今日もまだそこらここらに雪は溜まっている。
雪国の人から見たら「その程度で」と鼻で笑われるレベルでしかないけれど、備えも経験も少ない関東の人間にとっては一大事なのだ。
交通機関の乱れやら、滑って転んだりだとか、雪かきで筋肉痛だとかがちらほら聞こえる。
そんな中、一つ考えさせられることがあった。
帰宅途中でバスを待っていたときのことだ。
雪道を歩きたくない人は長蛇の列を作っていて、全員は乗れなさそうだった。
僕は列の真ん中くらいに並んでいたのだが、バスが到着して、列が進み始めた時に、僕の横で不穏な動きがあった。
それまでいなかったおばちゃんが並行して進んでいるのだ。
「むむっ」と思ったが、ちょっと様子を見ていると、案の定、列に入ろうとしてきた。
そこで、
「すみません、並んでるんですけど・・・」
と気弱でシャイな僕にしては、自分でも精一杯のきっぱりさで告げてみた。
するとおばちゃんはちらっとこっちを見て、まさに今気づいたかのような表情を浮かべ、去っていった。
こんな出来事だった。
個人的には、おばちゃんが割り込みたくなる気持ちもわかる。それに自分が乗れなくなるわけじゃないから、大きな問題ではない。
でも、この人が割り込むことで、律儀に並んでいた他の誰かがこのバスを乗り逃すことになるのは明らかだし、自分の目の前で割り込まれたのを黙って見過ごしたら、悪者はおばちゃんじゃなくて僕になりそうな気がした。だから一声かけた。
でも、声をかけたことで良いことをしたという気持ちにはなれなかった。
なぜか、嫌な気持ちばかりがつきまとった。
その嫌な気持ちの理由がよく分からなかった。それが本題だ。
マナーを守らないおばちゃんに対する怒りなのか、おばちゃんに声をかけたことに対する後悔なのか、悪者になりたくないという卑しい気持ちが嫌だったのか、それともそんな当たり前の正義をためらわずに振りかざせない自分に対する情けなさなのか。
それら全部がごっちゃになった正体不明の嫌な気持ちだけしか残らなかった。
結局はおばちゃんが割り込もうとしなけりゃよかったことだ。
でも本当に悪いのはなんなのだろう。
少なくとも、極力、公共マナーは守るようにしたいものだと思った。
雪国の人から見たら「その程度で」と鼻で笑われるレベルでしかないけれど、備えも経験も少ない関東の人間にとっては一大事なのだ。
交通機関の乱れやら、滑って転んだりだとか、雪かきで筋肉痛だとかがちらほら聞こえる。
そんな中、一つ考えさせられることがあった。
帰宅途中でバスを待っていたときのことだ。
雪道を歩きたくない人は長蛇の列を作っていて、全員は乗れなさそうだった。
僕は列の真ん中くらいに並んでいたのだが、バスが到着して、列が進み始めた時に、僕の横で不穏な動きがあった。
それまでいなかったおばちゃんが並行して進んでいるのだ。
「むむっ」と思ったが、ちょっと様子を見ていると、案の定、列に入ろうとしてきた。
そこで、
「すみません、並んでるんですけど・・・」
と気弱でシャイな僕にしては、自分でも精一杯のきっぱりさで告げてみた。
するとおばちゃんはちらっとこっちを見て、まさに今気づいたかのような表情を浮かべ、去っていった。
こんな出来事だった。
個人的には、おばちゃんが割り込みたくなる気持ちもわかる。それに自分が乗れなくなるわけじゃないから、大きな問題ではない。
でも、この人が割り込むことで、律儀に並んでいた他の誰かがこのバスを乗り逃すことになるのは明らかだし、自分の目の前で割り込まれたのを黙って見過ごしたら、悪者はおばちゃんじゃなくて僕になりそうな気がした。だから一声かけた。
でも、声をかけたことで良いことをしたという気持ちにはなれなかった。
なぜか、嫌な気持ちばかりがつきまとった。
その嫌な気持ちの理由がよく分からなかった。それが本題だ。
マナーを守らないおばちゃんに対する怒りなのか、おばちゃんに声をかけたことに対する後悔なのか、悪者になりたくないという卑しい気持ちが嫌だったのか、それともそんな当たり前の正義をためらわずに振りかざせない自分に対する情けなさなのか。
それら全部がごっちゃになった正体不明の嫌な気持ちだけしか残らなかった。
結局はおばちゃんが割り込もうとしなけりゃよかったことだ。
でも本当に悪いのはなんなのだろう。
少なくとも、極力、公共マナーは守るようにしたいものだと思った。
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