今日、バスで家へ向かう道すがら、幸運にも座席に座ることが出来て、音楽を聴きながらまったりとしていたのだけれど、どうも聞きなれない言葉が座席の後方から聞こえてきた。音楽の入ってくるよりも確かな音量で聞こえてきたその会話はどうやら英語らしく、さらに耳を澄ませているとお父さんと小学校低学年くらいの少年の語り合いであることがわかった。敢えて後ろを振り返ることは、その人たちにとって失礼になるのではないかと危惧した僕は、ただ音楽と英会話の二重音声を楽しんでいたのだけれど、自分より早くその親子がバスを降りる雰囲気であったので、どんな二人なのだろうとちらりと覗う機会を楽しみにしていた。
その二人の姿を見たときに、ちょっとした驚きが自分の中に生まれた。自分の想像の範囲外だったためだし、これは僕の偏見だったのかもしれないが、二人は黒人だったのだ。人種がどうこういうわけではなく、ただ僕の中では「英語だから白人だろう」という単純な思い込みがあったのだが、眼前に突きつけられた事実は僕に多少のショックを与えた。なぜ、自分は「英語=白人」と思い込んでいたのか。自分も気付かないところで人種差別をしてしまっているのか、と。
結論から言えば、ただの刷り込みなのだろうけれど、なんだか自分が小さい人間に思えてしまって、哀しかった。「もっと大きな心で世界を見なくてはならないな」とその時に思った。
その二人の姿を見たときに、ちょっとした驚きが自分の中に生まれた。自分の想像の範囲外だったためだし、これは僕の偏見だったのかもしれないが、二人は黒人だったのだ。人種がどうこういうわけではなく、ただ僕の中では「英語だから白人だろう」という単純な思い込みがあったのだが、眼前に突きつけられた事実は僕に多少のショックを与えた。なぜ、自分は「英語=白人」と思い込んでいたのか。自分も気付かないところで人種差別をしてしまっているのか、と。
結論から言えば、ただの刷り込みなのだろうけれど、なんだか自分が小さい人間に思えてしまって、哀しかった。「もっと大きな心で世界を見なくてはならないな」とその時に思った。
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