最近、祖母のことが気になってしょうが無い。マイナスな感じで気になる。今まで自分はどんな人でも嫌いになることはないと思っていた。自分でも人当たりのいい方だと思っていたし、苦手なタイプな人はいても、嫌いになるということは実感から言えばなかったと思う。それが最近の祖母(普段はばーちゃんと呼ぶが)の一挙一動を見ていると、なにかそれに近いような感情を覚える。
祖母ももうすぐ80歳になるかという老人なのだから、大体のことは大目に見ようとは思っている。しかし、気になる。具体的に言うと、まず話し言葉。祖母は出が北国の漁師町なので、基本的に言葉がぶっきらぼうだ。そしてどうでもいいことでも命令口調で話す。それなりに聞いていればいいのだろうが、軽いジャブのように効いてくる。そしてそのわりに、自分の間違いを指摘されたり、気に入らないことがあると、何かと言い訳をつけて返してくる。この言い訳が聞き苦しい。仮にその忠告を聞いたとしても、笑い流しているようにしか見えない。実際次の時には忘れている観がある。どうもこれが自分にはダメだ。ダメだと思うと一挙手一投足が目に付いてしまうからさらにダメだ。
まとめて言うと、素直ではないのだ。老人だから仕方ないと思ってしまえばいいのだろうが、昔のしゃんとした祖母を知っているだけに、仕方ないとは思えない。多少認知症的な所もあるのだが、本当に呆けていて忘れているのか、気に食わないところがあって忘れたふりをしているのかが分からないところが、また困りどころだ。どうにもこうにも、老人と暮らした経験のない我が家にとっては、未経験のことばかりで、母などはストレスがたまりにたまっているらしい。
自分達の側から祖母に辛く当たるということはほとんどないと思っている。ご飯も祖母の嫌いなものは出さないように気を遣っているし、僕の目から見ると不自由のないようにしていると思う。でも、お互いに摩擦が起きるのはどうしてなのだろう。今までの生活習慣の違いがそうさせるのだろうか。自分にも反省すべきところはあるだろう。大体が父親の次に祖母に世話になっているのがこの僕なのだから。大学時代に好き勝手やっていられたのも、祖母の手助けがあったからだ。あれだけ世話になっておきながら、このような感情を抱くことに自己嫌悪に陥ってしまう。
おそらく、一人暮らし歴の長かった祖母にしてみれば、今の窮屈な生活は自分の理想ではないのだろう。見知らぬ土地にいることもそれに輪をかけているだろう。ましてや老人なのだからものごとに偏屈になったとしても仕方がないのかもしれない。だから僕達は不自由のないようにと色々と世話をするわけだが、世話することには慣れていても、世話されることには慣れていない祖母にしてみれば、必要以上のそれは「余計なお世話」なのかもしれない。
いずれにせよ、あまり気にしないことだと思う。気にしすぎるから摩擦が起きる。気にしなければ気にならない。それがこの変な感情の方向を正す方法だと思う。
祖母ももうすぐ80歳になるかという老人なのだから、大体のことは大目に見ようとは思っている。しかし、気になる。具体的に言うと、まず話し言葉。祖母は出が北国の漁師町なので、基本的に言葉がぶっきらぼうだ。そしてどうでもいいことでも命令口調で話す。それなりに聞いていればいいのだろうが、軽いジャブのように効いてくる。そしてそのわりに、自分の間違いを指摘されたり、気に入らないことがあると、何かと言い訳をつけて返してくる。この言い訳が聞き苦しい。仮にその忠告を聞いたとしても、笑い流しているようにしか見えない。実際次の時には忘れている観がある。どうもこれが自分にはダメだ。ダメだと思うと一挙手一投足が目に付いてしまうからさらにダメだ。
まとめて言うと、素直ではないのだ。老人だから仕方ないと思ってしまえばいいのだろうが、昔のしゃんとした祖母を知っているだけに、仕方ないとは思えない。多少認知症的な所もあるのだが、本当に呆けていて忘れているのか、気に食わないところがあって忘れたふりをしているのかが分からないところが、また困りどころだ。どうにもこうにも、老人と暮らした経験のない我が家にとっては、未経験のことばかりで、母などはストレスがたまりにたまっているらしい。
自分達の側から祖母に辛く当たるということはほとんどないと思っている。ご飯も祖母の嫌いなものは出さないように気を遣っているし、僕の目から見ると不自由のないようにしていると思う。でも、お互いに摩擦が起きるのはどうしてなのだろう。今までの生活習慣の違いがそうさせるのだろうか。自分にも反省すべきところはあるだろう。大体が父親の次に祖母に世話になっているのがこの僕なのだから。大学時代に好き勝手やっていられたのも、祖母の手助けがあったからだ。あれだけ世話になっておきながら、このような感情を抱くことに自己嫌悪に陥ってしまう。
おそらく、一人暮らし歴の長かった祖母にしてみれば、今の窮屈な生活は自分の理想ではないのだろう。見知らぬ土地にいることもそれに輪をかけているだろう。ましてや老人なのだからものごとに偏屈になったとしても仕方がないのかもしれない。だから僕達は不自由のないようにと色々と世話をするわけだが、世話することには慣れていても、世話されることには慣れていない祖母にしてみれば、必要以上のそれは「余計なお世話」なのかもしれない。
いずれにせよ、あまり気にしないことだと思う。気にしすぎるから摩擦が起きる。気にしなければ気にならない。それがこの変な感情の方向を正す方法だと思う。
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