高校時代の国語でこんな話を読んだ記憶がある。

『筆者が自転車だかバイクで近くの駅から自宅まで帰ってくる。ただし、それでは頭を使っているだけで、 体の疲労が脳の疲労に追いつかないため、結局は帰宅してから小一時間歩かなくてはならなくなる。』

正確な描写ではないがこんな感じだ。
だったら、最初っから駅から歩いて帰ってくればいいじゃないか、と当時は思いっきりその滑稽さを侮蔑していたが、実際に自分がそういう立場に立ってみると共感できてしまうから不思議だ。

僕の場合は頭の方のテンションが上がりつづけて、それで体も絶好調だから脳も体も酷使することになる。体のほうの疲れは比較的早く和らぐのだが、脳の方はそう簡単にはいかず、上がりっぱなしのテンションはかなりのダメージを脳に残す。いまだに普段見る世界とは違う、ぼんやりとした「現実」の中にいるのは、きっとそういう理由なのではないかと想像してみる。

ただ、いつもの「現実」と違うのは、僕にも少しだけれど守るべきものが出来て、それを壊さないのに精一杯だからだろう。そして守ってくれる人がいる。もしくは単に加齢とともに経験値が増えるのに反比例して、感覚の鋭さが和らいだからか。

もっとも終わらない旅がないように、僕のこの小旅行もあとわずかでトンネルを抜けるところまで来ている。今回の小旅行は、自分でも驚くほど終点にたどり着いたときの爽快感への期待で溢れている。「次はどこに旅行しようか」なんてことが思い浮かぶほどにだ。

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