自分の孤独を嘆く人がいる。

それは、思いを寄せる人から音信がないとか、友人から連絡がないとかいうありふれたものだ。

だからありふれた孤独だと言っていいと思う。

ただ、誰にでも特殊な事情があるように、彼にも抱えているものがあって、彼自身はその孤独を生まれてからこの方、ずっと身にまとわりついている種類の孤独だと感じてしまっているらしい。

「助けてほしいときに誰もそばに寄りつかない。」
「人は過去の傷ばかりを突いてくる。」
「この孤独に耐えられない」

それは僕が思うに外的要因というよりは内的要因に属するものだ。

彼はマワリが助けてくれないと嘆き、救われることを期待するが、自分以外のマワリというのは不確定で不確実な要素が多い。自分の本当の姿でさえ分からないまま毎日を生きる人がほとんどなのに、マワリの動きまで完璧に把握するというのは無理な話だ。それに同じマワリの状況に置かれても、人によってはまったく動揺を生じないということもある

だから、心の問題のほとんどは結局は本人の内的問題だ。

ただ、先天的に心の弱い人もいるし、恵まれない過去を持っているために歪んだ心で苦しむ人もいる。生きることに強い意志を持っている人もいれば、多少の揺らぎでも絶望に陥る人もいる。

人が根本的に救われる方法は分からないが、人が変わったり、癒されたりするには3つの要素があると思う。

1、時間

2、人

3、変化

3つのどれをも手に出来ないということは原理的にあり得ないと思う。

そして過去の積み重ねというのは、人として生きた軌跡であって、その3つの蓄積だ。多くのピースをはめ込んで、より堅固な塔を築けているかどうかが人としての豊かさと強さを表しているのだと思う。

何の欠片も持たず、ただ哀しみの産声を上げて生まれた時を思ってくれれば、そしてその孤独の嘆きを拾ってくれた多くの愛のことを思ってくれれば、少しは彼の孤独も紛れてくれるのではないかと淡い期待をしている。

産声の孤独ほど切実で哀しいものはない。

コメント

まる
2012年3月19日0:51

こんばんは。^^
たなさんの日記を読むと何故だか、これから生きていくうえのヒントのような、
モノ実感できてとてもよいですね。言葉で表現するのは難しいのですがね。^^
癒されますね。

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