今日の仙台は一日中雨でした。まだ梅雨なんです。よって、家で静養してました。きっと社会人になったら、雨が降ろうと槍が降ろうと出てかなくちゃならんのだろうなぁ。少なくとも老後は晴耕雨読でやっていきたいものだと、20代とは思えないようなことを考えてしまいます。

さて、今日は「褒めると叱る」についてちょいと思うところを書いてみたいと思います。

 僕は叱ることが苦手です。塾講師や家庭教師で、主に中学生の指導をし続けてきましたが、記憶にある限り叱ったことは片手で数えて余るくらいしかありません。まあ、生徒たちがいい子だったということもあるのだろうけれど。。。単純に「甘いお方だ‥」ということかもしれません。
 僕は叱られることも苦手だし、叱られ慣れていません。基本的にネガティブ人間なんで、自分が周りに与える印象を気にしながら(?)ビクビク(??)暮らしています。叱られると反抗する意識よりは萎縮する意識の方が先に出ます。少なくとも、自分の行為のいけなかったところは自分で気づき、反省するようにはしています。だから、叱られると「ああ、やっぱ僕ダメ人間ですわぁ」ってな感じで凹みだします。
 逆に、僕は生徒のことをひたすら褒めます。たとえ、彼らがとんちんかんな返答をしようとも、予習を忘れてテストで悪い点数を取ろうとも、彼らがなぜその行為を行ったのかを自分なりに解釈し、良いとこを見つけ出そうとしてます。尊敬する塾の先輩に「お前ならどこのクラスでも担当できる」といわれたくらい(ほめてるのか、けなしてるのか、ただ使いやすい人間だと思ってるのか分からなかったが‥)、相手の良いところを見つけるのがうまいらしいです。当たり障りないといえばそれまでなんですが。
 僕は褒められると素直に喜びます。そして、その人のために頑張ろうと思ってしまいます。「豚もおだてりゃ木に登る」ってやつです。よく上記の先輩に、無理難題を押し付けられます。バイトなのに無給で仕事していることもよくあります。でもあまり損したとは思わない奇特な人間らしいです。
 何が言いたいのか良く分からなくなってきましたが、ここまでを要約すると僕は[叱る&叱られる]が苦手で、[褒める&褒められる]が好き、ということです。自分が責められるのが好きでないし、自分がそれほどすごい人間だとは思っていないので、周りの人が過ごしやすいように、相手の言うことを受け止めるように心がけているつもりです。
 だからといって、叱れない自分が偉いだなんてまったく思えません。確かに褒めるのがうまいというのは、一つの特技にはなるとは思いますが、叱るべき時に叱れない自分というのをどうしようもなく不甲斐なく思うことが多々あります。相手のためを思うからこそ、褒めることも叱ることもしなければならないのだと思います。
 

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