました。やっぱ世の中捨てもんじゃないと感謝☆感謝☆☆。
そういやぁ、自分は懸賞に応募だなんて滅多にしないくせに、結構当選率高い気がする。過去の当選実績は小学生のころの「クレ○ン○んちゃんの腕時計」、そして中学生のころの「少年○ャンプのクオカード」くらいだけど、当選確率は確実に70%超えてるよなぁ。それにしても、今回は最高当選金額を確実に更新した、しかも必要&使えるものが当たりましたわぁ♪これからもメッセはありがたく使わせてもらいますm(__)m
<その?〜友達の内定ゲット>
研究室で一緒だった友達がうちらの大学の事務職を受験して、まさに今日「内定」の連絡を受けたという嬉しい報告をしてもらうことができました。なんとなく「お祝いだな」ということで、みんで焼肉を食べに行きました。
今となっては、うちの大学の職員も「公務員」という肩書きではなく「準公務員」という扱いになるらしいのですが、それにしても、晴れて希望通り仙台勤務ということで、めでたしめでたしです。
やはり友達の喜び事というのは嬉しいものです。みんなが頑張っている姿や、笑っている姿を見ていると、自分も前向きになれる気がします。
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ちょっとした野暮用により、仙台に帰ってきました。降り立った瞬間、来てよかったと心底思いました。なんてったって、涼しい!!歩いてて汗かかない!そして、人がわんさかいない!ほどよく都会と田舎のいいとこ取りをしているのが、仙台という街なのです。とりあえず、数日はここで避暑を楽しもうかと思います。
大学入学と共に仙台に移住してからというもの、僕には一つの思いが離れません。「自分の居場所ってどこ?」ってやつです。
僕の地元は埼玉県の「ラッキーマン」(知ってる?)の作者が住んでいるらしい街です。ここで小学校〜浪人時代までを実家で過ごしました。本当に多くのことをやらかした(!)ものの、たくさんの思い出が詰まった街です。大学4年間は仙台に居を構えていました。ばーちゃんと同居させてもらいながら、それほど多くはないけれど、長く濃い付き合いを重ねている友達ができた、まさに僕にとっての「青春の地」です。そして今は、そのどちらかに気ままに行き交う日々。でも仙台に住み始めてからというもの、ホームシックではないのですが、自分の中に冒頭の思いが生まれてきたのです。
大学二年の時に研究室に配属(実質的には3年から所属)された折に教授が次のようなことを言っていました。
「ここは、365日24時間、盆暮れ正月も関係なく常に君たちに開放されている。ここを大学時代の居場所にしてほしい。まあ、予習の必要上、徹夜せざるを得ないことも多々あるだろうから、必然的に入り浸るとは思いますが‥‥(以下略)」
このときに、居場所というものの大切さを、そしてそれを与えてくれたことの喜びを感じたのを鮮明に覚えています。やはり、人には(人だけに限らないとは思うけれど)居場所が必要なのです。それがない人は本当に不幸だと思います。自分がいて心地よいと思える場所。誰か大切な人がいる場所。おそらくそういうところが自分の居場所となるのでしょう。
大学入学と共に仙台に移住してからというもの、僕には一つの思いが離れません。「自分の居場所ってどこ?」ってやつです。
僕の地元は埼玉県の「ラッキーマン」(知ってる?)の作者が住んでいるらしい街です。ここで小学校〜浪人時代までを実家で過ごしました。本当に多くのことをやらかした(!)ものの、たくさんの思い出が詰まった街です。大学4年間は仙台に居を構えていました。ばーちゃんと同居させてもらいながら、それほど多くはないけれど、長く濃い付き合いを重ねている友達ができた、まさに僕にとっての「青春の地」です。そして今は、そのどちらかに気ままに行き交う日々。でも仙台に住み始めてからというもの、ホームシックではないのですが、自分の中に冒頭の思いが生まれてきたのです。
大学二年の時に研究室に配属(実質的には3年から所属)された折に教授が次のようなことを言っていました。
「ここは、365日24時間、盆暮れ正月も関係なく常に君たちに開放されている。ここを大学時代の居場所にしてほしい。まあ、予習の必要上、徹夜せざるを得ないことも多々あるだろうから、必然的に入り浸るとは思いますが‥‥(以下略)」
このときに、居場所というものの大切さを、そしてそれを与えてくれたことの喜びを感じたのを鮮明に覚えています。やはり、人には(人だけに限らないとは思うけれど)居場所が必要なのです。それがない人は本当に不幸だと思います。自分がいて心地よいと思える場所。誰か大切な人がいる場所。おそらくそういうところが自分の居場所となるのでしょう。
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マイサマー2004開幕☆
2004年7月14日 日々の暮らし今日は大学の友人と湘南に泳ぎに行った。←の表現には多少の解説を必要とするので追加しておきます。
?大学の友人
以前にも言いましたが、僕は東北地方の学生です。ただし、休学中です。友達は同じ大学の工学部に在籍しています。ただし、文系就職(しかもマスコミ系)という、工学とはまったく持って関連性の薄い業界へ入るべく就職活動@東京の日々です。なぜか、東北地方の学生が平日の真昼間に二人して湘南の海へ行ったというレアな現象が起こりました。
?泳ぎに行った
近年の海水浴は、ゴムボートやビーチボールなどで戯れたり、体を焼くため(日光浴)にくるのが主流らしく、さらにいえば、カップルで来る、もしくは出会いを求めてくる、というのが一般的な解釈ではないでしょうか。しかし、われわれはそんなこと考えもしていませんでした。そもそも、準備したものといえば、彼は水着だけ。僕に至っては、当初私服のままダイブしようとしていたのを彼に諭され、水着とゴーグルだけを用意していきました。しかも本当に泳ぐだけでした。遊泳可能区域の限界を示すポール(浮き?)ってありますよね。あそこへ向かってバシャバシャと3往復。ガンバりましたわ。
しかし、うちら二人は旅慣れているというか、準備不足というか‥。砂浜を歩くというのにビーチサンダルも用意せず、湘南ということだけ決めてどの海水浴場かも決めず、砂浜には新聞紙をしいてまったり‥‥こんな退廃的な雰囲気でいいのだろうか‥。
まあ、お互い海を満喫していたのでいいんじゃない?ってなことで。
海水浴終了後、友と別れ、内定者とのMTGに突入。自分、必要事項をあまり調べてなかったんです。なんとなくリーダーも飲みたくてうずうずしていたらしく、MTGも早々に切り上げて飲み会に突入。内定者飲みは、何回も経験しているけれど、常に大爆笑のトルネードに巻き込まれてしまいます♪しかも、最近自分いじられキャラっぽいんですよ。まあ、ある意味おいしのでしばらくはこの路線で行きます。かなり充実した一日でした☆
?大学の友人
以前にも言いましたが、僕は東北地方の学生です。ただし、休学中です。友達は同じ大学の工学部に在籍しています。ただし、文系就職(しかもマスコミ系)という、工学とはまったく持って関連性の薄い業界へ入るべく就職活動@東京の日々です。なぜか、東北地方の学生が平日の真昼間に二人して湘南の海へ行ったというレアな現象が起こりました。
?泳ぎに行った
近年の海水浴は、ゴムボートやビーチボールなどで戯れたり、体を焼くため(日光浴)にくるのが主流らしく、さらにいえば、カップルで来る、もしくは出会いを求めてくる、というのが一般的な解釈ではないでしょうか。しかし、われわれはそんなこと考えもしていませんでした。そもそも、準備したものといえば、彼は水着だけ。僕に至っては、当初私服のままダイブしようとしていたのを彼に諭され、水着とゴーグルだけを用意していきました。しかも本当に泳ぐだけでした。遊泳可能区域の限界を示すポール(浮き?)ってありますよね。あそこへ向かってバシャバシャと3往復。ガンバりましたわ。
しかし、うちら二人は旅慣れているというか、準備不足というか‥。砂浜を歩くというのにビーチサンダルも用意せず、湘南ということだけ決めてどの海水浴場かも決めず、砂浜には新聞紙をしいてまったり‥‥こんな退廃的な雰囲気でいいのだろうか‥。
まあ、お互い海を満喫していたのでいいんじゃない?ってなことで。
海水浴終了後、友と別れ、内定者とのMTGに突入。自分、必要事項をあまり調べてなかったんです。なんとなくリーダーも飲みたくてうずうずしていたらしく、MTGも早々に切り上げて飲み会に突入。内定者飲みは、何回も経験しているけれど、常に大爆笑のトルネードに巻き込まれてしまいます♪しかも、最近自分いじられキャラっぽいんですよ。まあ、ある意味おいしのでしばらくはこの路線で行きます。かなり充実した一日でした☆
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梅雨明けとともに充電完了?(@@;)¬
2004年7月13日 思うところ 今日は予定通り丸々オフだった。とはいっても、遠出しないというだけで、図書館行ったり、TU○AYA行ったり、本屋巡ったり、買い物したり……案外、動いてるのね(ο´Å`ο) まあ、やりたいことやってるし、車だったから気が楽だったんだな。
