来年の行き先が決まった今、僕の周囲では様々な活動に時間を費やしている仲間が多い。自分もいくつかの企画に参加してみたり、自分で企画してみたりしている。
社会人生活へ向けての、ビジネス感覚の養成も確かに一つの目的ではあるが、僕はそれ以上に学生の論理で動いていきたいなと思っている。
はっきりいって、僕自身はといえば、考え方は甘く、行動力も精彩に欠けることがあるのは確かだ。しかし、失うものがなく(少なくとも失う事を恐れない)、得るものだけに目を向けられる情熱と言うのは、十分に社会を動かす原動力に転化する。昔の学生運動や今の学生団体の活動などに目を向けてもらえれば分かってもらえるのではないか。
「時間と金」という言い方がある。学生は前者を、社会人は後者をより多く手にしているのが一般的なところだろう。ただ、学生というのは大学という組織に属してはいるけれど、基本的には自由身分だ。そして、あまり金絡みの利益をふんだんに得ようとは考えてはいないのが特徴であるような気がする。
実際、学生と社会人の違いというのはなんなのだろうか。自分なりの答えは出かかっているのだが、しばらく、学生の論理の企画で、ありがたきものを追い続けていってみたい。きっと、日本人として、人として現代を生きる意味がそこには備わっているような気がする。
社会人生活へ向けての、ビジネス感覚の養成も確かに一つの目的ではあるが、僕はそれ以上に学生の論理で動いていきたいなと思っている。
はっきりいって、僕自身はといえば、考え方は甘く、行動力も精彩に欠けることがあるのは確かだ。しかし、失うものがなく(少なくとも失う事を恐れない)、得るものだけに目を向けられる情熱と言うのは、十分に社会を動かす原動力に転化する。昔の学生運動や今の学生団体の活動などに目を向けてもらえれば分かってもらえるのではないか。
「時間と金」という言い方がある。学生は前者を、社会人は後者をより多く手にしているのが一般的なところだろう。ただ、学生というのは大学という組織に属してはいるけれど、基本的には自由身分だ。そして、あまり金絡みの利益をふんだんに得ようとは考えてはいないのが特徴であるような気がする。
実際、学生と社会人の違いというのはなんなのだろうか。自分なりの答えは出かかっているのだが、しばらく、学生の論理の企画で、ありがたきものを追い続けていってみたい。きっと、日本人として、人として現代を生きる意味がそこには備わっているような気がする。
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