理由というものは信用ならない。
昔、とある国語の教師に次のような話を聞いたことがある。
ある国語の入試問題で
「この改行の理由を答えよ」
という設問があったそうだ。選択肢にはもっともらしい理由が並べてあり、そのうちの一つが正答だったらしいのだが、後にその文章を書いた人物がその問題を目にして、その理由を思い起こした。
「確か、その時お茶で一息ついたんだよな・・・」
というのが、本当のところだったらしい。
この話はさておき、理由などというものはいくらでも作られる。実生活では国語の問題とは違って、その中に唯一の正解などというものは存在しないと思う。どれもがそれなりに確かなのだ。
なぜ理由というものが必要とされるのか。一般的には、自分の行為が理性に基づく正当なものだと主張するために創作されるものなのだろう。人間の行動というのは理性によって統治されているということになっている。その行為に対する「なぜ?」「どうして?」という問いに、理由を付すことによって、合理的だと安心するのだ。理由がないと不安なのだ。理由そのものが大切なのであって、その内容など大して重要ではない。
ある事件の犯人がいるとする。その悲惨な事件に人々は恐怖感を抱き、何か確かなものを求めようとする。家庭環境、対人関係、経済的問題、社会背景・・・。犯行についていくらでも理由は出てくる。その理由を手にすることで、その事件の真相を知ったつもりになり、人々は安心する。でも本当のところは一体どうなのか?それらの理由の集積は確かに事件の様々な面を見せてくれる。でも、本当は?
本当の理由なんてものは結局のところ、ないに等しいのだと思う。どんなに求めたとしてもそれは真の意味では手に出来ないのではないか。人はきっと本能的に生きているのだ。本能はあいまいだ。確かなものがない。本能という禍禍しく表に出すべきではないものを隠すために理由が存在する。理由は自分たちが動物とは一段違う、人間であることを主張するための道具として作られるものなのだ。
でも、不思議なことに理詰めで何事も解決しようとする人は機械的な人と見られ、情緒豊かで感情表現に富んだ人は人間的とみなされる。理性は社会を成立するためには欠かせないが、人間らしさは押し殺しているのかもしれない。人間らしくあろうと理性を働かせると人間らしくなくなるという矛盾・・・。やはり何事もバランスが大事ということだろうか。
と、理由の理由を考える僕はどっち側の人間なのだろうか。
昔、とある国語の教師に次のような話を聞いたことがある。
ある国語の入試問題で
「この改行の理由を答えよ」
という設問があったそうだ。選択肢にはもっともらしい理由が並べてあり、そのうちの一つが正答だったらしいのだが、後にその文章を書いた人物がその問題を目にして、その理由を思い起こした。
「確か、その時お茶で一息ついたんだよな・・・」
というのが、本当のところだったらしい。
この話はさておき、理由などというものはいくらでも作られる。実生活では国語の問題とは違って、その中に唯一の正解などというものは存在しないと思う。どれもがそれなりに確かなのだ。
なぜ理由というものが必要とされるのか。一般的には、自分の行為が理性に基づく正当なものだと主張するために創作されるものなのだろう。人間の行動というのは理性によって統治されているということになっている。その行為に対する「なぜ?」「どうして?」という問いに、理由を付すことによって、合理的だと安心するのだ。理由がないと不安なのだ。理由そのものが大切なのであって、その内容など大して重要ではない。
ある事件の犯人がいるとする。その悲惨な事件に人々は恐怖感を抱き、何か確かなものを求めようとする。家庭環境、対人関係、経済的問題、社会背景・・・。犯行についていくらでも理由は出てくる。その理由を手にすることで、その事件の真相を知ったつもりになり、人々は安心する。でも本当のところは一体どうなのか?それらの理由の集積は確かに事件の様々な面を見せてくれる。でも、本当は?
本当の理由なんてものは結局のところ、ないに等しいのだと思う。どんなに求めたとしてもそれは真の意味では手に出来ないのではないか。人はきっと本能的に生きているのだ。本能はあいまいだ。確かなものがない。本能という禍禍しく表に出すべきではないものを隠すために理由が存在する。理由は自分たちが動物とは一段違う、人間であることを主張するための道具として作られるものなのだ。
でも、不思議なことに理詰めで何事も解決しようとする人は機械的な人と見られ、情緒豊かで感情表現に富んだ人は人間的とみなされる。理性は社会を成立するためには欠かせないが、人間らしさは押し殺しているのかもしれない。人間らしくあろうと理性を働かせると人間らしくなくなるという矛盾・・・。やはり何事もバランスが大事ということだろうか。
と、理由の理由を考える僕はどっち側の人間なのだろうか。
コメント