ちなみに、最近車の中ではもっぱらスピッツを聴いています。なぜかというと、うちの車はオーディオがテープのみだから。高校時代につくったテープをいまだに聴いているのです。それにしても、心に響きますわぁ。美しいメロディーに響く正宗さんの高音と心に染みる優しさ溢れた歌詞。特に彼らの歌う「神様」という言葉は意味が深い気がする。無神論者の僕だけれど、彼らの歌う神様なら信じたいです♪
さて、今日は最近気になるテーマということで、「大学と学問」ということについて、ちょいと書いてみたいと思います。
僕が学籍を置いている大学は、この4月に独立法人行政化(いわゆる独法化)のもとに、国立法人となりました。仙台の学友に会うたびにこの話題を論じるのですが、みんな一様に独法化には否定的な考えを示します。彼らの言うところをまとめると
?大学はあくまで「学問の府」でなくてはならない
?利益重視の体制では、基礎研究を疎かにしなければならず、長期的に 見て利益(国益)になるとは考えづらい
?成果主義を学問に導入することは、その本質上矛盾しており、学問の 切捨てに繋がる(特に文系学部・理系の基礎研究を重視する、理学部
など)
ということだったと思います。では、順次僕なりに消化した考えを加えていきたいと思います。
?というのは、「純粋な学問は大学という場でしかできない」ということです。企業集団はあくまでも利益を追求する事で、社会に価値を還元するというサイクルを持ってはいます。しかし、某友人に言わせると、それは社会の拡大再生産でしかない、ということらしいのです。彼は文学部なのですが、教授に言われた言葉が強く印象に残っているらしく、耳にたこが出来る程、酒の席で聞かされているのが次のような台詞です。
「『学術』って言う言葉あるじゃん?教授に言わせるとさ、理系の奴等がやっているのは、純粋な学問ではなく、『術』にすぎないってことだって。あいつらのやっていることは、確かにその時の最先端を行っているし、目に見えて社会を変える効果はもっているけれど、結局は代わりがいくらでもいるんだよ。たとえ、彼が生み出したものが最先端であっても一年先には確実に塗り替えられる運命のあるじゃん。理系の研究室見てみ。企業との合同研究やら、9時〜18時の出勤制だとかってサラリーマンそのまま。うちら文系はというと、確かに世の中を変える力は小さいかもしれないけれど、最高の個人を生み出す場にはなっている。『学』なんだよ、俺がやりたいのは。俺が書く論文は何千年経っても、誰も塗り変えることが出来ない固有のものとして永久に残るんだぜ。どっちが上かは推して知るべしだよな。」
何度聞いても、突込みどころ満載のように思うのですが、確かにいくつかの真理はついているんじゃないでしょうか。学問の本質は、利益を度外視した純粋なところにあるということは間違いないな…、なんて思います。
?に関しては、「国際競争力の面で長期的なスパンで見るとマイナスになるのではないか」ということらしいです。理系学部の中でも、研究の対象が、大きく分けて基礎研究と応用研究の分野に分かれるということを、某工学部の友人に聞きました。彼は、自分のやっている学問に嫌気がさして、広告代理店での活躍を決意し、今でも就職活動を懸命にがんばっています。うちの大学で工学部といったら、将来的な年収は間違いなく八桁を超えるというのに、あえてその道を選んでいる熱き漢です。彼の言葉に驚愕したのですが、最新の科学技術というのは、体系だった基礎研究の上に築かれているものではなくて、実験を繰り返した経験則上の理論に基づいて成り立っているということらしいのです。つまり、「やってみたらうまくいったから、これでいいんじゃねぇ?」的な発想により、社会の発展は可能となっているらしいのです。僕の持論として、「この世は虚構だ」という考え方があるのですが、僕の周りの友人は、大体の点においてこの考えに賛同してくれます。海外の学問組織がどうなっているかは知りませんが、絶対にそのような研究姿勢がしっぺ返しを喰らう時がくる気がしてなりません。
?は勘のいい人ならもう分かってもらえると思います。大学が、学問組織の中で、唯一(ただし、国家に保護されている恩恵を受けて利益拠出に奔走しなくてよい大学)社会的にそれほど重要だと思われないような、純粋な知的好奇心にもとづく学問をする場を提供しているはずなのです。それが、独法化により崩れようとしています。社会を回すだけの研究(必ずしもそれが悪ではないと思うけれど)のみが重視されてしまい、社会の土台を固める研究(これは、短期的な成果が非常に見づらいことが特徴的)が排除されていくことは、世の中の趨勢かもしれません。でも、本当にこれでいいのでしょうか?
今の時点で、その弊害はまだ現れていませんが、教育界の見かけだけのゆとり教育や、政界のくだらないアピールが前面に押し出される選挙活動を眺めていると、本当の構造改革がなんなのかを考えさせられます。
ちなみに、最近車の中ではもっぱらスピッツを聴いています。なぜかというと、うちの車はオーディオがテープのみだから。高校時代につくったテープをいまだに聴いているのです。それにしても、心に響きますわぁ。美しいメロディーに響く正宗さんの高音と心に染みる優しさ溢れた歌詞。特に彼らの歌う「神様」という言葉は意味が深い気がする。無神論者の僕だけれど、彼らの歌う神様なら信じたいです♪
さて、今日は最近気になるテーマということで、「大学と学問」ということについて、ちょいと書いてみたいと思います。
僕が学籍を置いている大学は、この4月に独立法人行政化(いわゆる独法化)のもとに、国立法人となりました。仙台の学友に会うたびにこの話題を論じるのですが、みんな一様に独法化には否定的な考えを示します。彼らの言うところをまとめると
?大学はあくまで「学問の府」でなくてはならない
?利益重視の体制では、基礎研究を疎かにしなければならず、長期的に 見て利益(国益)になるとは考えづらい
?成果主義を学問に導入することは、その本質上矛盾しており、学問の 切捨てに繋がる(特に文系学部・理系の基礎研究を重視する、理学部
など)
ということだったと思います。では、順次僕なりに消化した考えを加えていきたいと思います。
?というのは、「純粋な学問は大学という場でしかできない」ということです。企業集団はあくまでも利益を追求する事で、社会に価値を還元するというサイクルを持ってはいます。しかし、某友人に言わせると、それは社会の拡大再生産でしかない、ということらしいのです。彼は文学部なのですが、教授に言われた言葉が強く印象に残っているらしく、耳にたこが出来る程、酒の席で聞かされているのが次のような台詞です。
「『学術』って言う言葉あるじゃん?教授に言わせるとさ、理系の奴等がやっているのは、純粋な学問ではなく、『術』にすぎないってことだって。あいつらのやっていることは、確かにその時の最先端を行っているし、目に見えて社会を変える効果はもっているけれど、結局は代わりがいくらでもいるんだよ。たとえ、彼が生み出したものが最先端であっても一年先には確実に塗り替えられる運命のあるじゃん。理系の研究室見てみ。企業との合同研究やら、9時〜18時の出勤制だとかってサラリーマンそのまま。うちら文系はというと、確かに世の中を変える力は小さいかもしれないけれど、最高の個人を生み出す場にはなっている。『学』なんだよ、俺がやりたいのは。俺が書く論文は何千年経っても、誰も塗り変えることが出来ない固有のものとして永久に残るんだぜ。どっちが上かは推して知るべしだよな。」
何度聞いても、突込みどころ満載のように思うのですが、確かにいくつかの真理はついているんじゃないでしょうか。学問の本質は、利益を度外視した純粋なところにあるということは間違いないな…、なんて思います。
?に関しては、「国際競争力の面で長期的なスパンで見るとマイナスになるのではないか」ということらしいです。理系学部の中でも、研究の対象が、大きく分けて基礎研究と応用研究の分野に分かれるということを、某工学部の友人に聞きました。彼は、自分のやっている学問に嫌気がさして、広告代理店での活躍を決意し、今でも就職活動を懸命にがんばっています。うちの大学で工学部といったら、将来的な年収は間違いなく八桁を超えるというのに、あえてその道を選んでいる熱き漢です。彼の言葉に驚愕したのですが、最新の科学技術というのは、体系だった基礎研究の上に築かれているものではなくて、実験を繰り返した経験則上の理論に基づいて成り立っているということらしいのです。つまり、「やってみたらうまくいったから、これでいいんじゃねぇ?」的な発想により、社会の発展は可能となっているらしいのです。僕の持論として、「この世は虚構だ」という考え方があるのですが、僕の周りの友人は、大体の点においてこの考えに賛同してくれます。海外の学問組織がどうなっているかは知りませんが、絶対にそのような研究姿勢がしっぺ返しを喰らう時がくる気がしてなりません。
?は勘のいい人ならもう分かってもらえると思います。大学が、学問組織の中で、唯一(ただし、国家に保護されている恩恵を受けて利益拠出に奔走しなくてよい大学)社会的にそれほど重要だと思われないような、純粋な知的好奇心にもとづく学問をする場を提供しているはずなのです。それが、独法化により崩れようとしています。社会を回すだけの研究(必ずしもそれが悪ではないと思うけれど)のみが重視されてしまい、社会の土台を固める研究(これは、短期的な成果が非常に見づらいことが特徴的)が排除されていくことは、世の中の趨勢かもしれません。でも、本当にこれでいいのでしょうか?
