幼い頃から、僕の歩くスピードは、どんな人にも負けないほどだった。本気で歩くと、小走りのOLさんにも負けないくらい速かった。大きくなってから、できるだけ周りに合わせて歩くようにしたが、それでも集団のスピードを速くしてしまうことがよくあった。
ただし、家族で出かけることがあると、集団の牽引者は常に父だった。なぜか、父は自分のペースでしか歩けないらしく、1人で先をきって歩いていた。それは今でも変わらない。本気で歩けば、僕も父に負けないほど速いとは思うが、僕としては、せっかくの家族団欒の時に、敢えて早歩きしようとは思わなかったので、父はだいたいは先頭でみんなと離れていた。
歩くことはいまでも嫌いではない。余力があれば、最寄駅から自宅まで歩いたりもする。自分ひとりで歩くことも、他の人のペースに合わせることも、今では苦にならない。今までの自分は歩き急いでいたような気がする。
敢えて、早歩きをしていた小さい頃は、それこそ、生き急いでいた気がしてならない。今はそれなりのペースで生活できている。速すぎても、遅すぎても、世の流れは変えられないのだから、自分のペースで歩けばいいのだろう。
ただし、家族で出かけることがあると、集団の牽引者は常に父だった。なぜか、父は自分のペースでしか歩けないらしく、1人で先をきって歩いていた。それは今でも変わらない。本気で歩けば、僕も父に負けないほど速いとは思うが、僕としては、せっかくの家族団欒の時に、敢えて早歩きしようとは思わなかったので、父はだいたいは先頭でみんなと離れていた。
歩くことはいまでも嫌いではない。余力があれば、最寄駅から自宅まで歩いたりもする。自分ひとりで歩くことも、他の人のペースに合わせることも、今では苦にならない。今までの自分は歩き急いでいたような気がする。
敢えて、早歩きをしていた小さい頃は、それこそ、生き急いでいた気がしてならない。今はそれなりのペースで生活できている。速すぎても、遅すぎても、世の流れは変えられないのだから、自分のペースで歩けばいいのだろう。
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