金光大阪、今治西など5校甲子園へ・高校野球 [日経新聞]
2007年7月30日 スポーツ
07月30日付 日経新聞の報道「金光大阪、今治西など5校甲子園へ・高校野球」へのコメント:
今年も高校野球の季節がきた。とはいえ、僕みたいなミーハーな人間は、地元の高校の動静が気になるだけで、勝負の一回性に多少の感傷を覚える以外は、特に何がどうということはない。ただ偶然、去年に地元局の放送で見たみた母校の試合が今も頭に残っている。
結果を言えば、母校は負けた。野球部が特に強い学校でもないので、そのこと自体にはショックを受けなかったが、試合後の応援席での出来事が心を打った。応援指導部を中心にして、相手校にエールを送っていたのだ。少ない人数であったが、母校の生徒が一つになって、相手校の名前を叫ぶ姿は壮観であった。
意外と、試合だけに注意が向きがちで、そのような陰ながらの部分には気を留めないものだが、カメラがふと映したそのワンシーンには、いたく感激を覚えた。OBとして、とても誇らしく思え、いわゆるノスタルジーを感じられた。
学生時代の時間というのは、取り戻せないものを多く含んでいる。負けた悔しさの中、相手校にエールを送れる心の豊かさは、自分達に向けての凱歌にもなるのではないか。負けは負けだが、決して自らに負けたわけではないのだ。勝負に負けたからといって、人生に負けたわけではないのだ。若き日の悔しさが次なるエネルギーを生むのなら、後輩達はとても素晴らしいパワーを手にしていることだろう。そして、その心持ちが、私のようなさりげなく彼らと関わりを持った人間にも感動を与えていることを、いつの日にか気付いて欲しいと思う。
選手はもちろんだが、そのような美しい姿を見せてくれた後輩達に、僕からもエールを送りたい。
今年も高校野球の季節がきた。とはいえ、僕みたいなミーハーな人間は、地元の高校の動静が気になるだけで、勝負の一回性に多少の感傷を覚える以外は、特に何がどうということはない。ただ偶然、去年に地元局の放送で見たみた母校の試合が今も頭に残っている。
結果を言えば、母校は負けた。野球部が特に強い学校でもないので、そのこと自体にはショックを受けなかったが、試合後の応援席での出来事が心を打った。応援指導部を中心にして、相手校にエールを送っていたのだ。少ない人数であったが、母校の生徒が一つになって、相手校の名前を叫ぶ姿は壮観であった。
意外と、試合だけに注意が向きがちで、そのような陰ながらの部分には気を留めないものだが、カメラがふと映したそのワンシーンには、いたく感激を覚えた。OBとして、とても誇らしく思え、いわゆるノスタルジーを感じられた。
学生時代の時間というのは、取り戻せないものを多く含んでいる。負けた悔しさの中、相手校にエールを送れる心の豊かさは、自分達に向けての凱歌にもなるのではないか。負けは負けだが、決して自らに負けたわけではないのだ。勝負に負けたからといって、人生に負けたわけではないのだ。若き日の悔しさが次なるエネルギーを生むのなら、後輩達はとても素晴らしいパワーを手にしていることだろう。そして、その心持ちが、私のようなさりげなく彼らと関わりを持った人間にも感動を与えていることを、いつの日にか気付いて欲しいと思う。
選手はもちろんだが、そのような美しい姿を見せてくれた後輩達に、僕からもエールを送りたい。
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