今の時点で、その弊害はまだ現れていませんが、教育界の見かけだけのゆとり教育や、政界のくだらないアピールが前面に押し出される選挙活動を眺めていると、本当の構造改革がなんなのかを考えさせられます。
最近いろいろと駆けずりまわっているせいか、気付かないうちに体にダメージがたまっていたらしい。舌は腫れるし、咳は出るしで、ちょいつらい。明日は一日ゆっくりしよう。
今日は、皇室御用達の大学の学食でランチをしたことと、初めて女子大というサンクチュアリに足を踏み入れたこと以外にはそれほど目新しいこともしなかったので、一日の動きは置いておくとして、最近気になっている事について書いてみたい。「時間と仕事」ということについてだ。
最近、僕は時間がもっとほしいな、とよく思う。名古屋に行ったり、内定者と会ったり、しかも明後日には仙台に戻らなくてはならない。やるべきことは、山積みになっているし、新しく挑戦したいこともたくさんある。
でも、僕は「忙しい」とは思っていない。毎日が充実しているからだ。楽しくてしょうがない。去年一年間は、凹みっぱなしで何をする気も起きなかった。でも、今は大切な仲間と家族の支えの下に、僕は役割を与えられている。くさい言葉を使えば、生かされていると実感している。もっと、自分のために、彼らのために走り回りたいと思う。だから時間がほしい。
きのう、一緒に遊んだ友達が「会社のやつらは忙しいとか適当な理由をつけて、俺に庶務を押し付けてくるんだよね」という話をしていた。仕事を投げてくる人は、だいたい好調の部署の人たちらしい。「自分の作業があるから、これお願い」ってなもんだろう。彼は、それでも嫌な顔はするが受けるという。しかも、会社では決して忙しいなどといわないどころか、自分から先輩に仕事をもらいに行って、新たな事にチャレンジするようにしている、ということを言っていた。
確かに、本当に仕事にかかりっきりで、やるべきことが多すぎて、自分の能力で処理できない時には、「忙しい」とも言いたくなるとは思う。でも、そうすることで「自分は本当はこれをやりたくないけれども、やらにゃあならんからなぁ」ということを暗に意味してしまっているのではないか。つまり、「忙しい」ということを周りにアピールするということは、彼自信が「自分のやりたいこと、興味のあることをできていない」ということを表すし、さらに言ってしまうと「自分自身の能力の限界に達してしまっている事、自分の能力を把握していない事」、もしかしたら「自分に能力がないこと」までを表してしまっている気がする。
だから、僕はできるだけ「忙しい」とは言わないようにしている。むしろ、「ひまだぁ」と言うようにしていきたい。なぜなら、僕の限界はまだこんなところにはないと思っているからだ
今日は、皇室御用達の大学の学食でランチをしたことと、初めて女子大というサンクチュアリに足を踏み入れたこと以外にはそれほど目新しいこともしなかったので、一日の動きは置いておくとして、最近気になっている事について書いてみたい。「時間と仕事」ということについてだ。
最近、僕は時間がもっとほしいな、とよく思う。名古屋に行ったり、内定者と会ったり、しかも明後日には仙台に戻らなくてはならない。やるべきことは、山積みになっているし、新しく挑戦したいこともたくさんある。
でも、僕は「忙しい」とは思っていない。毎日が充実しているからだ。楽しくてしょうがない。去年一年間は、凹みっぱなしで何をする気も起きなかった。でも、今は大切な仲間と家族の支えの下に、僕は役割を与えられている。くさい言葉を使えば、生かされていると実感している。もっと、自分のために、彼らのために走り回りたいと思う。だから時間がほしい。
きのう、一緒に遊んだ友達が「会社のやつらは忙しいとか適当な理由をつけて、俺に庶務を押し付けてくるんだよね」という話をしていた。仕事を投げてくる人は、だいたい好調の部署の人たちらしい。「自分の作業があるから、これお願い」ってなもんだろう。彼は、それでも嫌な顔はするが受けるという。しかも、会社では決して忙しいなどといわないどころか、自分から先輩に仕事をもらいに行って、新たな事にチャレンジするようにしている、ということを言っていた。
確かに、本当に仕事にかかりっきりで、やるべきことが多すぎて、自分の能力で処理できない時には、「忙しい」とも言いたくなるとは思う。でも、そうすることで「自分は本当はこれをやりたくないけれども、やらにゃあならんからなぁ」ということを暗に意味してしまっているのではないか。つまり、「忙しい」ということを周りにアピールするということは、彼自信が「自分のやりたいこと、興味のあることをできていない」ということを表すし、さらに言ってしまうと「自分自身の能力の限界に達してしまっている事、自分の能力を把握していない事」、もしかしたら「自分に能力がないこと」までを表してしまっている気がする。
だから、僕はできるだけ「忙しい」とは言わないようにしている。むしろ、「ひまだぁ」と言うようにしていきたい。なぜなら、僕の限界はまだこんなところにはないと思っているからだ
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クールダウンのつもりが‥
2004年7月11日 思うところ 名古屋で一生の仲間となるだろう人たちと出会い、かけがえのない思い出を刻むことが出来た満足感とはうらはらに、やはり体には多少の疲労感が澱んでいるらしい。舌がはれ上がって、塩分を取るのが辛い‥。まあこれくらいなら何にも差し支えないので、帰京早々(って言っても埼玉だけど)、高校時代からの悪友(!?)と遊ぶために大宮へと出向いた。いまだに連絡取り合って二人だけで遊んでいる位の仲なので、全く気の置けない友だ。ってか、高校の友達でまだ繋がってるのは彼だけだなぁ。そのうち高校時代の同窓会でもあるんだろうか‥。でも男子校の同窓会ってねぇ。華はまずないだろうし、馬鹿ばっかだから大変なことになるんだろうな、きっと。(><)
しかし、うちらの大宮での行動パターンはいつも同じだ。よくお互い飽きずに続いてると思う。そのパターンとは
昼前に集合⇒カラオケで熱唱⇒ブックオフでネタ的な買い物⇒ロフトに入り、ジュンク堂を中心にぶらぶら⇒ゲーセンで銃撃戦⇒ファストフード店でお茶⇒ば〜い(´ι`)
てなもんです。多少のオプションはあるにせよ、ほとんど変わりません。たまにお互いイラついてるときもあるにはあるけれど、けんかした事はない。正直、高校の時は、自分と彼を全く別タイプの人間だと思ってた。でも、案外似てるのかも、って最近思い始めてます。
彼と遊んで、いろいろと考えるところがありました。
一番気にかかったのは「学歴」ということについてです。彼は社会人でW大卒のSE、僕は1浪1留の東北地方の学生。二人とも昔の観念で言うところの「エリート」ということにはなると思います。ただ、日本では「学歴」が本当に必要なのか‥。大いに疑問です。確かに、人を測る指標としては便利です。「彼はT大だよ」っていう発言にはみんな一様に「すごいねぇ」というでしょう。学閥が企業内にあるところも珍しくはないし、それらの大体がいわゆる一流大学のものです。
でも、そういうもんじゃない気がしてます。塾で中学生を指導していた時、「なぜ受験をするのか?」ということについて、自分が受験生だった当時より真剣に考えてみました。今のところの結論は、「いい友達に囲まれるため」というものです。必ずしも偏差値の低い高校の人のレベルが低いとは思っていませんが、諺にあるとおり「朱に交われば赤くなる」だということは否定できない気がします。なんだかんだいって、勉強している人は考えている人だと思うのです。そして、一日に他の人より一つでも多くのことを考えれば、一年では365の差がついてしまいます。これが、人間の厚みの差に繋がるんじゃないでしょうか?
