人生において「何年の何月何日の何時に」「どこで」「誰と」「何をしていたか」がはっきりと言える瞬間というのは稀だ。
それを言える瞬間は、よほどの重大事が身に降りかかった時だろう。

僕の人生では今のところそんな経験は2回しかない。
その2度はどちらも多くの人が悲劇に見舞われた時であり、僕の経験は固有ではあるけれど、共有されてるものだと思う。

昨日は、その時から一年がたった日だった。
そして、同時代に生きた人たちにとって一つのアイデンティティを押し付けられた日だった。

多くの人がその瞬間に祈りをささげた。
それぞれの祈りは違えども、向かっている方向は近いのではないかと思った。

鎮魂と未来。

「生きる」ということを、これほど切実に感じることもないだろう。

与えられた不条理を受け入れるのは非常な覚悟と決意がいる。
明日へ向かうには、明るい材料が待っていることが明らかでなくてはならない。

人類がこれまで通ってきた道は、決して平坦ではなく、多くの悲劇や苦痛を伴ってきたはずだ。先人たちに出来て私たちに出来ないはずはないと信じている。

長く、険しい道になろうとも、このアイデンティティを自分の中に消化したい。

そして新たに一歩を踏み出し、いつの日かそれが連なって確かな道になることを願っている。

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