今日、ちょっとした野暮用をこなすために電車に乗っていた。日頃そうするように、読書をしながらプライベイトタイムを楽しんでいた。
 すると、某駅で黄色い集団が、しかも車両満杯に乗り込んできた。我先にと座席に着こうとする物音がその場を支配した。その瞬間に車内の平安が崩されたことを知った僕は、読んでいた本をしまい、悔しいからその小学2年生(確かに名札にそう書いてあった)を観察してやることにした。
 とりあえず、全員同じように私服で、同じように黄色い帽子をかぶっていて、同じようにリュックを背負っているその集団は、その年頃にしては統率が取れていて、耳に響くほど騒いではいなかった。どうやら、教師が同乗しているらしく、しかもこどもたちの中でも、騒いではいけないといった意識があるらしく、ある程度の平静を保ったまま電車はガタゴトと進んでいった。
 しばらく、その2年生集団を観察していると、あることに気付いた。

「なんか、自分達の時に比べて顔立ち整っていやしないか?」

 そう、そうなのである。裕福な家庭に生まれ育ったかのような、いかにも育ちのよさを表した端整な顔立ちなのである。そういえば、服装も個性的とは言わないけれど、センスのよい私服ばかりだった。僕達の時代なら学校のジャージで参加する子が大勢いたはずだ。悔しかったから、さらにその御子息・御令嬢の顔を眺めつづけた。すると、またあることに気付いた。

「なんか、顔全体に対して目の占める面積が大きかねえか?」

 確かにどの子を見ても、目が大きい。そして、目に光がある。澱んだ空気の中を生きる自分に対して、なんと澄んだ環境の中を生きているのだろう。忘れてしまった色々なことを考えさせられるかのようなその目。その輝かしい目があるからこそ、こどもは顔立ちが整うのだろうか。では、顔が大きくなるにつれて、縦と横に顔が伸びるにつれて、バランスが悪くなり、人に見せるのに小細工しなくてはならなくなるのか。
 生き続けることがやるせなくなったその時、電車は駅に到着した。すると、小学生の間で歓声が上がった。何事かと思ったら、金曜のアニメの時間帯を10年以上占めているであろう「クレヨンなんちゃら」の主人公の広告塔が外に見えたらしい。

「そんなことで声をあげるなんてまだまだお子ちゃまだな」

と小学生に向けて言ってもしょうが無いセリフを心の中でつぶやきながら、一抹の優越感に浸っていた。すると、その騒がしさを見咎めた教師がこどもたちを叱った。
「こ〜ら、電車に乗る前のお約束忘れたの!!」

確かにこどもたちは静かになったが、その声に一番の反応を示したのは他でもない僕だった。なんとはなく不必要な罪悪感を感じた僕は電車を降りホームを伝って、他の車両に移動したのだった。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索