つまり僕が言いたいのは、必ずしも学歴というラベルが必要なわけではないということなのです。「考えているかどうか」ということだと思うのです。きっかけが、スポーツをする事でも、アートを表現する事でも、自然と親しむ事でもなんでもいいのです。ただ、勉強だけは、多少の向き不向きはあるにせよ、天性の才能に関わらずほぼ万人がチャレンジしていけるものだというだけのことです。自分の頭と経験で物事を理解するということは、簡単なようで難しい、としみじみと思う事がよくあります。そして、人を正しく評価するというのは、不可能に近いものがあります。「学歴制度」はあると楽なんでしょう。
ちなみに生徒には次のように説明するようにしています。
「自分が受験期の時には、ただ流されて、なんとなく漠然とした目標を持ってただけ。その日暮しみたいなもんだった。べつにいい大学に行きたいなんて思わなかったけど、周りががんばってたから自分も流されてがんばった。今の自分にはそういう友達が財産だったんだと思える。君らもできるだけいい高校に入って、いい友達を見つけてほしい。そして何か間違って偉くなったら、『たな先生のおかげです』といってくれ(笑)」
かなり脚色入ってるけれど、生徒はこの話をすると必ず真剣に聞いてくれます。
学歴は、単なる勉強した証であって、人間性や優秀さとは関係がないということを、自分は言いたいのだろうと思います。他の人には、なることができないので、自分の人生しか生きれないのですが、「負けたくない」という気持ちが成長に繋がるのは確かなようです。
しかし、うちらの大宮での行動パターンはいつも同じだ。よくお互い飽きずに続いてると思う。そのパターンとは
昼前に集合⇒カラオケで熱唱⇒ブックオフでネタ的な買い物⇒ロフトに入り、ジュンク堂を中心にぶらぶら⇒ゲーセンで銃撃戦⇒ファストフード店でお茶⇒ば〜い(´ι`)
てなもんです。多少のオプションはあるにせよ、ほとんど変わりません。たまにお互いイラついてるときもあるにはあるけれど、けんかした事はない。正直、高校の時は、自分と彼を全く別タイプの人間だと思ってた。でも、案外似てるのかも、って最近思い始めてます。
彼と遊んで、いろいろと考えるところがありました。
一番気にかかったのは「学歴」ということについてです。彼は社会人でW大卒のSE、僕は1浪1留の東北地方の学生。二人とも昔の観念で言うところの「エリート」ということにはなると思います。ただ、日本では「学歴」が本当に必要なのか‥。大いに疑問です。確かに、人を測る指標としては便利です。「彼はT大だよ」っていう発言にはみんな一様に「すごいねぇ」というでしょう。学閥が企業内にあるところも珍しくはないし、それらの大体がいわゆる一流大学のものです。
でも、そういうもんじゃない気がしてます。塾で中学生を指導していた時、「なぜ受験をするのか?」ということについて、自分が受験生だった当時より真剣に考えてみました。今のところの結論は、「いい友達に囲まれるため」というものです。必ずしも偏差値の低い高校の人のレベルが低いとは思っていませんが、諺にあるとおり「朱に交われば赤くなる」だということは否定できない気がします。なんだかんだいって、勉強している人は考えている人だと思うのです。そして、一日に他の人より一つでも多くのことを考えれば、一年では365の差がついてしまいます。これが、人間の厚みの差に繋がるんじゃないでしょうか?
つまり僕が言いたいのは、必ずしも学歴というラベルが必要なわけではないということなのです。「考えているかどうか」ということだと思うのです。きっかけが、スポーツをする事でも、アートを表現する事でも、自然と親しむ事でもなんでもいいのです。ただ、勉強だけは、多少の向き不向きはあるにせよ、天性の才能に関わらずほぼ万人がチャレンジしていけるものだというだけのことです。自分の頭と経験で物事を理解するということは、簡単なようで難しい、としみじみと思う事がよくあります。そして、人を正しく評価するというのは、不可能に近いものがあります。「学歴制度」はあると楽なんでしょう。
ちなみに生徒には次のように説明するようにしています。
「自分が受験期の時には、ただ流されて、なんとなく漠然とした目標を持ってただけ。その日暮しみたいなもんだった。べつにいい大学に行きたいなんて思わなかったけど、周りががんばってたから自分も流されてがんばった。今の自分にはそういう友達が財産だったんだと思える。君らもできるだけいい高校に入って、いい友達を見つけてほしい。そして何か間違って偉くなったら、『たな先生のおかげです』といってくれ(笑)」
かなり脚色入ってるけれど、生徒はこの話をすると必ず真剣に聞いてくれます。
学歴は、単なる勉強した証であって、人間性や優秀さとは関係がないということを、自分は言いたいのだろうと思います。他の人には、なることができないので、自分の人生しか生きれないのですが、「負けたくない」という気持ちが成長に繋がるのは確かなようです。
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昨日は夜中の3時過ぎに寝ていたらしい。今日は9時ごろ起床した。自分は起きる時、非常に清々しかったのだが、みんなお疲れモードに入ってたようだ。聞くところによると、ある人は沖縄帰りのため日焼けした体が痒くて寝不足。ある人は暑さのため寝苦しくて寝不足。またある人は、家を提供&寝床を某T氏に奪い取られたために寝不足‥。 あっ、いやごめんなさい。嘘つきました(´ε`)白状します。Tって‥たぶん‥僕の事です‥‥。記憶ないけど。
まあ、そんなこんなで、朝飯を食いに全員で赤池のコメダ珈琲店へ移動。喫茶店っていいですねぇ。カフェなんておしゃれなとこではなく、純和風な空間(だと個人的には思う)が成立している。ジジ・ババが集まって、それぞれ土曜の朝をゆったりと楽しんでいるように思われました。自分も老後はかくありたいものだ‥。某氏の定義によると、喫茶店とカフェを区別するポイントは、「店で雑誌・新聞を用意してるかどうか」にあるということです。しかも名古屋の喫茶店は朝食に珈琲(390円だったかな?)を頼むとトーストとゆで卵まで付いてくるんですよ!!前情報で「名古屋の喫茶店は、コーヒーに必ず何かがついてくる。最低でも豆は付く」と聞いていたが、トーストと卵って!!コーヒーってそんなに単価安いのか?ではなくて、名古屋人のサービス精神に感動。そりゃあ、名古屋経済も活気付くわけですわ。
その後、3人を各自の希望場所まで送り届け、あとはトシに(幹事と家主をこなしたお方)名古屋の市街地を案内してもらう事になった。
なにかと街がうるさいと思ったら、明日が投票日なのね。各党入り乱れての名前の合唱。はっきりいって、街頭アピールほどくだらないものはないと思う。政治家は選挙ガ近くなった時だけ現れ、口当たりのよい甘言を弄して票集めに奔走してるだけ。なんの具体的施策も、それを実行に移すための具体案も、成果をチェックする機能も、国民に成果を分かりやすくしめすフィードバックシステムも提示してはいないじゃないか!!馬鹿らしいわ。国民を侮辱してるとしか思えない。政治離れを表面上だけ危惧して見せるより、理解させてもらわなくてもいいから夢のある提案と行動力を見せて欲しいものだわさ。
ちょい愚痴ってしまった。正直、名古屋の街は好きだ。いい感じに都会と田舎がミックスチュアーしてる。今度はカフェで軽くお茶した後(ここでトシと語ってました)、まずは携帯の充電を頼みにドコモ取扱店へいき、お土産を買いに三越へ。赤福・ういろう・きしめん・味噌煮込みうどんを買い求める。デパ地下で買い物なんてねぇ。僕も偉くなったもんですわ。
んで、今日のクライマックス。ひつまぶしを食べに行く。上ひつまぶしで1400円。その場まで知らなかったのがけれど、ひつまぶしって、蒲焼とはまったくの別物なのね。そもそも食べ方が違う。
?そのまま茶碗によそって食べる
?薬味(のり、ねぎ、わさび)を乗っけて食べる
?お茶漬けにして食べる
の3通りの食べ方が順々に出来てしまうんです!!いやぁ、うまかったです。これからは、蒲焼よりもひつまぶし愛好家として生きていきます。
そして、名残惜しいながらも、15時ごろに名古屋駅へと送り届けてもらって、トシとがっちり握手。またの再会と今後のガンバを誓って別れ、名古屋駅内の高島屋で限定のスナック菓子を購入。新幹線の構内へ行った時に致命的なことに気づいてしまった僕‥
「きしめん食ってないじゃん!!!」
時計を見ると、新幹線出発まであと10分ある。売店のお姉さんに食べさせてくれるところがあるか尋ねると、新幹線のフォームの両サイドにあるとのこと。「さすが名古屋!」と思いながらマジダッシュで立ち食いきしめん(暑いのにあったかいのを頼んでしまったが)を8分でたいらげ、新幹線にもろダッシュで駆け込む。ぐっばい名古屋!!
