還暦

2013年1月28日 エッセイ
今日、父が還暦を迎えた。

そして今の会社も今月末で退職するようだ。

物申したいことはたくさんあるけれど、数え切れないほどの山やら谷やらを越えて、勤め上げられたことは素直に尊敬できる。
一体、38年という、決して短くはない時間を捧げてきた「仕事」とは父にとってなんだったのだろうか。

仕事をするということの理由を問えば、数多くの答えがあるだろう。
自分のため、家族のため、社会のため、金のため、自己実現のため、名誉のため・・・。
ひとつに絞りきれるような簡単なものではない。
それでも理由には「核」があると思う。
その核に吸い付けられるように多くの目標が重なっていくのだろう。
「核」のない信念は、形の定まらない粘土のようなものだ。
形が定まらなければ生まれるものの魂は薄い。

父はどんな「核」を内に秘めていたのだろう。そしてこれからは?

父の生み出した魂を僕は引き継いでいけるのだろうか。
そして自分なりの「核」を定めて新たな熱を放っていけるだろうか。

それは世代を超えて受け継がれていくものの、最小単位なのかもしれない。
仕事帰りに携帯を見たら着信があったので、折り返し電話したら
「飲みに行こう」
との暗い、切羽詰まったような友人の声。

何かあったなと思い、早く帰って束の間の休息を貪ることを諦め、電車に揺られて1時間弱、待ち合わせの飲み屋に着くと、すでに始めていた彼は時間が経っても何も語らないまま30分が過ぎる。

このまま会話のほとんどない飲み会をしていても埒が明かないので、彼の事情に思い当たることを想像して、何かの足しになればと思い、自分のちょっとじゃ終わらないちょっとした昔話のショートバージョンを話したら、言葉少なに彼は一言、

「飲み屋の女の子に別れを告げた」

とさ。

親しくなった(と言ってもお店の中で)女の子がいて、本気で結婚まで考えていたけれど、その子が勤めるお店がつぶれて、しばらくしたらメールをしても返信がこなくなったのだとか。

もっとも大半の人がこのことを聞いたら、

「お店の女性は客商売だから気を持たせようとするし、本気になったらあかんよ。スパッとあきらめるべし」

と思うだろうけれど、彼は彼女が最後の人だと思っていたらしく、落ち込みようはかなりのものだった。

僕も、「無理なものに手を出したのだから…」と思って、2、3のアドバイスと励ましの言葉をかけたけれど、彼にはおそらく届いていない。


もっともよくあることなのだけれど、他人の悩みというのは現実味の薄い、実感を伴わないものだと思う。どれほど真剣に打ち明けられたとしても、本人にとって羞恥心を含む切実なものであっても、聞く側にしてみればそれは他人事で、それほど深刻には感じられない。他人事だけに色々な助言もできる。

同じ経験(全く同じということはありえないが)をしたことがない僕の言葉は、いかに多少の共通点があることを語ったとはいえ、彼に届いただろうか。

薄っぺらな同情をするくらいなら、まだ何も語らず一緒にお酒を飲んでいればよかったのかもしれないが、結局は何かをひけらかしたい欲に負けてペラペラと話してしまったことを多少後悔した。

二人で飲み屋を後にしたが、彼はもう少し飲んでいくといって夜の街に消えた。
彼の歩いて行ったのは、やはりオネエサンのいるお店の方角だった。

痒みは痛みで消えるのだろうか。

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