前々から我が家に同居していた祖母であるが、このGWに前の住まいを引き払っい、住民票を移して、手続き上も正式に同居することになった。それに際して、仙台の住まいを明渡さなくてはならないため、父が仙台へ行き、業者さんと共に家の整理をしてきた。もともとものすごい量の家具やら荷物やらがあったため、当然全てを持って来れるはずはなく、大半は廃棄処分だったらしいのだが、それでもかなり大変だったらしく、3日がかりで業者さんと格闘していたらしい。
思えば、仙台の祖母の家には大学時代を通じてお世話になったので、もう自分達のものではないのかと思うと一抹の寂しさがよぎる。仙台は大学を卒業した時点ですでに自分の街ではなくなってしまったのかもしれないが、それでもまだ祖母の家があることでどこかで当時の面影を残しているような感覚があった。しかし、今となっては僕と仙台を繋ぎとめるものは何もなくなってしまったような感じがする。それは、思い出の場所は今もあるだろうし、大学だって存続しているのだが、今となってはそういう場所は自分の親しんだものとは別の顔をしているような気がするのだ。
まあ、そんなことを言っていても始まらないのだが、それだけ僕の仙台での生活というのは充実していたということだろう。世の中は常に動いている。移ろわないものはないのだ。過去を懐かしむのはいいのだろうが、囚われ過ぎていては前に進めなくなる。祖母の転居というのは、我が家にとって次に進むための手続きのようなものなのだろう。
思えば、仙台の祖母の家には大学時代を通じてお世話になったので、もう自分達のものではないのかと思うと一抹の寂しさがよぎる。仙台は大学を卒業した時点ですでに自分の街ではなくなってしまったのかもしれないが、それでもまだ祖母の家があることでどこかで当時の面影を残しているような感覚があった。しかし、今となっては僕と仙台を繋ぎとめるものは何もなくなってしまったような感じがする。それは、思い出の場所は今もあるだろうし、大学だって存続しているのだが、今となってはそういう場所は自分の親しんだものとは別の顔をしているような気がするのだ。
まあ、そんなことを言っていても始まらないのだが、それだけ僕の仙台での生活というのは充実していたということだろう。世の中は常に動いている。移ろわないものはないのだ。過去を懐かしむのはいいのだろうが、囚われ過ぎていては前に進めなくなる。祖母の転居というのは、我が家にとって次に進むための手続きのようなものなのだろう。
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