東京着は18時過ぎだった。ここで、やはりきしめんが致命的だったことに気づく。財布の中身を恐る恐る確認すると、・・・・残金が59円。帰れねぇ!!ATMも土曜は閉まるのが早く、引き出し不可。致命的だわな、普通なら。しかし、多くの失敗経験から学んでいるこの私は裏技を知っているのですよ。JRは北千住でそのまま降りて(新幹線の切符が「東京都区内行き」だったため問題ない。)、東武線へ向かう。ここの改札のお兄さんにこう言いましょう。「着払いでお願いしますm(__)m。するとね、あるんですよ、そういう制度が。着払い用の切符をもらい、地元の駅へ。改札には母上様がスタンバってくれているので、お金を借りて精算。そして実家へ。
それにしても、良い旅行でした。名古屋にはいつか住んでみたいし、もう一回行きたいです。まぁ、でも次は関西だわな。
そして、たなは「城」は見ても結局「嬢」には巡り会えなかったことを惜しいと思いつつも、素晴らしい満足感とともに爆睡するのでした。
まあ、そんなこんなで、朝飯を食いに全員で赤池のコメダ珈琲店へ移動。喫茶店っていいですねぇ。カフェなんておしゃれなとこではなく、純和風な空間(だと個人的には思う)が成立している。ジジ・ババが集まって、それぞれ土曜の朝をゆったりと楽しんでいるように思われました。自分も老後はかくありたいものだ‥。某氏の定義によると、喫茶店とカフェを区別するポイントは、「店で雑誌・新聞を用意してるかどうか」にあるということです。しかも名古屋の喫茶店は朝食に珈琲(390円だったかな?)を頼むとトーストとゆで卵まで付いてくるんですよ!!前情報で「名古屋の喫茶店は、コーヒーに必ず何かがついてくる。最低でも豆は付く」と聞いていたが、トーストと卵って!!コーヒーってそんなに単価安いのか?ではなくて、名古屋人のサービス精神に感動。そりゃあ、名古屋経済も活気付くわけですわ。
その後、3人を各自の希望場所まで送り届け、あとはトシに(幹事と家主をこなしたお方)名古屋の市街地を案内してもらう事になった。
なにかと街がうるさいと思ったら、明日が投票日なのね。各党入り乱れての名前の合唱。はっきりいって、街頭アピールほどくだらないものはないと思う。政治家は選挙ガ近くなった時だけ現れ、口当たりのよい甘言を弄して票集めに奔走してるだけ。なんの具体的施策も、それを実行に移すための具体案も、成果をチェックする機能も、国民に成果を分かりやすくしめすフィードバックシステムも提示してはいないじゃないか!!馬鹿らしいわ。国民を侮辱してるとしか思えない。政治離れを表面上だけ危惧して見せるより、理解させてもらわなくてもいいから夢のある提案と行動力を見せて欲しいものだわさ。
ちょい愚痴ってしまった。正直、名古屋の街は好きだ。いい感じに都会と田舎がミックスチュアーしてる。今度はカフェで軽くお茶した後(ここでトシと語ってました)、まずは携帯の充電を頼みにドコモ取扱店へいき、お土産を買いに三越へ。赤福・ういろう・きしめん・味噌煮込みうどんを買い求める。デパ地下で買い物なんてねぇ。僕も偉くなったもんですわ。
んで、今日のクライマックス。ひつまぶしを食べに行く。上ひつまぶしで1400円。その場まで知らなかったのがけれど、ひつまぶしって、蒲焼とはまったくの別物なのね。そもそも食べ方が違う。
?そのまま茶碗によそって食べる
?薬味(のり、ねぎ、わさび)を乗っけて食べる
?お茶漬けにして食べる
の3通りの食べ方が順々に出来てしまうんです!!いやぁ、うまかったです。これからは、蒲焼よりもひつまぶし愛好家として生きていきます。
そして、名残惜しいながらも、15時ごろに名古屋駅へと送り届けてもらって、トシとがっちり握手。またの再会と今後のガンバを誓って別れ、名古屋駅内の高島屋で限定のスナック菓子を購入。新幹線の構内へ行った時に致命的なことに気づいてしまった僕‥
「きしめん食ってないじゃん!!!」
時計を見ると、新幹線出発まであと10分ある。売店のお姉さんに食べさせてくれるところがあるか尋ねると、新幹線のフォームの両サイドにあるとのこと。「さすが名古屋!」と思いながらマジダッシュで立ち食いきしめん(暑いのにあったかいのを頼んでしまったが)を8分でたいらげ、新幹線にもろダッシュで駆け込む。ぐっばい名古屋!!
東京着は18時過ぎだった。ここで、やはりきしめんが致命的だったことに気づく。財布の中身を恐る恐る確認すると、・・・・残金が59円。帰れねぇ!!ATMも土曜は閉まるのが早く、引き出し不可。致命的だわな、普通なら。しかし、多くの失敗経験から学んでいるこの私は裏技を知っているのですよ。JRは北千住でそのまま降りて(新幹線の切符が「東京都区内行き」だったため問題ない。)、東武線へ向かう。ここの改札のお兄さんにこう言いましょう。「着払いでお願いしますm(__)m。するとね、あるんですよ、そういう制度が。着払い用の切符をもらい、地元の駅へ。改札には母上様がスタンバってくれているので、お金を借りて精算。そして実家へ。
それにしても、良い旅行でした。名古屋にはいつか住んでみたいし、もう一回行きたいです。まぁ、でも次は関西だわな。
そして、たなは「城」は見ても結局「嬢」には巡り会えなかったことを惜しいと思いつつも、素晴らしい満足感とともに爆睡するのでした。
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駆け抜けろ!尾張名古屋は城と嬢!!
2004年7月9日 旅名古屋一日目。初めて降り立った名古屋は・・・誰もいなかった。そりゃあ、そうさ。だって、朝の6時だよ。どんだけ朝早いんだよって話になってしまうわな。
ってなことで、今日のメニュー。
6:20
名古屋駅バスターミナル着。天気は良好。とりあえず、お手洗いで洗顔・歯磨き・着替えを済ましながら一日を駆け抜ける事を心に誓う。そのまま駅構内をぶらつくも、コンビニ・カフェともに営業時間前だということに気づく。キオスクっぽいとこが一軒だけ営業しており、お土産を入れる袋と日経新聞を買う。
6:40
ネットカフェを発見。即入場。最初の一時間が500円強であとは15分が80円強という名古屋人らしいビジネスセンス光る価格設定。
ここで、フリードリンクを4杯ガブ飲みしながら、昨日の日記をつけました。
7:40
人恋しさに再び名古屋駅へ。カフェが営業している事を発見し、イートインで食事。ピザ・ホットドック・ダークチェリーパイとアイスカフェオレを平らげる。日経新聞を広げ、一通りちぇきらぁする。(おれってかっこよくない?見知らぬ土地でこんなことできてるよ!ってな感じで浸ってた。)
8:20
地下鉄&バス一日乗車券(850円)を買い、ラッシュにまみれて名古屋港へ移動。ここで、ここですばらC発見?、?をする。
8:50頃
名古屋港駅着。コンビニでレモンウオーターとポテチを買い、海と船を眺めながら港に沿って散歩。芝生に覆われた高台を発見!!芝生に寝っ転がり、雲一つない青空を見上げながらうとうとzzzって暑い。暑すぎる。よって帽子を顔にかぶせてうとうとzzz。ってやっぱ暑い。10分くらいで朝寝終了。高台を降りる時に今日の発見?をする。バスターミナルへと移動する。この途中で携帯の電池切れに気づく。
9;42
バスターミナルから名古屋駅行きのバスに乗車する。その途中で、芸術鑑賞に向かう高校生の集団と遭遇(たしか名朋(!?)高校)。町並みを眺めつつ発見?をする。
10:10
笹島停留場で下車。携帯充電のためにド○モショップに行くも、まだ営業開始してない。とりあえず朝マックしながら時間をつぶす。発見?。
10:25
笹島の○コモショップを待ちきれず、名駅へと移動。発見?。名駅前のドコ○ショップで携帯の充電を15分だけ頼む。サービスのアメをもらい、雑誌を広げる。このあとの計画を観光情報誌でちぇきらぁする。
10:45
名駅地下街の構造に混乱しつつ、地下鉄に乗り名古屋城へ向かう。
11:20
名城公園着。降り立つ時に力士とすれ違う。この瞬間に大相撲をやっていたことと名古屋場所である事を嗅ぎ取る。(ってか新聞に書いてなかったのか?)
11;35
名古屋城着。さっそく観覧券を買い、入城。外苑を周りながら築城の構造について思いを馳せる。
11;45
天守閣に入る。発見?。現在の名古屋城は大部分が再建されたものだが、天守閣も同様とのこと。地下1階・地上7階の構造。各階に歴史的遺物やその説明、体験コーナーなどが設けてある。昔行った桃山城よりははるかにしっかりとした観光施設として整っていた。
12;30
天守閣脱出。社会科見学(?)の中学生を横目に外苑を回りながら、外堀の深さと城の防御機能について考えてみたりする。途中で老夫婦に写真撮影を頼まれ、快く撮ってあげる。
12;40
おなかがすいたため、昼飯をと考えたが、節約のためにグッドアイディアをヒットアポンする。
13;05
名古屋大学着。ぶらつきながら学食を探す。発見?。チキンソテー
をメインにご飯・スープをとってみる。セルフの麦茶をがぶがぶとおかわりしつつ完食。その後、講義を聞いてみたくなり、全学教育の棟へ侵入。「では、これで極限の分析は終わったので、次は閾値の考察に入ります・・」って理系じゃん!!わかるはずないし、と逆切れしつつ文学部棟へ。発見?。もぐれそうなとこがない・・。撤退。
13;55
東山動物公園着。ここで内定者(一人)と待ち合わせ。動物園を散策&いろいろなトークを楽しむ。発見?
