名古屋きたぁ\(^ι^)/
2004年7月8日 旅 昼過ぎに自宅を出て東京方面へ移動。北千住にて、行きの夜行バスの切符と帰りの新幹線の切符のセットを買う。昨日買い忘れた仙台土産(最近パクリ製品が続出している「萩の月」)を求めて、東京・上野を歩き回るも、関東では流通してないらしく挫折。聞くところによると、地方特産品などの企画のときにしか取り寄せないということだった。残念ながら、ご挨拶代わりのものは持っていけないことになった。
18時から市ヶ谷の某大学の演習室にて、来年入社予定の会社の内定者とミーティング。とりあえず、東京の私大の立地&ビルを見て、「やっぱちげぇな‥」と思った。あの金のかかり具合はいったい何なのだろう。一階のホール、エレベーター、演習室からの眺め&冷房使いたい放題、さらにはパソコンまで貸してくれるんだって!!うちの大学の文学部では、建物が傾いてるし、エアコンなんてありえずに扇風機がプルプルと首を振っている。エレベーターは昭和50年代製がいまだに稼動。下りの時は、必ず最上階まで行ってから戻ってくることで有名なのよ。「絶対、霊体乗っけてから戻ってきてるんだよ!」っともっぱらの噂ですわ。
それにしても、今日までは、国立のほうが私立より、学生に自由を許していると思っていた。しかし、案外そうでもないらしい。演習室を夜の11時まで開放してるという、大学経営陣の懐の深さは経営努力にせよ、溜まり場にいた学生のアカデミックな(!?)雰囲気は、うちの大学では学食ぐらいでしかお目にかかれない。国立は昔は自由だったと聞くのだけれど、やはり学生運動の取締りと独立行政法人化の影響は否定できないのだろうか。本来、大学という機関は、利益採算を無視した基礎研究の場であり、個人の理想のもとに学問の真髄を極めることを許される唯一の場であるはずなのだ。しかし、私立ではある程度、経営を考えて運営する必要があるにせよ、国の保護の下に上記の研究スタイルが許されていた国立大学でも、利益重視の運営が迫られることになってしまった。最近、仙台に帰って友達と語ると、この話題は必ず卓上に上る。独法化の弊害は、今では見えずらいだろうが、10年、20年、そしてさらにもっと長いスパンで見たときに必ずしっぺ返しを喰らうことにはなりそうだ。
んで、初の夜行バス乗車&初の名古屋着。実は、名古屋駅近くのネットカフェで今日記をつけている。さて、今日はどうゆう一日であることやら。とりあえず、名古屋の内定者と倒れるまで熱く語り明かしたいなぁ、とは思う。
18時から市ヶ谷の某大学の演習室にて、来年入社予定の会社の内定者とミーティング。とりあえず、東京の私大の立地&ビルを見て、「やっぱちげぇな‥」と思った。あの金のかかり具合はいったい何なのだろう。一階のホール、エレベーター、演習室からの眺め&冷房使いたい放題、さらにはパソコンまで貸してくれるんだって!!うちの大学の文学部では、建物が傾いてるし、エアコンなんてありえずに扇風機がプルプルと首を振っている。エレベーターは昭和50年代製がいまだに稼動。下りの時は、必ず最上階まで行ってから戻ってくることで有名なのよ。「絶対、霊体乗っけてから戻ってきてるんだよ!」っともっぱらの噂ですわ。
それにしても、今日までは、国立のほうが私立より、学生に自由を許していると思っていた。しかし、案外そうでもないらしい。演習室を夜の11時まで開放してるという、大学経営陣の懐の深さは経営努力にせよ、溜まり場にいた学生のアカデミックな(!?)雰囲気は、うちの大学では学食ぐらいでしかお目にかかれない。国立は昔は自由だったと聞くのだけれど、やはり学生運動の取締りと独立行政法人化の影響は否定できないのだろうか。本来、大学という機関は、利益採算を無視した基礎研究の場であり、個人の理想のもとに学問の真髄を極めることを許される唯一の場であるはずなのだ。しかし、私立ではある程度、経営を考えて運営する必要があるにせよ、国の保護の下に上記の研究スタイルが許されていた国立大学でも、利益重視の運営が迫られることになってしまった。最近、仙台に帰って友達と語ると、この話題は必ず卓上に上る。独法化の弊害は、今では見えずらいだろうが、10年、20年、そしてさらにもっと長いスパンで見たときに必ずしっぺ返しを喰らうことにはなりそうだ。
んで、初の夜行バス乗車&初の名古屋着。実は、名古屋駅近くのネットカフェで今日記をつけている。さて、今日はどうゆう一日であることやら。とりあえず、名古屋の内定者と倒れるまで熱く語り明かしたいなぁ、とは思う。
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