天然

2009年5月27日 思うところ
普通、人は何かを手に入れるために、様々な犠牲を払って苦心するものだ。だが世の中には「天然」と呼ばれる特別な人間が存在する。テレビなどで指摘されるそれは、ある意味オバカさん的な取り扱いになっているが、僕の考えはちょっと違う。少なくとも、僕にとっての「天然」は非常な脅威であり、大いなる興味の対象である。

『それを手にするまでの過去を全く見せずに、当たり前の事のようになんらかの真理に近いことを体現する人』

が僕が思う「天然」の定義だ。

「天然」の体現することに論理的裏づけはない。ただ知っているのだ。誰もが欲しがる意味を。人が人生をかけてようやく手にするような光を。

おそらく僕が思うに、「天然」もきっと何らかの壁を乗り越えた人であるように思うのだが、僕に人物眼がないせいか、なぜかそれが全く感じられないのだ。そのことが本当に脅威だ。どれだけ人が苦労して「そのこと」を手に入れたと思っているのか、と。ふざけるのもいいかげんにしてくれ、と。

でも、だからこそ「天然」には非常な魅力がある。この人は何を知っているのだろうという期待が膨らむ。もしかしたら自分にこの世の全てを教えてくれるのではないかという、浅はかな思いまで生まれる。

そんな人に今度出会えるのはいつのことだろうと、未来に想いを馳せるのだ。


追伸

昨日書き忘れたのだけれど、恋は大いにエネルギーを消費します。おそらく普段以上に脳を酷使するからだし、「恋は盲目」の言葉どおり、なりふり構わず何かに集中することになるからです。だから、食べることと睡眠は十分に確保しないと大変なことになります。そして、恋の終わりにおとづれる虚脱感は相当なもので、なぜ自分がこんなに燃え上がっていたのだろうという疑問を感じてしまうほどです。それが失恋ならばなおさらで、敗れた恋には悪感情が大いに付きまといます。そこから人間性の崩壊や反社会的行為が生まれるといっても過言ではないくらいに。ただ、僕の思う恋は僕のものであって、他の人にはあてはまらないかもしれません。特に女性には。少なくとも僕は僕としてしか生きていないからです。

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