16:35
飲み会待ち合わせの時間が迫ったため、地下鉄で名古屋駅へ移動。
17;05
多少遅刻してしまったが、ナナちゃん人形にて無事名古屋内定者と合流完了。飲み会会場へ移動。発見?。
17;15
飲み会開始。始まりは9名。途中で1人途中参加し、計10名で飲み始める。自己紹介をしたのち、早速熱いトークをするべく、積極的に話しかけ&かけられする。一次会はひたすらビールを飲みつづけた。
19;30ごろ
結構みんなできあがりながらも、即二次会(飲み放題つきのカラオケ)
会場へ移動。1人帰って9人となる。過去の記憶をさかのぼっても考えられないくらいのテンションと盛り上がりを見せたカラオケとなった。自分が歌ったのは「夏色」「wow wow tonight」「壊れかけのラジオ」その他もろもろ。っていうか、誰が歌ってんのか分からないくらいの盛り上がりっぷりだった。ここではモスコ・ジンベースのカクテルを5,6杯飲んだ気が・・。
22;00ごろ
三次会突入3人帰り6人となる。また飲み屋で、一杯だけ飲みながら、「ちょこっとホット」なトークを展開。この辺から語りに入った。
23:00ごろ
5人が幹事の家(豊橋)に泊まることになり、車で移動しようとする。しか〜し、ビルディング形式の駐車場だったため、すでにシャッター閉まってた・・・。あせるみんな。電車あるのか!ないのか!?っと思いつつ、とりあえずインターホン押したら、管理人のおじ様が現れ、なんとか車を出させてもらい、豊橋へ。
24;00
幹事宅に着く。彼の家は蒸されていた。名古屋のアツイアツイ夜を乗り切るには、寝場所の分配をしなくては・・ということで、「寝場所争奪トランプ大会」を開催。種目はブラックジャック・馬場抜き・7並べ・ダウドの4種目。勝者と敗者にそれぞれポイントの増減が生じるシステムとする。自分は最終的にポイント±0となり3位。参加してないのも同じな結果を、ネタとして使うしかできんかったわぁ。終了後名古屋弁トークを少々して、寝床を決定。いつのまにか爆睡zzzzzz。
(明日へ続く)
ってなことで、今日のメニュー。
6:20
名古屋駅バスターミナル着。天気は良好。とりあえず、お手洗いで洗顔・歯磨き・着替えを済ましながら一日を駆け抜ける事を心に誓う。そのまま駅構内をぶらつくも、コンビニ・カフェともに営業時間前だということに気づく。キオスクっぽいとこが一軒だけ営業しており、お土産を入れる袋と日経新聞を買う。
6:40
ネットカフェを発見。即入場。最初の一時間が500円強であとは15分が80円強という名古屋人らしいビジネスセンス光る価格設定。
ここで、フリードリンクを4杯ガブ飲みしながら、昨日の日記をつけました。
7:40
人恋しさに再び名古屋駅へ。カフェが営業している事を発見し、イートインで食事。ピザ・ホットドック・ダークチェリーパイとアイスカフェオレを平らげる。日経新聞を広げ、一通りちぇきらぁする。(おれってかっこよくない?見知らぬ土地でこんなことできてるよ!ってな感じで浸ってた。)
8:20
地下鉄&バス一日乗車券(850円)を買い、ラッシュにまみれて名古屋港へ移動。ここで、ここですばらC発見?、?をする。
8:50頃
名古屋港駅着。コンビニでレモンウオーターとポテチを買い、海と船を眺めながら港に沿って散歩。芝生に覆われた高台を発見!!芝生に寝っ転がり、雲一つない青空を見上げながらうとうとzzzって暑い。暑すぎる。よって帽子を顔にかぶせてうとうとzzz。ってやっぱ暑い。10分くらいで朝寝終了。高台を降りる時に今日の発見?をする。バスターミナルへと移動する。この途中で携帯の電池切れに気づく。
9;42
バスターミナルから名古屋駅行きのバスに乗車する。その途中で、芸術鑑賞に向かう高校生の集団と遭遇(たしか名朋(!?)高校)。町並みを眺めつつ発見?をする。
10:10
笹島停留場で下車。携帯充電のためにド○モショップに行くも、まだ営業開始してない。とりあえず朝マックしながら時間をつぶす。発見?。
10:25
笹島の○コモショップを待ちきれず、名駅へと移動。発見?。名駅前のドコ○ショップで携帯の充電を15分だけ頼む。サービスのアメをもらい、雑誌を広げる。このあとの計画を観光情報誌でちぇきらぁする。
10:45
名駅地下街の構造に混乱しつつ、地下鉄に乗り名古屋城へ向かう。
11:20
名城公園着。降り立つ時に力士とすれ違う。この瞬間に大相撲をやっていたことと名古屋場所である事を嗅ぎ取る。(ってか新聞に書いてなかったのか?)
11;35
名古屋城着。さっそく観覧券を買い、入城。外苑を周りながら築城の構造について思いを馳せる。
11;45
天守閣に入る。発見?。現在の名古屋城は大部分が再建されたものだが、天守閣も同様とのこと。地下1階・地上7階の構造。各階に歴史的遺物やその説明、体験コーナーなどが設けてある。昔行った桃山城よりははるかにしっかりとした観光施設として整っていた。
12;30
天守閣脱出。社会科見学(?)の中学生を横目に外苑を回りながら、外堀の深さと城の防御機能について考えてみたりする。途中で老夫婦に写真撮影を頼まれ、快く撮ってあげる。
12;40
おなかがすいたため、昼飯をと考えたが、節約のためにグッドアイディアをヒットアポンする。
13;05
名古屋大学着。ぶらつきながら学食を探す。発見?。チキンソテー
をメインにご飯・スープをとってみる。セルフの麦茶をがぶがぶとおかわりしつつ完食。その後、講義を聞いてみたくなり、全学教育の棟へ侵入。「では、これで極限の分析は終わったので、次は閾値の考察に入ります・・」って理系じゃん!!わかるはずないし、と逆切れしつつ文学部棟へ。発見?。もぐれそうなとこがない・・。撤退。
13;55
東山動物公園着。ここで内定者(一人)と待ち合わせ。動物園を散策&いろいろなトークを楽しむ。発見?
