相手のためを思っての行為が受け入れられず、否定だけならまだしも叱責を受ける羽目になると、さすがにガクーンとくる。

しかしよくよく考えてみれば、「相手を思っての行為」というのは、相手を喜ばしたいという自分のエゴ、つまり自己満足的な行為であって、相手を喜ばせられなかったというガクーンというよりは、自尊心を傷つけられたというガクーンの方が大きいのではないかと思った。

相手に喜んでもらうという動機が出発点ならば、否定されようが、叱責されようが、自分の思いが相手に届かなかったということを受け止め、何がいけなかったのかを反省できるはずだ。

ただのエゴだからこそ、もともと好意だったものが歪んで、嫌悪感や悪意に変わったり、復讐心までもが芽生えたりする。

もっとも、最初から自分のための行為だと思っての好意は、否定されようと叱責を受けようと、根が太いだけに揺れ動かないのかもしれない。その行為が相手のための行為だと思っているところにすでに嘘が生じているのだろう。

愛が、個を打ち捨てて自らを捧げる行為なら、僕には「愛してる」なんて言うことはできない。

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