ここに日記を書かなかった2年半の間、自分が何をしていたのか記そうと思ったが、その前に以前の自分の記録を確認してみた。つまり潜伏以前のDNの日記を読んでみたわけである。
一年分にも満たない記録ではあったけれど、思いの外分量は多くて、まだすべてを確認するには至っていない。
それでも当時の自分のものの捉え方や感じ方がストレートに入ってきた。自分で書いたものだから当然ではあり、それはそれで恥ずかしさも含んではいたけれど、当時起こっていたことが思い出されるにつれて、懐かしさと過去を思う虚しさみたいなものが入り混じってくる。普段は味わえないような感情がこみ上げるというのもいいものだ。
読んだ感想としては、手前味噌ではあるけれど、意外と書けていると感じた。確かに誤字脱字やら、言葉の使い方や前後関係が今となっては意味不明なところもあるけれど、それなりに書けている。今、同じだけのことを書ける自信があまりない、というのが実感だ。
それでも僕の過ごしたこの二年半は決して何もなかったわけではなく、むしろ自分の生きてきた中では、かなりの前進を得た感触の残る、そして記憶にも残るであろう日々だった。
詳細は追々記録にしていきたいけれど、
1、感情の所在がはっきりしたこと
2、長年の苦しみに一段落がついたこと(まだ解放はされていないけれど)
3、自分の価値を認めることができたこと
が主な要点だろう。
はっきり言ってこの齢でこんなこともできていないのかと笑われそうだけれど、僕にとっては、この成長はなかなか手にできなかった大きなもので、人生の一つの山を越えることができたかなと思えるくらいの変化だった。
それは家族や大切な人たちの助けに依ったところが大だし、多くの人に感謝している。生きることは多分に辛さや苦しみを含むが、僕はこの2年半があっただけでも、これからの人生を前向きに進んでいけるのではないかと思う。それくらい愛しい日々だった。
一年分にも満たない記録ではあったけれど、思いの外分量は多くて、まだすべてを確認するには至っていない。
それでも当時の自分のものの捉え方や感じ方がストレートに入ってきた。自分で書いたものだから当然ではあり、それはそれで恥ずかしさも含んではいたけれど、当時起こっていたことが思い出されるにつれて、懐かしさと過去を思う虚しさみたいなものが入り混じってくる。普段は味わえないような感情がこみ上げるというのもいいものだ。
読んだ感想としては、手前味噌ではあるけれど、意外と書けていると感じた。確かに誤字脱字やら、言葉の使い方や前後関係が今となっては意味不明なところもあるけれど、それなりに書けている。今、同じだけのことを書ける自信があまりない、というのが実感だ。
それでも僕の過ごしたこの二年半は決して何もなかったわけではなく、むしろ自分の生きてきた中では、かなりの前進を得た感触の残る、そして記憶にも残るであろう日々だった。
詳細は追々記録にしていきたいけれど、
1、感情の所在がはっきりしたこと
2、長年の苦しみに一段落がついたこと(まだ解放はされていないけれど)
3、自分の価値を認めることができたこと
が主な要点だろう。
はっきり言ってこの齢でこんなこともできていないのかと笑われそうだけれど、僕にとっては、この成長はなかなか手にできなかった大きなもので、人生の一つの山を越えることができたかなと思えるくらいの変化だった。
それは家族や大切な人たちの助けに依ったところが大だし、多くの人に感謝している。生きることは多分に辛さや苦しみを含むが、僕はこの2年半があっただけでも、これからの人生を前向きに進んでいけるのではないかと思う。それくらい愛しい日々だった。
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