呼び名

2007年11月20日 思うところ
 祖母が我が家に着て以来、うちの中には新たな呼び名が増えた。祖母が母を呼ぶ「おねえちゃん」である。

 我が家には女性が祖母と母しかいないため、その呼び名は自動的に母を指すわけだが、これが僕にはいまだにしっくりこない。なぜなら、今までの母の呼び名はあくまで「おかあさん」であり、それ以外の何物でもなかったからだ。「おかあさん」と「おねえちゃん」の間には大きな違いがある。

 そもそもなぜ祖母が母のことを「おねえちゃん」と呼んでいるかというと、その理由ははっきりしている。祖母には子供が二人いた。息子である我が家の父と、娘である年の離れた叔母である。つまり父と母が結婚した当時から、祖母にとっては叔母を基準にした物言いで母のことを「おねえちゃん」と呼んでいるのだろう。

 しかし、である。我が家には別の世界が出来上がっているわけで、祖母は我が家に来たものの、叔母は同居しているわけではない。だから、できれば我が家の文化に合わせてもらえれば違和感なく過ごせるのだが、と心の中で思っている次第だ。

 この葛藤のわけは、世界観の違いなのだと思う。我が家の文化では、末っ子である僕の弟を基準にして個人の呼称が決まっている。一方、祖母はといえば、叔母を基準とした呼称が昔からあったため、それが抜けないまま我が家に迎えられたという背景がある。祖母が自分の娘を可愛がっているのはよく分かるのだが、僕は我が家にいない叔母を中心としている祖母に多少のフラストレーションを感じているというわけだ。大体、「おねえちゃん」は子供に対する呼称ではないか。

 はっきりいってこの不満は自分の心の狭さからきているのだろう。ほかの家族は気になっているかどうかすら分からないほど、祖母を受け入れ始めている。しかし僕はといえば、自分が長年かけて関わってきた家の秩序をを崩されたくないという防衛本能があるのか、新たに我が家にやってきた祖母にも「郷に入れば郷に従え」の精神を強制しようとしている。

 まあ、大したことではないのだ。ちょっと気になる程度でなにかいさかいがあるわけでもない。何もないかのように耐えれば済むことだ。急に同居することになった祖母にそんな呼称のことまで要求するのは酷だろう。でも、自分のテリトリーを崩されるかのように感じてしまうのは事実だ。これからも僕は「おねえちゃん」という言葉を聞くたびに、祖母との距離感を感じてしまうことになるのだろうか。そんな懐の狭い自分が情けない気もするが、人間の性として許してもらいたいものだ。

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