なぜだかいまいち日記を書くモチベーションが上がらなくて、今月は今日を含めて3回しか書いていない。とりたてて書くことがないわけでもないが、なんとなく書いてもどうしようもないことや、なんて書いたらいいか分からないことが多すぎる。なんとなくレビューを載せることで達成感を得ようとしても、それほど自分の心にぐっと来るような作品は少なくて、敬遠してしまいがちだ。パソコンに向かうことは多いのだが、ことDIARY NOTEに関しては他の方々の日記を楽しませてもらうだけで終わってしまっている。
まあ、そんな感じでいつもの日常を暮らしているのだが、そんないつもの暮らしに不満があるわけでもない。少しずつだが前に進めている気はするし、以前に比べれば格段に進歩したと思える点はいくつかある。ただ、自分のほうは良くても、世の中に流れる情報が暗いものが多すぎて、なんとなく気は滅入ってしまう。もっとも情報というものはただテレビや新聞で知識として入ってきても現実感はないわけで、実際に自分の身の回りがそれほど暗い世の中になっているかというと、そういう実感は全くない。暗い情報はそれなりに必要なんだろうが(どういう風に必要とされるかは分からない)、それが過度に供給されると、結果としてもたらされるのは社会の倦怠感や不信感のような気もする。「世の中の物事は疑ってかかれ」と大学時代に教えられたが、それは自分の中の知を確立するための手段であって、不信とは違う気がする。自分の身を守るというのは必要だが、最初から自分の固定観念で人を最後まで疑うというのは悲しい限りだ。
まあ、そんな感じでいつもの日常を暮らしているのだが、そんないつもの暮らしに不満があるわけでもない。少しずつだが前に進めている気はするし、以前に比べれば格段に進歩したと思える点はいくつかある。ただ、自分のほうは良くても、世の中に流れる情報が暗いものが多すぎて、なんとなく気は滅入ってしまう。もっとも情報というものはただテレビや新聞で知識として入ってきても現実感はないわけで、実際に自分の身の回りがそれほど暗い世の中になっているかというと、そういう実感は全くない。暗い情報はそれなりに必要なんだろうが(どういう風に必要とされるかは分からない)、それが過度に供給されると、結果としてもたらされるのは社会の倦怠感や不信感のような気もする。「世の中の物事は疑ってかかれ」と大学時代に教えられたが、それは自分の中の知を確立するための手段であって、不信とは違う気がする。自分の身を守るというのは必要だが、最初から自分の固定観念で人を最後まで疑うというのは悲しい限りだ。
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