年賀状

2007年12月14日 思うところ
 特に何もない日に何か書こうとすると、大体は過去の話になる。それも思いつかないとなると、諦めて寝ることになる。今日は自分が得意な分野で気になるニュースもなかったし、かといって昔の話を思い返してもいまいち題材になるようなことも思いつかなかった。こういう時、他のブロガーの皆さんはどうしているのだろうか。やはり、書かないというのが正しい道なのだろう。でも、なんとなくパソコンを起動させてしまったので、無視やりどうでもいいことを書くことにする。

 無理やり設定するテーマということで、年賀状について。自分はここ数年、年賀状というものを書いた記憶がない。理由はただ単に面倒くさいからだ。面倒くさいから書かない。しかし最近、CMで年賀状は贈り物だというキャッチコピーを何回も聞く。確かにそうかもしれない、と思ってしまうところがCM効果の大きさを物語っているのだろう。贈り物をしておいたほうが、相手からも一目置かれるし、自分の価値を高められますよ的なメッセージが含まれているような気がする。

 ただ、最近の年賀状はどうもいけ好かない。大体が機械作業じゃないか。手書きで一枚一枚書いたのなら、ありがたみもあるし、もらって嬉しいが、機械的にプリントされた一枚をもらってもたいして感慨もない。昔、悪友たちと誰が一番面白い年賀状を送ってくるかという、意味のない競争をしたことがあるが、あれは面白かった。大体が親に見られたら冷や汗ものの一枚で、年賀状というよりは不幸の手紙といったほうが正しいものだったが、今でも記憶に残っているということはそれなりに楽しんだということだろう。

 つまりは、大人になってから儀礼的に出す年賀状は面白みがないものが多いということだ。できるだけ無難に、品性を疑われないような年賀状が正しいとされるのだろうが、そんなものはもらってもお年玉抽選が楽しみになるだけだろう。その点、子供の頃にもらった年賀状は個性があって面白かったし、楽しかった。へたくそな字でひたすら書き付けているだけでもなにか温かみがあった。付き合いではなく、本当の友達にだけ書いている感がして、もらって嬉しかった。

 だから、僕は年賀状を書かない。機械的な年賀状は送りたくないし、友達がいないわけじゃないけれど、手書きでそこまで心のこもったことを書ける自信がまったくない。何か残念なものになりそうで、贈り物にもならない気がする。今年もきっとメールだけで済ましてしまうのだろう。そっちの方が残念なのかもしれないが。

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