自宅へ向かうバスに乗っていた時、ふと前の座席の高校生に目をやると、彼は携帯型ゲーム機に勤しんでいた。それは別にいいのだが、目線を上げたときに個人的にどうかと思う光景が視界に入ってきた。彼は口にバスカードをくわえていたのだ。しかもバスカードが必要になる降車時まで、約10分間の長きに渡って。
いや、察することは出来るのだ。ゲームで両手が塞がっているし、降りる時になって慌ててカードを取り出すというリスクから逃れるために、口にくわえるという選択肢を選んだとかそんなところではないかというくらいには。
それでも、その行為に僕はそこはかとない嫌悪感を抱いてしまった。「口にくわえる」って。しかも「一時的ならまだしも10分間」って。
猛禽類のごとく手足が地面とごっつんこしてるなら口が唯一の運搬手段にもなるだろうけれど、理性ある人間がそんなとこまで使って物を保持するのはどうかと思った。
そもそも日本人には口を使って行うことを汚らわしいと感じる文化があるように思う。その流れから、古典では食事に関する記述は避けられていたし、沈黙を美徳とする独特の感性もある。だいたいが、バスカードといういろいろな人や機械の手を経てきたものを口にくわえるなんて衛生観念上どうかと思う。
ただ、「口に物をくわえる」という行為は、最近はそう目新しいものでもなくなっている。駅に行けば、券売機の付近で切符を口にくわえる若者の姿をそっちこっちで見ることが出来る。
僕の記憶が確かなら、このムーブメントの起こりは、最近まで内閣総理大臣を演じていた某男性アイドルグループのメンバーが、ドラマの中でとった行動に端を発しているような気がする。少なくとも僕は、年配の方が口に切符などをくわえているのは見たことがない。つまり、この口にくわえるという行為は、やはり最近になって広がった、感化されやすい若者特有の文化なのではないかと思う。
まあ、この嫌悪感は新しい時代の波に乗り切れない旧式の僕の感性が悪いのかもしれない。僕はどうも遅れているのかもしれない。とはいっても、やはりそこはかとなく違和感を覚えてしまう。人間が二足歩行を可能にしてからこっち、あえて原始に戻って口でものを運ぶというのは、ある意味退化ではないのか。どうでもいいが、少なくとも衛生的な面からいって、あまり見ていて気持ちいいものではないのが確かなところだ。

コメント

nophoto
H. Meyer-Ohle
2008年12月2日18:26

はじめまして、外国人の研究者です。ブログの一日の一部分を本のために使いたいんですから連絡してください。そのとき53818の日記番号を記入してくだい。よろしくお願いいたします。
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