16:35
飲み会待ち合わせの時間が迫ったため、地下鉄で名古屋駅へ移動。
17;05
多少遅刻してしまったが、ナナちゃん人形にて無事名古屋内定者と合流完了。飲み会会場へ移動。発見?。
17;15
飲み会開始。始まりは9名。途中で1人途中参加し、計10名で飲み始める。自己紹介をしたのち、早速熱いトークをするべく、積極的に話しかけ&かけられする。一次会はひたすらビールを飲みつづけた。
19;30ごろ
結構みんなできあがりながらも、即二次会(飲み放題つきのカラオケ)
会場へ移動。1人帰って9人となる。過去の記憶をさかのぼっても考えられないくらいのテンションと盛り上がりを見せたカラオケとなった。自分が歌ったのは「夏色」「wow wow tonight」「壊れかけのラジオ」その他もろもろ。っていうか、誰が歌ってんのか分からないくらいの盛り上がりっぷりだった。ここではモスコ・ジンベースのカクテルを5,6杯飲んだ気が・・。
22;00ごろ
三次会突入3人帰り6人となる。また飲み屋で、一杯だけ飲みながら、「ちょこっとホット」なトークを展開。この辺から語りに入った。
23:00ごろ
5人が幹事の家(豊橋)に泊まることになり、車で移動しようとする。しか〜し、ビルディング形式の駐車場だったため、すでにシャッター閉まってた・・・。あせるみんな。電車あるのか!ないのか!?っと思いつつ、とりあえずインターホン押したら、管理人のおじ様が現れ、なんとか車を出させてもらい、豊橋へ。
24;00
幹事宅に着く。彼の家は蒸されていた。名古屋のアツイアツイ夜を乗り切るには、寝場所の分配をしなくては・・ということで、「寝場所争奪トランプ大会」を開催。種目はブラックジャック・馬場抜き・7並べ・ダウドの4種目。勝者と敗者にそれぞれポイントの増減が生じるシステムとする。自分は最終的にポイント±0となり3位。参加してないのも同じな結果を、ネタとして使うしかできんかったわぁ。終了後名古屋弁トークを少々して、寝床を決定。いつのまにか爆睡zzzzzz。
(明日へ続く)
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名古屋きたぁ\(^ι^)/
2004年7月8日 旅 昼過ぎに自宅を出て東京方面へ移動。北千住にて、行きの夜行バスの切符と帰りの新幹線の切符のセットを買う。昨日買い忘れた仙台土産(最近パクリ製品が続出している「萩の月」)を求めて、東京・上野を歩き回るも、関東では流通してないらしく挫折。聞くところによると、地方特産品などの企画のときにしか取り寄せないということだった。残念ながら、ご挨拶代わりのものは持っていけないことになった。
18時から市ヶ谷の某大学の演習室にて、来年入社予定の会社の内定者とミーティング。とりあえず、東京の私大の立地&ビルを見て、「やっぱちげぇな‥」と思った。あの金のかかり具合はいったい何なのだろう。一階のホール、エレベーター、演習室からの眺め&冷房使いたい放題、さらにはパソコンまで貸してくれるんだって!!うちの大学の文学部では、建物が傾いてるし、エアコンなんてありえずに扇風機がプルプルと首を振っている。エレベーターは昭和50年代製がいまだに稼動。下りの時は、必ず最上階まで行ってから戻ってくることで有名なのよ。「絶対、霊体乗っけてから戻ってきてるんだよ!」っともっぱらの噂ですわ。
それにしても、今日までは、国立のほうが私立より、学生に自由を許していると思っていた。しかし、案外そうでもないらしい。演習室を夜の11時まで開放してるという、大学経営陣の懐の深さは経営努力にせよ、溜まり場にいた学生のアカデミックな(!?)雰囲気は、うちの大学では学食ぐらいでしかお目にかかれない。国立は昔は自由だったと聞くのだけれど、やはり学生運動の取締りと独立行政法人化の影響は否定できないのだろうか。本来、大学という機関は、利益採算を無視した基礎研究の場であり、個人の理想のもとに学問の真髄を極めることを許される唯一の場であるはずなのだ。しかし、私立ではある程度、経営を考えて運営する必要があるにせよ、国の保護の下に上記の研究スタイルが許されていた国立大学でも、利益重視の運営が迫られることになってしまった。最近、仙台に帰って友達と語ると、この話題は必ず卓上に上る。独法化の弊害は、今では見えずらいだろうが、10年、20年、そしてさらにもっと長いスパンで見たときに必ずしっぺ返しを喰らうことにはなりそうだ。
んで、初の夜行バス乗車&初の名古屋着。実は、名古屋駅近くのネットカフェで今日記をつけている。さて、今日はどうゆう一日であることやら。とりあえず、名古屋の内定者と倒れるまで熱く語り明かしたいなぁ、とは思う。
18時から市ヶ谷の某大学の演習室にて、来年入社予定の会社の内定者とミーティング。とりあえず、東京の私大の立地&ビルを見て、「やっぱちげぇな‥」と思った。あの金のかかり具合はいったい何なのだろう。一階のホール、エレベーター、演習室からの眺め&冷房使いたい放題、さらにはパソコンまで貸してくれるんだって!!うちの大学の文学部では、建物が傾いてるし、エアコンなんてありえずに扇風機がプルプルと首を振っている。エレベーターは昭和50年代製がいまだに稼動。下りの時は、必ず最上階まで行ってから戻ってくることで有名なのよ。「絶対、霊体乗っけてから戻ってきてるんだよ!」っともっぱらの噂ですわ。
それにしても、今日までは、国立のほうが私立より、学生に自由を許していると思っていた。しかし、案外そうでもないらしい。演習室を夜の11時まで開放してるという、大学経営陣の懐の深さは経営努力にせよ、溜まり場にいた学生のアカデミックな(!?)雰囲気は、うちの大学では学食ぐらいでしかお目にかかれない。国立は昔は自由だったと聞くのだけれど、やはり学生運動の取締りと独立行政法人化の影響は否定できないのだろうか。本来、大学という機関は、利益採算を無視した基礎研究の場であり、個人の理想のもとに学問の真髄を極めることを許される唯一の場であるはずなのだ。しかし、私立ではある程度、経営を考えて運営する必要があるにせよ、国の保護の下に上記の研究スタイルが許されていた国立大学でも、利益重視の運営が迫られることになってしまった。最近、仙台に帰って友達と語ると、この話題は必ず卓上に上る。独法化の弊害は、今では見えずらいだろうが、10年、20年、そしてさらにもっと長いスパンで見たときに必ずしっぺ返しを喰らうことにはなりそうだ。
んで、初の夜行バス乗車&初の名古屋着。実は、名古屋駅近くのネットカフェで今日記をつけている。さて、今日はどうゆう一日であることやら。とりあえず、名古屋の内定者と倒れるまで熱く語り明かしたいなぁ、とは思う。
とにかく動いた一日だった。以下、今日のスケジュール。
9:00
起床。
10:00
おばちゃん家に孫の世話に行くばーちゃんを送り出す。
10:00から
映画『アメリ』を鑑賞。
13;00
おばちゃん家に原付を借りに行く。
⇒近所のTUTAYAにビデオ&CDを返却⇒大学へ
14:00
大学の図書館で図書の延長貸し出し手続きを済ませ、友達(バイト先のOちゃん)に借りた金を返しつつ、学食でトーク(なぜか同じバイト先のS,Mも合流)。Oちゃんとあとでバッティングセンターに行く約束を取り付けつつ、一旦帰宅。
15;30
家で参議院選挙投票受付はがきをゲットし、若林区役所へ⇒期日前投票完了⇒おばちゃん家へ原付を返しに行き(いとこ6カ月と戯れようとするも泣かれる)、自宅で旅立ちの準備を整え、市バスで街へ。
16;30
Oちゃんの車に乗り、西仙台バッティングセンターへ。15球百円のバッティングセンターでホームラン性の当たり(!?)を連発⇒愛子に新しくできたゲームセンターを視察した後、再び街へ。
18;10
Oちゃんと別れ、思い立ってフォーラス(ファッションモール、東京の109?)へ⇒ナイスなハットを発見、即値下げ交渉に入る。速攻挫折し、バーゲン価格(それでも半額)にて衝動買い。
18;30
文学部の友達(T橋氏)と軽く食事ということで、大学近くの中華料理屋に集合。東洋史トーク炸裂。
19;30
さらにT辺氏が合流。中華料理を肴に紹香酒ボトル2本をさくっと空ける
参議院選の争点や日本政治の現状、T辺氏のNPO活動と教職及び教育、自分の日本社会が抱える産業と雇用、T橋氏の文系の学問意識と理系の研究意識の差異の指摘、大学と独立法人化に附随するアカデミズムへの圧迫などなど、激アツなトークが展開。
21;30
院生のお二人の時間の都合により、次回の約束を固く交わしつつ散会。
21:35
聖域へ(手が入らない・・・)
23;00
A氏と東京行きの待ち合わせの集合場所へ。なかなか来ないため、作詩しながら暇つぶし。
24;00(8日)
ようやくA氏と合流。彼の軽トラ(東京からの引越し用に親戚筋から借りるも、仙台到着後バッテリーショートのため修理へ。結果、普通に引越し屋に頼むより高くついたらしい。ちなみに東京⇒仙台の時も同乗)にて、東京へ下で激走。再び、就職活動、政治、学問、恋愛、死生観などなどの激アツトーク展開。眠くなるとアカペラカラオケ大会(オーディオ付いてないので)でナツメロを二人で熱唱。
6;30
そんなこんなで埼玉の実家に到着。A氏に安全と筆記の成功を祈っていると告げて別れ、帰宅。
7:30
父を最寄駅まで送る。その際、母の猛烈プッシュにより、父のボーナスから名古屋資金を強奪(!?)することに成功。
8:30
今に至る。
