昨日、母が旅行に出かけた。これだけ聞くなら大したことではないだろう。ただ困るのは、それが思いつきの行動であることだ。
「私ちょっと旅行に出てくるから、あと宜しくね」だそうだ。全く計画も何もあったものではないし、いつ帰ってくるのかも告げていかない突拍子もない行動だ。
まあ、残されていくのが僕達兄弟だけなら気楽なものなのだ。しかし、今我が家には祖母がいる。食事を用意しようにも、肉を食べれず、好き嫌いの多い祖母がいるため、自分達の自由にするわけにもいかない。しかも祖母は不自由というわけではないが、極端に体力がないため、外に出すのが危うい。元気ならば近くのスーパーなりに行って、好きなものを買ってくればいいのだがそれも叶わない。
考えてみれば祖母が来てから、我が家のフットワークは極めて重くなった。外に食べに行こうにも、偏食がちな祖母がいてはかなりチョイスする店が限られてしまうし、そもそも出かけようにも我が家の車では定員オーバーになってしまう。そのことで祖母を責めようとは思わないだけに、なんとなくストレスが溜まってしまう。おそらく今回の母の行動もそのフラストレーションの爆発によるものだろうと思う。
表面上は感じさせないが、どうも母と祖母とは反りが合わないらしい。自分中心の自由人である祖母は、年も年だけに都合の悪いことはすぐ忘れる。そのわりに妙に偏屈なところがある。周りが自分の思い通りにならないと不満を表す母は、自分の善意が相手に通じないとすぐに癇癪を起こす。この二人が合うわけはない。もう少しお互いを理解していればいいのだが、そうはならない。
もっとも我が家の兄弟達は飄々としているため、そのあたりはのらりくらりとかわしている。ただ、最近家の雰囲気が悪いのは確かだ。嫁姑問題は世の中に溢れているとはいえ、うちは圏外と思っていたがそうでもない。
どうでもいいが、自分達の不満を直接に言わず、子ども達に吹き込むことだけはやめてほしい。聞いていて愚かしい。
「私ちょっと旅行に出てくるから、あと宜しくね」だそうだ。全く計画も何もあったものではないし、いつ帰ってくるのかも告げていかない突拍子もない行動だ。
まあ、残されていくのが僕達兄弟だけなら気楽なものなのだ。しかし、今我が家には祖母がいる。食事を用意しようにも、肉を食べれず、好き嫌いの多い祖母がいるため、自分達の自由にするわけにもいかない。しかも祖母は不自由というわけではないが、極端に体力がないため、外に出すのが危うい。元気ならば近くのスーパーなりに行って、好きなものを買ってくればいいのだがそれも叶わない。
考えてみれば祖母が来てから、我が家のフットワークは極めて重くなった。外に食べに行こうにも、偏食がちな祖母がいてはかなりチョイスする店が限られてしまうし、そもそも出かけようにも我が家の車では定員オーバーになってしまう。そのことで祖母を責めようとは思わないだけに、なんとなくストレスが溜まってしまう。おそらく今回の母の行動もそのフラストレーションの爆発によるものだろうと思う。
表面上は感じさせないが、どうも母と祖母とは反りが合わないらしい。自分中心の自由人である祖母は、年も年だけに都合の悪いことはすぐ忘れる。そのわりに妙に偏屈なところがある。周りが自分の思い通りにならないと不満を表す母は、自分の善意が相手に通じないとすぐに癇癪を起こす。この二人が合うわけはない。もう少しお互いを理解していればいいのだが、そうはならない。
もっとも我が家の兄弟達は飄々としているため、そのあたりはのらりくらりとかわしている。ただ、最近家の雰囲気が悪いのは確かだ。嫁姑問題は世の中に溢れているとはいえ、うちは圏外と思っていたがそうでもない。
どうでもいいが、自分達の不満を直接に言わず、子ども達に吹き込むことだけはやめてほしい。聞いていて愚かしい。
最近、祖母のことが気になってしょうが無い。マイナスな感じで気になる。今まで自分はどんな人でも嫌いになることはないと思っていた。自分でも人当たりのいい方だと思っていたし、苦手なタイプな人はいても、嫌いになるということは実感から言えばなかったと思う。それが最近の祖母(普段はばーちゃんと呼ぶが)の一挙一動を見ていると、なにかそれに近いような感情を覚える。
祖母ももうすぐ80歳になるかという老人なのだから、大体のことは大目に見ようとは思っている。しかし、気になる。具体的に言うと、まず話し言葉。祖母は出が北国の漁師町なので、基本的に言葉がぶっきらぼうだ。そしてどうでもいいことでも命令口調で話す。それなりに聞いていればいいのだろうが、軽いジャブのように効いてくる。そしてそのわりに、自分の間違いを指摘されたり、気に入らないことがあると、何かと言い訳をつけて返してくる。この言い訳が聞き苦しい。仮にその忠告を聞いたとしても、笑い流しているようにしか見えない。実際次の時には忘れている観がある。どうもこれが自分にはダメだ。ダメだと思うと一挙手一投足が目に付いてしまうからさらにダメだ。
