時間と学習効果の比例具合
2009年6月17日 思うところこの前、友人とはっきりと宣言できる友人とお話していたときに、中学校のテスト勉強の話が出た。
お互いの中学は異なっていたが、テスト期間中にどれだけ勉強したかを自己申告制で「学習の記録」みたいなものに記していくといった教育方法が取られていたのは似ていたようで、その話になった。僕の中学では、テスト後にトップ10位まで学習時間の長かった人と成績の良かった人を学年通信みたいなもので称えていたのだが、そのトップ10に入っている人の学習内容、つまり効率と得点への反映が果たしてどういうものだったかというのが、その話の中心だった。
まず一致したのは、図抜けて学習時間の多い人は大抵、テストの得点が低いということと、本当に「デキル」奴は学習時間のほうのランキングには載らないということだった。
「これはどういうことなのか」と話していた。学習時間が多い人間というのは、内容が必ずしも伴っていないということではないだろうか。テレビなどと並行してのながら勉強であったり、もしくは、している気になっているだけなのではないか、という本人が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうな結論に達した。
そして「デキル」奴と言うのは勉強していてもしていると感じていないか、敢えて少なめの時間を記録しているか、そうでなければかなり効率の良い、しなくても出来てしまう天才タイプの人間なのではないか、というところに話は落ち着いた。
つまり、結局、学習時間が多いということが、必ずしもその結果に反映しないということ、勤勉さが多くの収穫を保証しないということだったように思う。
そんな話をしながら、自分はどんなタイプなのかを考えてみた。少なくとも僕は「デキル」タイプではなかったようだ。自分の学習したと思える時間をできるだけ事実に忠実に記録していたし、成績もおかげでそこそこ良かった。しっかりとした学習時間と成績の比例直線上にいた人間だったように思う。
でも、今考えてみると、当時、僕はかなり努力していたと思う。頑張っても頑張っても上には上がいて、自分の限界ギリギリのところで戦っていた気がする。「これで負けるなら仕方ない」といった具合に。
そしてちょうどその中学校時代に踏み込んだ新しい「学習」の世界は、僕にはちょっと荷が重いようだ。いまだに勉強時間に比例した、満足する結果が得られない。きっとまだ「学習」時間が足りないから結果が出せないのだろうと自分を情けなく思う。
でも幸いなことには、この「学習」には一つの締め切りしか設定されていないということだ。それに誰かとの競争によって課されたものでもない。時間はまだまだある。締め切り前に答えが出るものでもないかもしれない。でも教科書の隅っこに書いてある内容がテストに出されるように、僕が「学習」で得た何かしらかの知識で、一つでも解答欄が埋まればいいなと、そんな風に思っている。
お互いの中学は異なっていたが、テスト期間中にどれだけ勉強したかを自己申告制で「学習の記録」みたいなものに記していくといった教育方法が取られていたのは似ていたようで、その話になった。僕の中学では、テスト後にトップ10位まで学習時間の長かった人と成績の良かった人を学年通信みたいなもので称えていたのだが、そのトップ10に入っている人の学習内容、つまり効率と得点への反映が果たしてどういうものだったかというのが、その話の中心だった。
まず一致したのは、図抜けて学習時間の多い人は大抵、テストの得点が低いということと、本当に「デキル」奴は学習時間のほうのランキングには載らないということだった。
「これはどういうことなのか」と話していた。学習時間が多い人間というのは、内容が必ずしも伴っていないということではないだろうか。テレビなどと並行してのながら勉強であったり、もしくは、している気になっているだけなのではないか、という本人が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうな結論に達した。
そして「デキル」奴と言うのは勉強していてもしていると感じていないか、敢えて少なめの時間を記録しているか、そうでなければかなり効率の良い、しなくても出来てしまう天才タイプの人間なのではないか、というところに話は落ち着いた。
つまり、結局、学習時間が多いということが、必ずしもその結果に反映しないということ、勤勉さが多くの収穫を保証しないということだったように思う。
そんな話をしながら、自分はどんなタイプなのかを考えてみた。少なくとも僕は「デキル」タイプではなかったようだ。自分の学習したと思える時間をできるだけ事実に忠実に記録していたし、成績もおかげでそこそこ良かった。しっかりとした学習時間と成績の比例直線上にいた人間だったように思う。
でも、今考えてみると、当時、僕はかなり努力していたと思う。頑張っても頑張っても上には上がいて、自分の限界ギリギリのところで戦っていた気がする。「これで負けるなら仕方ない」といった具合に。
そしてちょうどその中学校時代に踏み込んだ新しい「学習」の世界は、僕にはちょっと荷が重いようだ。いまだに勉強時間に比例した、満足する結果が得られない。きっとまだ「学習」時間が足りないから結果が出せないのだろうと自分を情けなく思う。
でも幸いなことには、この「学習」には一つの締め切りしか設定されていないということだ。それに誰かとの競争によって課されたものでもない。時間はまだまだある。締め切り前に答えが出るものでもないかもしれない。でも教科書の隅っこに書いてある内容がテストに出されるように、僕が「学習」で得た何かしらかの知識で、一つでも解答欄が埋まればいいなと、そんな風に思っている。
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