しっか〜し、久しぶりに濃い一日だった。それにしても、うちの大学の人(いまだに付き合ってる友達しか分からないのでなんともいえないけれど)って、やっぱ頭いい。友達に恵まれたとつくづく思う。視野の広さと目の付け所はさすがに鋭い。まあ、自分はスロースターターなので、そのうち彼らに追いつき追い越せだな。(人間的に負けてるとは思わないし)
っと、もう眠いったらありゃしない。今日は内定者と東京でMTG⇒本日中に名古屋発(!?)の可能性もあるので、もう寝ます。
9:00
起床。
10:00
おばちゃん家に孫の世話に行くばーちゃんを送り出す。
10:00から
映画『アメリ』を鑑賞。
13;00
おばちゃん家に原付を借りに行く。
⇒近所のTUTAYAにビデオ&CDを返却⇒大学へ
14:00
大学の図書館で図書の延長貸し出し手続きを済ませ、友達(バイト先のOちゃん)に借りた金を返しつつ、学食でトーク(なぜか同じバイト先のS,Mも合流)。Oちゃんとあとでバッティングセンターに行く約束を取り付けつつ、一旦帰宅。
15;30
家で参議院選挙投票受付はがきをゲットし、若林区役所へ⇒期日前投票完了⇒おばちゃん家へ原付を返しに行き(いとこ6カ月と戯れようとするも泣かれる)、自宅で旅立ちの準備を整え、市バスで街へ。
16;30
Oちゃんの車に乗り、西仙台バッティングセンターへ。15球百円のバッティングセンターでホームラン性の当たり(!?)を連発⇒愛子に新しくできたゲームセンターを視察した後、再び街へ。
18;10
Oちゃんと別れ、思い立ってフォーラス(ファッションモール、東京の109?)へ⇒ナイスなハットを発見、即値下げ交渉に入る。速攻挫折し、バーゲン価格(それでも半額)にて衝動買い。
18;30
文学部の友達(T橋氏)と軽く食事ということで、大学近くの中華料理屋に集合。東洋史トーク炸裂。
19;30
さらにT辺氏が合流。中華料理を肴に紹香酒ボトル2本をさくっと空ける
参議院選の争点や日本政治の現状、T辺氏のNPO活動と教職及び教育、自分の日本社会が抱える産業と雇用、T橋氏の文系の学問意識と理系の研究意識の差異の指摘、大学と独立法人化に附随するアカデミズムへの圧迫などなど、激アツなトークが展開。
21;30
院生のお二人の時間の都合により、次回の約束を固く交わしつつ散会。
21:35
聖域へ(手が入らない・・・)
23;00
A氏と東京行きの待ち合わせの集合場所へ。なかなか来ないため、作詩しながら暇つぶし。
24;00(8日)
ようやくA氏と合流。彼の軽トラ(東京からの引越し用に親戚筋から借りるも、仙台到着後バッテリーショートのため修理へ。結果、普通に引越し屋に頼むより高くついたらしい。ちなみに東京⇒仙台の時も同乗)にて、東京へ下で激走。再び、就職活動、政治、学問、恋愛、死生観などなどの激アツトーク展開。眠くなるとアカペラカラオケ大会(オーディオ付いてないので)でナツメロを二人で熱唱。
6;30
そんなこんなで埼玉の実家に到着。A氏に安全と筆記の成功を祈っていると告げて別れ、帰宅。
7:30
父を最寄駅まで送る。その際、母の猛烈プッシュにより、父のボーナスから名古屋資金を強奪(!?)することに成功。
8:30
今に至る。
しっか〜し、久しぶりに濃い一日だった。それにしても、うちの大学の人(いまだに付き合ってる友達しか分からないのでなんともいえないけれど)って、やっぱ頭いい。友達に恵まれたとつくづく思う。視野の広さと目の付け所はさすがに鋭い。まあ、自分はスロースターターなので、そのうち彼らに追いつき追い越せだな。(人間的に負けてるとは思わないし)
っと、もう眠いったらありゃしない。今日は内定者と東京でMTG⇒本日中に名古屋発(!?)の可能性もあるので、もう寝ます。
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日記なんて3日と続いたことがない。とある友達が毎日つけてるのを読んでて、文章力と想像力を鍛えるためにと思って一念発起してみた。あまり人の目に触れてほしくないとは思いながらも、そのときの自分を刻めればいいなとは思っている・・・
って、くらいわぁ。くらすぎだぁ。よって明るくいってみるか!こんちわぁ〜、たなです!徒然草の作者、吉田兼好が「徒然なるままに 日暮し硯に向かいて 心に・・」って書いてましたよね?あんな感じで書いていきます。自分をここに置いていけるようにがんばりますわぁ。
自分のことは追い追い語っていくとして、まず、今日の出来事をフィードバック。今日は徹夜続きのバイト3連チャン最終日でした。ちょっと、東京経由で名古屋へ行きたくなってしまって、しかし、時間はあっても懐が寒い・・・。じゃあ、バイトだろ!ってことで久しぶりに自分で自分を褒めたくなるくらい頑張りましたよ。
現場は某大手家電メーカーの請負会社で、携帯のライン製造の工場でした。来年、就職する会社(新卒)のこともあって、多少の興味を持ちつつ、フリーターなさっている方々に混じりながら、時には会話を楽しみながら、黙々と作業に没頭してました。
そのときに気づいたことなんですが、
<その1>
携帯の部品加工&組み立て、ってイメージでは大型機械が「キー、ガシャッ」という感じで作ってると思ってたんですよ。しかし、行ってびっくり!!ほとんどが手作業でした。ちなみに、ライン生産なので、自分では完成品を見ることなく、5種類くらいのパーツを丁重に扱わせていただきました。
<その2>
フリーターって意外と大変。夢があるなしは別として、生きていくためにこのようなことをやるって、つらいなぁって心底思いました。単純に生きていくためだけではないにしろ、今日みたいな作業は、自分だったら1カ月も続けてらんないと思ってしまう。それでも、フリーターでいるのは夢のため?就職先がないから?社会的事情?それとも、個人的事情? 日本も多くの矛盾を抱えながら転換期へと突入しているのだと実感しました。
<その3>
工場にいた社員の人は、バイトの10分の1くらいだった気がした。彼らはほぼ、監視が主な役割。その日暮し(バイトの派遣元のシステム上)のフリーターが、チームを組んでリーダーが新人に指示を出しながら、作業を引っ張っていました。お互いの関係は案外フラットでミスしまくりの自分も、丁寧に教えられる事でなんとかついていけました。
つまり、どういうことかって?この工場の場合、「工場のライン生産はフリーターなしには成り立たない」という図式が成立してしまうのですよ。まあ、派遣バイトを使わなくてもなんとかできるのだろうけれど(きっと過去にはそういう時期もあったろうし)、現在のほうが企業利益に繋がるから、上記のような方策を採っているわけで・・・。って、テレビでフリーターは悪だって論調なかったっけ・・・。
いまいち、日本の産業界、特に雇用関係にはうなづきかねるものがあります。
と、今日はこんなところで。なにげに移動中に作詩したんで最後に載っけておきます♪
って、くらいわぁ。くらすぎだぁ。よって明るくいってみるか!こんちわぁ〜、たなです!徒然草の作者、吉田兼好が「徒然なるままに 日暮し硯に向かいて 心に・・」って書いてましたよね?あんな感じで書いていきます。自分をここに置いていけるようにがんばりますわぁ。
自分のことは追い追い語っていくとして、まず、今日の出来事をフィードバック。今日は徹夜続きのバイト3連チャン最終日でした。ちょっと、東京経由で名古屋へ行きたくなってしまって、しかし、時間はあっても懐が寒い・・・。じゃあ、バイトだろ!ってことで久しぶりに自分で自分を褒めたくなるくらい頑張りましたよ。
現場は某大手家電メーカーの請負会社で、携帯のライン製造の工場でした。来年、就職する会社(新卒)のこともあって、多少の興味を持ちつつ、フリーターなさっている方々に混じりながら、時には会話を楽しみながら、黙々と作業に没頭してました。
そのときに気づいたことなんですが、
<その1>
携帯の部品加工&組み立て、ってイメージでは大型機械が「キー、ガシャッ」という感じで作ってると思ってたんですよ。しかし、行ってびっくり!!ほとんどが手作業でした。ちなみに、ライン生産なので、自分では完成品を見ることなく、5種類くらいのパーツを丁重に扱わせていただきました。
<その2>
フリーターって意外と大変。夢があるなしは別として、生きていくためにこのようなことをやるって、つらいなぁって心底思いました。単純に生きていくためだけではないにしろ、今日みたいな作業は、自分だったら1カ月も続けてらんないと思ってしまう。それでも、フリーターでいるのは夢のため?就職先がないから?社会的事情?それとも、個人的事情? 日本も多くの矛盾を抱えながら転換期へと突入しているのだと実感しました。
<その3>
工場にいた社員の人は、バイトの10分の1くらいだった気がした。彼らはほぼ、監視が主な役割。その日暮し(バイトの派遣元のシステム上)のフリーターが、チームを組んでリーダーが新人に指示を出しながら、作業を引っ張っていました。お互いの関係は案外フラットでミスしまくりの自分も、丁寧に教えられる事でなんとかついていけました。
つまり、どういうことかって?この工場の場合、「工場のライン生産はフリーターなしには成り立たない」という図式が成立してしまうのですよ。まあ、派遣バイトを使わなくてもなんとかできるのだろうけれど(きっと過去にはそういう時期もあったろうし)、現在のほうが企業利益に繋がるから、上記のような方策を採っているわけで・・・。って、テレビでフリーターは悪だって論調なかったっけ・・・。
いまいち、日本の産業界、特に雇用関係にはうなづきかねるものがあります。
と、今日はこんなところで。なにげに移動中に作詩したんで最後に載っけておきます♪