まとめて言うと、素直ではないのだ。老人だから仕方ないと思ってしまえばいいのだろうが、昔のしゃんとした祖母を知っているだけに、仕方ないとは思えない。多少認知症的な所もあるのだが、本当に呆けていて忘れているのか、気に食わないところがあって忘れたふりをしているのかが分からないところが、また困りどころだ。どうにもこうにも、老人と暮らした経験のない我が家にとっては、未経験のことばかりで、母などはストレスがたまりにたまっているらしい。
自分達の側から祖母に辛く当たるということはほとんどないと思っている。ご飯も祖母の嫌いなものは出さないように気を遣っているし、僕の目から見ると不自由のないようにしていると思う。でも、お互いに摩擦が起きるのはどうしてなのだろう。今までの生活習慣の違いがそうさせるのだろうか。自分にも反省すべきところはあるだろう。大体が父親の次に祖母に世話になっているのがこの僕なのだから。大学時代に好き勝手やっていられたのも、祖母の手助けがあったからだ。あれだけ世話になっておきながら、このような感情を抱くことに自己嫌悪に陥ってしまう。
おそらく、一人暮らし歴の長かった祖母にしてみれば、今の窮屈な生活は自分の理想ではないのだろう。見知らぬ土地にいることもそれに輪をかけているだろう。ましてや老人なのだからものごとに偏屈になったとしても仕方がないのかもしれない。だから僕達は不自由のないようにと色々と世話をするわけだが、世話することには慣れていても、世話されることには慣れていない祖母にしてみれば、必要以上のそれは「余計なお世話」なのかもしれない。
いずれにせよ、あまり気にしないことだと思う。気にしすぎるから摩擦が起きる。気にしなければ気にならない。それがこの変な感情の方向を正す方法だと思う。
祖母ももうすぐ80歳になるかという老人なのだから、大体のことは大目に見ようとは思っている。しかし、気になる。具体的に言うと、まず話し言葉。祖母は出が北国の漁師町なので、基本的に言葉がぶっきらぼうだ。そしてどうでもいいことでも命令口調で話す。それなりに聞いていればいいのだろうが、軽いジャブのように効いてくる。そしてそのわりに、自分の間違いを指摘されたり、気に入らないことがあると、何かと言い訳をつけて返してくる。この言い訳が聞き苦しい。仮にその忠告を聞いたとしても、笑い流しているようにしか見えない。実際次の時には忘れている観がある。どうもこれが自分にはダメだ。ダメだと思うと一挙手一投足が目に付いてしまうからさらにダメだ。
まとめて言うと、素直ではないのだ。老人だから仕方ないと思ってしまえばいいのだろうが、昔のしゃんとした祖母を知っているだけに、仕方ないとは思えない。多少認知症的な所もあるのだが、本当に呆けていて忘れているのか、気に食わないところがあって忘れたふりをしているのかが分からないところが、また困りどころだ。どうにもこうにも、老人と暮らした経験のない我が家にとっては、未経験のことばかりで、母などはストレスがたまりにたまっているらしい。
自分達の側から祖母に辛く当たるということはほとんどないと思っている。ご飯も祖母の嫌いなものは出さないように気を遣っているし、僕の目から見ると不自由のないようにしていると思う。でも、お互いに摩擦が起きるのはどうしてなのだろう。今までの生活習慣の違いがそうさせるのだろうか。自分にも反省すべきところはあるだろう。大体が父親の次に祖母に世話になっているのがこの僕なのだから。大学時代に好き勝手やっていられたのも、祖母の手助けがあったからだ。あれだけ世話になっておきながら、このような感情を抱くことに自己嫌悪に陥ってしまう。
おそらく、一人暮らし歴の長かった祖母にしてみれば、今の窮屈な生活は自分の理想ではないのだろう。見知らぬ土地にいることもそれに輪をかけているだろう。ましてや老人なのだからものごとに偏屈になったとしても仕方がないのかもしれない。だから僕達は不自由のないようにと色々と世話をするわけだが、世話することには慣れていても、世話されることには慣れていない祖母にしてみれば、必要以上のそれは「余計なお世話」なのかもしれない。
いずれにせよ、あまり気にしないことだと思う。気にしすぎるから摩擦が起きる。気にしなければ気にならない。それがこの変な感情の方向を正す方法だと思う。
「ごめん」という言葉
2007年9月3日 家族 コメント (1) 色々とあったため久しぶりの更新。
最近、祖母と同居していることは前に書いたが、その祖母に何かしてあげると「ありがとう」と「ごめん」の二通りのどちらかの言葉を返してくれることが多い。「ありがとう」は感謝の気持ちを述べる言葉なので、特に気にはならなかったが、「ごめん」という言葉の使い方が、特に誰と話したわけではないが、気になっている。
そもそも「ごめん」は非を詫びる言葉であり、祖母の場合はきっと
「本来なら自分で出来ることなのだけれど、わざわざ世話をかけてしまって申し訳ない」
という、自負を込めた意味で使っているのではないかと思う。
