最近いろいろと駆けずりまわっているせいか、気付かないうちに体にダメージがたまっていたらしい。舌は腫れるし、咳は出るしで、ちょいつらい。明日は一日ゆっくりしよう。

 今日は、皇室御用達の大学の学食でランチをしたことと、初めて女子大というサンクチュアリに足を踏み入れたこと以外にはそれほど目新しいこともしなかったので、一日の動きは置いておくとして、最近気になっている事について書いてみたい。「時間と仕事」ということについてだ。
 
 最近、僕は時間がもっとほしいな、とよく思う。名古屋に行ったり、内定者と会ったり、しかも明後日には仙台に戻らなくてはならない。やるべきことは、山積みになっているし、新しく挑戦したいこともたくさんある。
 でも、僕は「忙しい」とは思っていない。毎日が充実しているからだ。楽しくてしょうがない。去年一年間は、凹みっぱなしで何をする気も起きなかった。でも、今は大切な仲間と家族の支えの下に、僕は役割を与えられている。くさい言葉を使えば、生かされていると実感している。もっと、自分のために、彼らのために走り回りたいと思う。だから時間がほしい。
 きのう、一緒に遊んだ友達が「会社のやつらは忙しいとか適当な理由をつけて、俺に庶務を押し付けてくるんだよね」という話をしていた。仕事を投げてくる人は、だいたい好調の部署の人たちらしい。「自分の作業があるから、これお願い」ってなもんだろう。彼は、それでも嫌な顔はするが受けるという。しかも、会社では決して忙しいなどといわないどころか、自分から先輩に仕事をもらいに行って、新たな事にチャレンジするようにしている、ということを言っていた。 
 確かに、本当に仕事にかかりっきりで、やるべきことが多すぎて、自分の能力で処理できない時には、「忙しい」とも言いたくなるとは思う。でも、そうすることで「自分は本当はこれをやりたくないけれども、やらにゃあならんからなぁ」ということを暗に意味してしまっているのではないか。つまり、「忙しい」ということを周りにアピールするということは、彼自信が「自分のやりたいこと、興味のあることをできていない」ということを表すし、さらに言ってしまうと「自分自身の能力の限界に達してしまっている事、自分の能力を把握していない事」、もしかしたら「自分に能力がないこと」までを表してしまっている気がする。
 だから、僕はできるだけ「忙しい」とは言わないようにしている。むしろ、「ひまだぁ」と言うようにしていきたい。なぜなら、僕の限界はまだこんなところにはないと思っているからだ

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