大人

2009年5月25日 思うところ
10年を一昔とするならほぼそう言っていいと思うのだけれど、とある縁で母校の中学校から「20周年に寄せてのお祝いの文章を」と頼まれて、ふと思い浮かんだことを書いたことがある。後で出来上がりの冊子を見たら、恥ずかしいことに他の全てが「20周年おめでとうございます」的なお祝いの言葉で埋められていて、僕の文章だけ完全に浮いていた。うろ覚えだがこんな感じだ。

2年生の時、国語のある先生がこんな質問をしたのを今でも鮮明に覚えている。
「君達は大人か?子どもか?」
と。
僕達はこぞって
「大人だ」
と答えていた。

先生はにやりとするだけでだった。

20年という時を迎える今、本当の「大人だ」の意味をもう一度考えようと思う。


多分、こんなニュアンスだったと思う。今でも「大人だ」の意味は分からないが、「自分はもう大人なのかな」とは感じる。

「大人はうそつきだ。本当のことは何も教えてくれない」
と、ドラマか何かで聞いた覚えがある。ありきたりな感じの表現でなんだかおかしかったが、真理をついているなと思った。少なくとも大人は本当のことは子どもには教えてはいないと僕は思う。なぜ教えないかというと、一つには「教えられないから」で、二つには「教えても意味がないから」だろう。

僕のちっぽけな経験則だが、自分が本当に「分かった」と完了形で思えることなどあるかどうか・・・。はっきり言って自信がない。そこにあるのは「知っている」とか「覚えている」とか「経験がある」といった、実にあやふやなものであって自分は何も分かっていないのではないかと情けなく思ってしまう。でも、一生懸命に「分かろうとする」努力はしているつもりだ。人に言われたことが「本当のこと」か。自分の感じたことが「本当のこと」か。目の前の事実が「本当のこと」か。まだ「本当のこと」を分かる過程にいるのだ。それが僕にとっては、時にはたまらなく楽しい。だから僕のこんな現状を全体に拡大していいものならば、大人にとっても「本当のこと」を教えるのは無理なのだと思う。

そして、たとえ仮に教えたところで子どもが分かるのは結局、表層的なところだけであって、その本当の意味は自分で掴んでいくものだからだ。ヒントを与えられると子どもは楽をすることになる。どんな問題でも解答を与えられると「分かった」と子どもは言ってしまう。それをさせないための実に愛のあるスパルタ教育を行っているのだと思う。

とかなんとか大人を一生懸命に擁護してみたが、結局大人はいやらしい。なんだか考えていることがよく分からない。僕も小さい頃は大人が嫌いで子どものままでいたいと切実に思ったものだ。

でも、大人には可愛いところもあるのだ。なんといっても、小さい頃に大人から習った「うそつきはいけません」という教えを忠実に守っているのだから。

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