その「ごめん」という言葉の響きがなぜかもどかしい。こちら側としては、祖母はすでに家族の一員であり、気の置けない存在として同居しているつもりではあるが、「ごめん」の一言は私達を拒絶している言葉のように感じてならない。「それほど世話になるつもりはなかった」といった拒否反応とでもいったところだろうか。お互いの信頼関係がまだ構築できていないという残念な感じだ。
きっと受け入れた私達の側にも不備はあっただろう。祖母の気質を理解して心遣いをするという準備は出来ないまま、同居することになったという背景はある。きっと祖母のことをより理解していくことが、これからは必要になるだろう。そして、祖母の「ごめん」がなくなることが、我が家の新しい一歩になるのだろうと思う。
最近、祖母と同居していることは前に書いたが、その祖母に何かしてあげると「ありがとう」と「ごめん」の二通りのどちらかの言葉を返してくれることが多い。「ありがとう」は感謝の気持ちを述べる言葉なので、特に気にはならなかったが、「ごめん」という言葉の使い方が、特に誰と話したわけではないが、気になっている。
そもそも「ごめん」は非を詫びる言葉であり、祖母の場合はきっと
「本来なら自分で出来ることなのだけれど、わざわざ世話をかけてしまって申し訳ない」
という、自負を込めた意味で使っているのではないかと思う。
その「ごめん」という言葉の響きがなぜかもどかしい。こちら側としては、祖母はすでに家族の一員であり、気の置けない存在として同居しているつもりではあるが、「ごめん」の一言は私達を拒絶している言葉のように感じてならない。「それほど世話になるつもりはなかった」といった拒否反応とでもいったところだろうか。お互いの信頼関係がまだ構築できていないという残念な感じだ。
きっと受け入れた私達の側にも不備はあっただろう。祖母の気質を理解して心遣いをするという準備は出来ないまま、同居することになったという背景はある。きっと祖母のことをより理解していくことが、これからは必要になるだろう。そして、祖母の「ごめん」がなくなることが、我が家の新しい一歩になるのだろうと思う。
うちでは必ず家族の誕生日を祝うことになっている。誕生日当日でなくとも、家族全員が集まれる時に合わせて、誕生日該当者がリクエストしたちょっと豪華なものを囲んで、お祝いをする。すでに子どもたちが子どもといえない年齢に達しているにもかかわらず。
年をとるのが辛くなってくるのはいつからなのだろうか。だれかしらかの誕生日を迎えるごとに自分はふとそんなことを想像してみたりする。いつまでもうちの、このような習慣を続けられればとは思いつつも、いつかしらか、確実に終わるであろうこのお祝いごとを、そんなふうに考えてみてしまう。
生きること自体、辛い事のほうが多いのであるから、その辛さを背負って生れてきた日を、楽しく祝うというのは、なぜだか矛盾しているようでもさもありたいと感慨に耽ってしまう。
年をとるのが辛くなってくるのはいつからなのだろうか。だれかしらかの誕生日を迎えるごとに自分はふとそんなことを想像してみたりする。いつまでもうちの、このような習慣を続けられればとは思いつつも、いつかしらか、確実に終わるであろうこのお祝いごとを、そんなふうに考えてみてしまう。
生きること自体、辛い事のほうが多いのであるから、その辛さを背負って生れてきた日を、楽しく祝うというのは、なぜだか矛盾しているようでもさもありたいと感慨に耽ってしまう。
今日は父方の祖父の祥月命日だ。
父方の祖父(以下、祖父)との思い出に個人的には良い思い出は、ない。自分の記憶にある祖父は、すでに歩行困難となっていた。そのため私達兄弟が近づくと、力いっぱいに自分の方へと引っ張ることが何度もあり(上半身は健全だった)、その恐ろしい力強さがトラウマとなって、兄弟3人とも(特に弟は)、晩年の祖父のことを恐れていた。
今考えれば、あれは祖父なりの、私達へ向けた愛情行動だったのかもしれない。自由に歩けないことへの憤りが、または、私達に存在感を示す行為の結果が、力強い引っ張りとなって現れたのではないか。
そう思うと、もっと祖父のそばにいてあげれば良かったと思う。その後悔とも言えない愛惜の情は、今も生きている自分の大切な人に向けて発せれば、祖父も少しは喜んでくれるだろうか。
父方の祖父(以下、祖父)との思い出に個人的には良い思い出は、ない。自分の記憶にある祖父は、すでに歩行困難となっていた。そのため私達兄弟が近づくと、力いっぱいに自分の方へと引っ張ることが何度もあり(上半身は健全だった)、その恐ろしい力強さがトラウマとなって、兄弟3人とも(特に弟は)、晩年の祖父のことを恐れていた。
今考えれば、あれは祖父なりの、私達へ向けた愛情行動だったのかもしれない。自由に歩けないことへの憤りが、または、私達に存在感を示す行為の結果が、力強い引っ張りとなって現れたのではないか。
そう思うと、もっと祖父のそばにいてあげれば良かったと思う。その後悔とも言えない愛惜の情は、今も生きている自分の大切な人に向けて発せれば、祖父も少しは喜んでくれるだろうか。
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