どんなにつらい状況でも、その場を明るく捉えられればすべてはコメディーになると思う。

前に車のバッテリーを上げてしまい、ウンともスンとも言わない状態になってしまったことがあった。僕は、人の命にかかわるようなことは、まだ笑えるほど人間が出来ていないが、バッテリー上がりくらいの状況ならばむしろその苦境を楽しむことは出来る。とりあえず某ロードサービス会社に電話して来てもらい、手際よくバッテリーの充電をしてもらったのだが、その間は1時間もかからなかったし、それになにより、「バッテリーの充電ってこうやるのか!」という新しい光景を目の当たりに出来たことが、僕の心を浮き立たせた。一時間を無駄にしたという思いよりは、新しい経験を積めたという喜びのほうが大きかったのだ。

ものも捉えようで全く違う。テレビに久しぶりに出ていた歌手が年を重ねた様子を見てどう思うか。母は「老けたわね」と言っていたのだが、僕は「大人びた」と感じた。また、解けない問題を「出来ない」と突っぱねるよりは、「どうやれば解けるようになるんだろう」という未来へ向けた想いを持つほうがはるかに素晴らしいことだと思う。

どんなマイナスな言葉でも捉えようによってはプラスに変わる。それは感性の違いによって生じる差異なのだが、マイナスの言葉を吐きつづける人は、少なくとも僕はかなり苦手だ。こっちまで気分が暗くなってしまう。それにマイナスな言葉は結局吐いた人自身に撥ね返ってくるのではないか。いつかその人が悲劇的言葉を吐きかけた人と同じような境遇に陥った時に、その言葉の悲しさが身に染みて分かることになるのではないかと思う。

だから僕は、悲しみではなくコメディーで全てのものを包んでいきたいなと思っている。喜びの声もきっと人から人へと伝染するものだと信じていたい。すべてが喜びの色に染まるあの光景をもう一度感じたいと心から思う。結局、喜びは自分ひとりの絶対的なもので万人の喜びなどというものがないものは分かっているけれど、それでも僕の中の小さな世界はコメディーを求めてしまうのだ。

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